第26話『真実 ②-True Color-』
「まだ白を切るつもりかしら? あなたはこうやって片桐さんを勘違いさせたのよっ!」
――ビリビリッ!
その音と共に姿を現したのは、さっきまでとは異なった色の壁だった。赤かった部分からは青色、青かった部分からは赤色の壁が露わになる。
つまり、本当の壁の色は左半分が青色、右半分が赤色なのだ。
そして、壁のすぐ側の床に赤と青の破れた色画用紙が落ちている。
「そう、赤と青の色画用紙を使えば簡単にできること。大きな色画用紙でなくても小さな色画用紙を裏からセロハンテープで繋げていけば用意できる。夜なら、多少雑に壁に貼られていても違和感はあまり持たれないしね」
今落ちている色画用紙もセロハンテープを使って1つの大きな色画用紙にしたものだ。そして、壁に貼るために色画用紙の端にも貼られている。糊のような成分が入り口の壁から検出されたというのは、色画用紙を貼るために使ったセロハンテープの糊のことだったのか。
しかし、麻衣さんは何も動じずに、
「でも、男子用のトイレに入ったならすぐに分かっちゃうでしょう? 私が犯人ならそんなトリックなんて……」
「天草真宵の大ファンが何を言ってるのかしら」
「えっ?」
「あなたは天草さんがデザインした茜色の館だからこそ、このトリックを使ったの。天草さんは生粋のシンメトリー作家とも言えるくらいの強い拘りがあった。それはトイレも例外ではなかった。実際には少し迷っていたみたいだけど」
「それが……ど、どうだって言うの!」
麻衣さんが初めて動揺している。額からは汗を滲ませ、下唇を噛み始める。
「天草さんは女子用のトイレを基準にデザインしたの。ということは、内装は個室や窓などの位置関係以外は全く同じだったってことなのよ。だから、入り口さえ取り替えることができれば、あなたでも即席の女子用のトイレが作れる。どう? これでも何か文句ある?」
確かに真宵さんは言っていた。トイレもシンメトリーにするかどうか悩み、結局シンメトリーの方向で決めたけど、無駄なものを作らないように女子用のトイレを基準にしたと。これなら麻衣さんでも十分に可能である。
さらに、お嬢様は話を進めていく。
「事件当時のあなたの行動はこうよ。あなたは事前に片桐さんに手紙で現場に来るように指示をした。私の言った画用紙を使ったトリックで即席の女子用トイレを作り、ナイフを持って入り口側の個室に隠れる。この時、片桐さんが電気を点けることができないように、スイッチの上に『故障中』とでも書いたテープを貼っていたのね。暗闇の中、あなたは片桐さんを待ち続けた」
「それでどうなったと言うのかしら? 藍沢のお嬢様の推理を聞いてあげるわよ」
意外にも麻衣さんは余裕のようだ。
「やがて片桐さんがトイレにやってきて、あなたは彼女がある程度まで来たところを確認すると、ナイフを持って片桐さんの前に出る。ナイフの刃を見せることで恐怖心を持たせて、彼女を窓側に追い詰める。でも、ここであなたにも予想外のことが起こった。片桐さんが窓に置いてあった花の鉢をあなたに向かって投げて抵抗したのよ。でも、あなたはそれを振り切ってすぐにナイフを片桐さんの腹部を刺したの。後は入り口の壁に貼っていた画用紙と片桐さんへの手紙を回収すれば、あなたの犯行計画は幕を閉じるというわけ」
以上よ、とお嬢様は自分の推理を披露した。
やはり凄いな、お嬢様は。薔薇の鉢のことは何とか分かったけれど、入り口の壁のトリックなどは全然思いつかなかった。
お嬢様の表情も凛としているから、お嬢様の方が優勢だろうか。
と、思ったのも一瞬だった。
「……証拠がどこにあるの?」
「そ、それは……」
「まさか、私がやったっていう証拠もないのに言っているわけじゃないよね?」
お嬢様は焦りの表情を見せる。
まさか……何の証拠もなしに推理を言っていたのか?
