第25話『真実 ①-True Entrance-』

 5月15日、火曜日。

 放課後、僕は茜色の館のトイレに来ていた。赤い薔薇の花が香る中で、とある人がここにやってくるのを待っている。

 時々、入り口の方から足音が聞こえたりするのだが、なかなか僕の会いたい人がここにやってこない。

「来てくれない、かな……」

 と、僕が呟いたときだった。

 静かに僕の前にそのお目当ての人がやってきた。

「どうしたのかな、こんなところに呼び出して……」

「こんにちは、麻衣さん」

 そう、僕の呼び出した人とは高梨麻衣さんのことだ。

「……女子のトイレに呼びつけるなんて、私に……変なことをする気なの? 進堂君だったら私は別に拒もうとは思わないけど」

 麻衣さんはちらちらと僕の方を恥ずかしそうに見る。

 僕は放課後になる直前に次のようなメールを送っていた。


『麻衣さん。あなたに伝えたい大事なことがあります。あなたの来やすいように、場所は茜色の館にある一階の西側の女子用のトイレで。大丈夫です、他の人が入れないようにしていますので。それではお待ちしています』


 そして、麻衣さんは僕のこのメールの内容を「忠実に」守ったわけだ。

「それで、大事な話って何なの? もしかして、私に告白してくれるのかな? うん、進堂君なら受け入れてもいいよ。この後、絶対に誰も来ないなら……進堂君と変なことをしちゃってもいいんだよ?」

 そう言うと、麻衣さんは僕のすぐ目の前まで立ってゆっくりと目を瞑る。

「……いえ、違います」

 色々と話が飛躍しすぎているだろう。それに、僕は麻衣さんと唇を重ねることなんてできるわけがない。色々と問題があるし、何よりも「彼」の存在があるから。

「そっか……」

 別にがっかりしてくれなくても。

「麻衣さんには永瀬君という立派な彼氏さんがいるじゃないですか」

「う、うん……。ごめんね、調子に乗っちゃった。でも、さっきの言ったことは本当なんだからね? 進堂君なら口づけしてもいいし、その先のことをしても良いって思ってる」

 麻衣さんは笑顔のまま言う。僕のこと、好きになってしまっているのかな。

「そう言ってくれるのは嬉しいんですけどね。告白……いえ、自白をするのはあなたの方だと思いますよ。麻衣さん」

「どういうこと?」

 麻衣さんの表情も段々と曇り始める。

「麻衣さんは僕のメールを見てここに辿り着きました。そして、あなたはこう言った。女子のトイレに呼びつけるなんて、と」

「私、何か間違ったことを言った?」

「いえ、大正解です。ここは女子用のトイレです。ですが、今回に限っては正解してもらうことが間違いなんですよ」

「……はっきりと説明してもらわないと私には分からないな」

「説明? どうしてその必要があるんですか? トイレに来たとき、赤と青に塗られている壁が嫌でも目に入るのに」

 そして、麻衣さんの目が鋭いものに変わった。どうやら、僕の言いたいことを理解し始めたみたいだな。

「麻衣さん、あなたの色覚に異常がなければ分かったはずです。僕達のいるこちらのトイレは『男子用』であると……」

 そう、僕は一つ試していたんだ。

 つまり、僕がいるこのトイレはさっき言った通り本当は女子用。しかし、今は入り口の壁にとある細工をして即席の男子用トイレを作り上げているのだ。

「あなたは自然と用心深くなっていました。どちらが女子用のトイレなのかと」

「そ、それは……」

「素直に赤い方のトイレに行けば良かったですね。だけど、麻衣さんにはそれができなかった。何故なら、真宵さんの作品が好きであるあなたには、本当の女子用のトイレがここであることを知っていたからです」

