第28話『真実 ④-True Heart-』

「お嬢様、考えてみてください。僕やお嬢様、莉央や稲葉君はこの事件に関しては第三者としての目で見ています」

「そうだけど……」

 お嬢様はただおろおろとするばかりだ。

「そんな僕達はこう思っています。真犯人は麻衣さんであり、稲葉君は犯人でない」

「当たり前じゃない。今更、何を言ってるのよ……」

「そして、僕達は自然とこう考えてしまったはずです。真犯人は別にいる。そして、真犯人はどのようにして稲葉君に罪を着せたのか、と。しかし、そう考えること自体が間違いだったとしたらどうでしょう?」

「何を言ってるのかさっぱり分からねえよ。だって、こいつが真犯人なんだぜ? 俺にどうやって罪を着せたのかが――」

「稲葉君、物事には時として……偶然ということもあるんだよ」

「何だと?」

 偶然。

 それが僕の答えであり、真実だ。

「お嬢様の言うとおり……稲葉君が罪を着せられそうになったきっかけはナイフの柄に触ってしまったことにあるよ。でも、それ以前にどうして現場に行くことになったのだろう。それは稲葉君が新しくできた茜色の館に行こうと思ったから。更に、それ以前にどうして部室棟のトイレを使わなかったのだろう。そう……それは、1週間前の火曜日の夜に起きた地震の所為で、部室棟に繋がる水道管が破裂したからだよ」

 そう、麻衣さんは何もやっていない。

 火曜日の夜に発生した地震から生じた偶然が偶然を呼び……その結果が稲葉君の拘束に繋がってしまっただけだ。まさか、麻衣さんが1人で水道菅を破裂させることはできまい。僕だってそんなことできるはずがない。

 視線を変えることで新たに分かることだってある。僕達は第三者として今回の事件を見ていたから、麻衣さんの戯言に屈しかけたんだ。

「麻衣さんの立場から考えれば簡単な話です。麻衣さんの果たすべき目的は、ナイフを使って片桐さんを刺し殺すこと。自分が疑われないように即席の女子用トイレの仕掛けを外して速やかに逃げること。事件が起こったのは夜です。即死は無理でも、翌朝になれば失血死で亡くなると思ったのでしょう。夜であれば誰も茜色の館には来ませんからね」

「じゃあ、稲葉隼人が拘束されたのは偶然で……」

「そうです。稲葉君が犯人として逮捕されてしまったのは、麻衣さんにとっては予想外のことだったんです。でも、麻衣さんは考えました。ありもしないことで自分を守る壁を作ってしまおうと。だから、一昨日……喫茶店で突然、大胆にも僕に自分が犯人だと疑っているのかと訊いたんです。そして、私のことを無実だと信じてくれるのかって。仮に信じないと僕から言われたとしても麻衣さんはこう訊き返したはずです。なら、どうやって僕の親友に罪を着せたのかって」

 まったく、麻衣さんには僕達の持っている既成概念を上手く利用されてしまったな。入り口の壁の色のことといい、今のことといい。

 それ以前に麻衣さんが犯人だと立証するために必要なことは、稲葉君にどうやって罪を着せたのかを示すということではなく、彼女が片桐さんを刺したという決定的な証拠を示すということにあるんだ。

 だからこそ、麻衣さんはまだ笑みを浮かべられている。

「ねえ、進堂君」

「……何でしょうか?」

「一瞬だけど、焦っちゃったよ。本当に進堂君は凄いなって。さすがは藍沢家の執事さんだけはあるって。確かに稲葉君が罪を着せられてしまったことは偶然よ。でもね……一番肝心なことを忘れてはないよね?」

「麻衣さんが犯行に及んだという決定的な証拠……ですか」

「分かってるじゃない。藍沢さんが推理を披露したときに言ったはずだよ。私がやったっていう証拠はあるのかって。藍沢さんの様子からして、彼女が持ってないのは分かるけれど。進堂君に変わったから少し焦ったわ。でも、それも無駄だったのね」