確かに今のお嬢様の推理に信憑性はあると思うし、僕もお嬢様が話した方法で麻衣さんが犯行に及んだと思っているけど。
さっきの強気な態度も、真相が分かったからそうなっていただけで……もしかしたら、お嬢様はこんな展開になると予想していなかったかもしれない。自分の言葉で麻衣さんが簡単に反抗を認めると思っていたようだ。
「確かに藍沢さんが話してくれたことなら、私でも片桐さんをトイレに呼び出して、刺せると思うよ。でも、私がやったって特定することはできないよね。手紙で呼び出したって言っているけど、その手紙さえない。入り口の画用紙やスイッチのテープだって誰でもできることだし、片桐さが投げた赤い薔薇の鉢が私に当たったなんて憶測に過ぎないよ」
麻衣さんの言う通りだ。
現時点でお嬢様の言っていることで立証できることは、事件当時に片桐さんが犯人に向かって薔薇の鉢を投げたことだけだ。でも、その犯人が麻衣さんであることや、麻衣さんが現場に行ったことは証明がまだできないのだ。
「で、でも……あなたはさっき、私の仕掛けをかいくぐって女子用のトイレに入ってきたじゃない!」
「言い忘れちゃったんだけど、実は右下の方がちょっと捲れていて赤いのが見えてたの。私を騙そうとしてるんだって気がついて青い方に行っただけだよ」
「そんな……」
お嬢様の表情はすっかりと青ざめていた。どうやら、麻衣さんの方が一枚上手のようだ。
「何を言ってるんだっ! 俺が来たときにはそんな所なんてなかったぞ!」
「稲葉君……」
「お前、自分が罪を逃れたいからって、ありもしないことを言ってるんじゃねえよ! 藍沢が何か間違えたことを言ったのかよ!」
稲葉君は麻衣さんのすぐ側に立って罵声を浴びせる。一度は犯人として逮捕されてしまったんだ。怒り心頭になるのも分かる。
だけど、麻衣さんはそれでも表情を変えなかった。
「稲葉君だっけ。藍沢さんが間違えたことを言っていないなら、正しいって証明できる証拠を出して。ただでさえ、私は犯人呼ばわりされているんだよ。自分の考えを証明する義務は藍沢さんの方にあると思うよ。進堂君もそう思わない?」
「……その通りだと思います」
「進堂、お前……こいつは片桐を刺した奴なんだぞ! そんな奴の味方なのかよ!」
稲葉君は僕の肩を力強く掴む。
「稲葉君、落ち着いて。麻衣さんの言っていることは正しい。証明しないといけないのは僕達の方にある。犯人だと名指しするには大きな責任が伴うんだ」
「ほらっ、進堂君はちゃんと分かってくれてる。そういうところ、私は好きだよ」
現時点では麻衣さんの方が有利だ。
僕の知っている範囲では、現場や押収された証拠品からは麻衣さんのものと思われる指紋や毛髪などは見つからなかった。入り口の2色の壁や電気スイッチに付着している糊の成分だって、考えてみれば何かが貼られていた証拠にはなるだろうけど、それが事件に関与しているとは言い切ることはできない。
しかも、麻衣さんもさっきのお嬢様の仕掛けについても自分の都合のいいように言ってしまっている。彼女の言うことが嘘だと証明はできない。
まずいぞ、このままではお嬢様の言っていたことが机上の空論になりかねない。
その瞬間、お嬢様は僕の右手を掴んだ。悔しさからかお嬢様の目には涙が浮かんでおり、今にもこぼれ落ちそうだった。
「由宇、助けて……」
「お嬢様……」
「……ごめん。画用紙を使った仕掛けが分かって、あなたからの電話が来て……あたし、舞い上がっちゃっていたみたい。証拠が何よりも大事なのに、そんなことさえお構いなしにやってた。そんな基本のことさえ忘れていたなんて、自分自身が情けないわ」
「そんなこと……ありませんよ」
「……由宇は優しいわね。お願い、今でもあたしの執事であると思ってくれているなら、あたしのことを……助けて。由宇しか彼女とまともに戦える人はいないの」
こんなに弱々しいお嬢様、見たことがない。一生の不覚なんだろうな、今の出来事は。
でも、お嬢様は僕のことを信じてくれている。僕だけが麻衣さんに真実を認めさせることができると。
それなら、僕が力を貸さないわけがない。それに、僕はお嬢様と一緒に真実を掴むと約束をしたのだから。
「分かりました、お嬢様」
「由宇……」
「……僕に任せてください。執事は主を助けるために仕えているのですから」
僕はお嬢様の頭を撫でて、麻衣さんと向き合う。
ここからは僕の出番だ。僕が絶対に麻衣さんに自分の罪を認めさせる。
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