「……」

「仮に今、もう1つのトイレの方へ行ったとしても僕の伝えるべきことは変わりません。これは確認作業みたいなものですし。僕はもう、真実を掴んでいるのですから」

「……真実? 何のことかさっぱり分からないよ。私はずっと進堂君が私と情熱的なことでもしたいと思っているよ。それならはっきりと言ってくれていいのに、もう……」

 麻衣さんは頬を赤くして悶えている。やはり凄いな、彼女の演技は。

「違いますよ。僕は茜色の館で起こった事件のことを話そうと思ったんです。事件はこのトイレとは別のトイレで起こりました。知らないわけがないですよね」

 本当に伝えるべき大切なこと。

 でも、それはとても辛くて切ないこと。

 だけど、言うんだ。僕には信頼できる仲間がいるのだから大丈夫なはずだ。そして、麻衣さんも友人として大切に思っているから、僕は伝える。


「片桐さんを刺した犯人は麻衣さん、あなたですね」


 そう、麻衣さんこそが事件の真犯人である。

 見事に僕は麻衣さんに騙されたわけだ。一昨日、自分は事件には一切関わっていないということを信じて欲しいという迫真の演技に。

「……ねえ、進堂君。話が変な方向に飛んでない?」

 麻衣さんは必死に作り笑顔を見せている。

「どういうことですか?」

「私がここに来たからって、そのことでどうして犯人になっちゃうの? それなりの理由がないと進堂君でも許さないよ」

「それはあたしが説明するわ」

 麻衣さんは今の声に驚き入り口の方に振り返る。

 そして、入り口から声の主であるお嬢様が姿を表す。その後ろには莉央、稲葉君と続く。

「進堂、お前……俺や藤原を女子トイレに呼び出すってどういうことなんだよ。仕方ねえから行ってみたら藍沢が待っていたし……」

「ごめんね、莉央や稲葉君には実験台になって欲しかったんだよ」

「実験台?」

「そう、犯人である人間と犯人でない人間がどんな行動の違いを起こすのか。それを確かめたくて。お嬢様の発案なんだけどね」

 お嬢様の施した仕掛けは、犯人が片桐さんを現場である男子用トイレに呼び出すために使った方法と同じだ。犯人であれば警戒するはず、という心理をお嬢様は上手く利用した。決定的な証拠とはならないけれど、犯人であるかどうかを確かめるには最適なのである。

「そんな……分かるわけがない」

 不意に漏らした麻衣さんの言葉をお嬢様は聞き逃さず、

「今の言葉、私達に対する宣戦布告として受け取っていいのね。私の仕掛けに上手く誘導された時点であなたの負けは決まっているけど」

 いつも以上に強気なお嬢様は確かに頼もしく思えるけれど、少し不安もある。変な方向に転がっていかなければいいんだけれど。

「そう、この事件の謎はいかにして片桐さんを現場である男子用のトイレに行かせることだったわ。でも、現場を男子用のトイレと考えるとなかなか方法が思いつかなかった。そこで最初から一度考え直したの。どんな状況なら、女性である片桐さんを何の疑いもなく現場まで行かせることができるのかって」

「どういうことなんだよ」

 自分がさっき仕掛けにはまったこともあってか、稲葉君は少し不機嫌そうだ。

「さっき、あなたはトイレに入りづらかったって言っていたわよね」

「ああ、そうだよ。だって呼ばれたのが女子トイレ……あっ!」

 どうやら、稲葉君もお嬢様の言いたいことが分かったみたいだ。お嬢様は稲葉君の反応を見て満足そうに頷く。

「ついさっき、稲葉隼人がトイレに入りづらかったのは女子用だったから。それを逆に考えれば、男子用のトイレなら何の気もなしに入った」

「つまり、片桐は現場を女子トイレだと勘違いして入ったってわけなのか?」

「そういうこと。女子用のトイレなら片桐さんは自然とやってくる。高梨麻衣は茜色の館の特徴を上手く利用して男子用のトイレに片桐さんを誘ったの。それが、今回のあたしが仕掛けたものだったのよ。ちょっと入り口まで来なさい」

 お嬢様はそう言って、麻衣さんの手を引いてトイレの入り口まで行く。

 僕も入り口まで行くと、そこには赤と青の二色に塗られた壁がある。左半分が赤色で右半分が青色である。ちなみに、僕達は右側の入り口から出てきた。

「人は色で物事を認識しやすい傾向があるみたい。トイレの場合は青色が男子、赤色が女子って感じでね。しかも、ここのトイレは男女どちらかを表す文字やマークもなく、判断材料はこの青と赤の壁だけなの。つまり、高梨麻衣は人の持つ既成概念を利用したってわけ」

「でも、私がどうやって片桐さんを騙したの? 見た限り、どこもおかしいところはなさそうに思えるけど?」

「まだ白を切るつもりかしら? あなたはこうやって片桐さんを勘違いさせたのよっ!」

 お嬢様の威勢のいい声が響き渡った。

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