 あははっ、と声を出して笑っている。形勢逆転したと思っているのだろう。

「……麻衣さん」

「なあに?」

「もう、無駄な笑いは気が済みましたか?」

「……どういうことかな?」

「あなたは事件に関与しているはずです。それを示す証拠は麻衣さんが今でも持っていると思いますよ?」

 麻衣さんが片桐さんを刺したことを証明する決定的な証拠を僕は持っていないし、決定的な証拠自体、現時点ではどこにもないのかもしれない。

 でも、麻衣さんが事件に関与している証拠は彼女自身が持っている可能性が高い。今はもうその可能性を使って1つの賭けに出るしかない。

「お嬢様、事件資料のファイルはありますか? ちょっと麻衣さんに見せたいページがあるんですが」

「分かったわ」

 僕はお嬢様から事件資料のファイルを受け取り、現場写真がプリントされているページを開いて麻衣さんに見せる。

「麻衣さん、床に散らばっている薔薇の鉢の写真を見てください」

「今更薔薇のことを言うの?」

「ええ。この写真に写っているのは歪な形に散らばっている土と押しつぶされている薔薇の花です。この様子から事件の際、片桐さんが投げた薔薇の鉢が犯人に当たり、そしてその後に犯人が薔薇の花を踏んだと思われます。それが事実であれば犯人にはあるものが付着している可能性は十分にあります」

「それって何なの? 由宇」

「……花粉ですよ」

「花粉?」

「ええ。薔薇の鉢が当たったということは、服に薔薇の花が当たったことになります。その際に花粉が付着してもおかしくありません。そして、薔薇の花を踏みつけたなら靴の裏に花粉がべっとりついているでしょうね」

「それのどこが重要なのよ、進堂君」

 どうやら、麻衣さんは分かっていないようだな。片桐さんの投げた鉢に植えられていた薔薇の花粉がどれだけ重要な意味を成しているのかを。

「花粉を調べることで、どの花から出たものなのか知ることができるんですよ。いわゆる、花バージョンのDNA鑑定みたいなものです。現場に落ちていた赤い薔薇の鉢は事件当夜に桜井先生によって置かれたことが証明されています。つまり、現場にあった薔薇の花粉が付いていると考えられるのは、被害者である片桐さん。第一発見者である稲葉君。もちろん、赤い薔薇の鉢を持ってきた桜井先生もそうです。これ以外に考えられるのは現場を捜査した人達と犯人しかいないでしょうね」

 事件に無関係であれば、現場に落ちていた薔薇の花粉がついているわけがない。

「麻衣さんに花粉が付いている可能性はあると思いますよ。花粉のシーズンが終わってほっとしていた日比野さんが、校舎内で麻衣さんと話しているときに花粉症の症状が出たと言っていましたから。それも、事件後のことです。日比野さんは麻衣さんの制服などに付いていた薔薇の花粉に反応したかもしれません」

 その時に花粉のことが気になり、昨晩に莉央の家のパソコンで花粉のことを調べた。そこで花粉でどの花から出たのかを特定できることを知ったんだ。

「さあ、麻衣さん。あなたが事件に無関係だと言うのなら、今着ている制服や靴を警察の方で徹底的に調べてさせてくれませんか? もし、現場に落ちていた薔薇の花粉と同じ花粉が検出されれば事件現場に行ったことが証明されます。そして、あなたはさっき入り口の壁に仕掛けを施したことを認めました。この2つが示すことは……麻衣さんが犯人であると考えることができませんか?」

 それが今の僕が説明できる精一杯のことだ。ここで麻衣さんが認めれば、この賭けは僕の勝ちになる。

 だが、僕にはもう結果が見えていた。僕を見る麻衣さんの目に力がなかったから。

 できることなら、麻衣さんが自分から罪を認めて欲しい。

 窓側の壁に寄りかかった麻衣さんはようやく口を

開いて、

「……私の負けだよ、進堂君。多分、ベストやスカートに薔薇の花粉が付いていると思う。靴の裏にもべっとりついていると思うよ。そう、私が片桐さんを刺したの」


 はっきりとした口調で言った。

 どうやら、僕はこの賭けに勝ったみたいだな。もうこれで麻衣さんを追い詰める必要はなくなったかな。

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