第22話『稲葉との再会』
5月14日、月曜日。
目を覚ますと窓から光が差し込んでいるせいか、部屋の中も明るくなっていた。僕は身体を起こそうとするが、
「ううん……」
どうも重くて起き上がることができないと思ったら、莉央の甘い呻き声が聞こえた。しかも僕のすぐ側で。
まさかと思い僕は布団をめくってみると、
「莉央、どうしてここにいるんだ……」
僕の胸の上に頭を乗せて気持ち良さそうに寝ていた。しかも、手で僕の寝間着を強く掴んでいるし。それに莉央の豊満な胸が柔らかく僕に押してくるし。さらには莉央から甘い匂いがしてくるし。御両親がいたらいくら僕でも殺されていたかもしれない。
「ほら、早く離れて……」
「ううんっ、いやっ……」
莉央の体を引き離そうとすると、莉央はそれに抵抗するように力を入れてくる。ますます体重がかかり密着もしてくるので動けない。
もう諦めた。莉央から離れてもらう以外にこの体勢から逃れる術はないだろう。
「莉央、もう起きたいから離れてくれ」
僕は左手で莉央の背中を軽く叩く。
すると、莉央はあっさりと僕から離れてくれた。そして、目が覚める。
「おはよう、由宇ちゃん……」
さてと、莉央が起きたところで今のこの状況になった原因でも究明をしようか。
「莉央、確か……ベッドで寝ていたはずだよね? 寝息も聞こえたし。それなのにどうして僕と同じ布団で寝ているのかな。しかも、僕に密着する形で」
「だ、だって……久しぶりに一緒に寝るんだもん。由宇ちゃんと同じ布団で寝たくなっちゃったんだもん……」
「……確か一緒のベッドで寝ることを恥ずかしがってたと思うんだけど」
「多分、気が変わったんだと思うよ」
それで話を終わらせようとする気か、お前は。
まあいいや、御両親もいないで2人きりだったし。このことは極力口に出さないようにすればいいか。あまりしつこく訊くのも可哀想だし、何よりも莉央が幸せそうなら僕はそれで構わない。
「莉央、今は何時なんだ? 学校があるから時間次第では急がないと……」
「ええと……6時を過ぎたくらいだよ」
莉央は体を起こして、部屋の中にある時計を見る。僕も見てみるが確かに六時であると時計の針が指している。
「うん、いい時間だね。僕は起きるけど、莉央も起きる?」
「そうだね。あと、昨日の夕飯に食べたカレーの残りがあるから、朝食の準備はしなくても大丈夫だよ。せっかく由宇ちゃんがいるんだからゆっくりしたいし」
「そうか。とりあえず、僕は顔を洗って歯でも磨こうかな」
僕は莉央と一緒に部屋を出た。
大の高校生が、しかも女子と一緒に何を洗面所へ行こうとしているんだと言われるかもしれないけど、莉央は昔のようなことがしたいのだ。昨日の夜の出来事があったせいか、僕も1つ言いたいけれどもここは多めに見ることにする。
洗面所で僕、莉央という順番で顔を洗う。
そして、莉央は僕に青色の歯磨きセットを出した。
「はいっ、由宇ちゃん」
「わざわざ僕の分を用意してくれてたの?」
「うん。いつ来てもいいようにね」
どれだけ用意周到なんだ。
ちなみに、莉央の歯磨きセットは赤色になっている。色が違うだけでデザインなどは一緒なので、いわゆるお揃いである。莉央の拘りなのだろう。
僕と莉央は隣に並び洗面所の鏡の方を向いて歯を磨く。何だかこんなことをしていると幼稚園とかのお泊まり会を思い出す。
だが、その時だった。
『ピンポーン』
と、インターホンが鳴ったのだ。昨夜、僕も鳴らしているから紛れもなくこの音が藤原家のものだと分かる。
「こんな早く何なんだろうね、由宇ちゃん」
夜でなくとも早朝のインターホンは結構どきっとする。莉央が不安そうに僕のことを見てくる。
「よく分からないな。新聞の朝刊ならもっと早いはずだし。とにかく、莉央が出て。僕も後ろについているから」
「……うん、分かった」
不審者という可能性もあるし、ここは男である僕が後ろにいないと。同級生が刺された事件を捜査しているせいか、莉央を1人にしておくのが不安だという考えが根付いてしまったらしい。
莉央は口を濯いで玄関に向かう。僕も続く。
「はーい」
と、言って莉央が玄関を開けると、
「やっと会えたな、進堂、藤原」
この声はもしかして、
『稲葉君!』
そう、稲葉隼人君の声だった。端正な顔立ちで明るい茶髪が特徴である。緋桜学院の制服も着ているので稲葉君本人で間違いないだろう。あまりにも意外すぎる来客だったので驚いて莉央の声と重なってしまった。
「進堂は何とか大丈夫だったんだな」
と、稲葉君は持ち前の爽やかな微笑みを見せる。
そうか、地震が起こった翌日はまだ事件は起きていなかったんだ。僕が地震の所為で渋滞になっていたことは知っているのか。
「ていうか、どうしてここに?」
「藍沢家のメイドさんから進堂が藤原の家にいるっていうのを聞いてさ」
「だけど、ここにいて大丈夫なの?」
「……昨日の夜に、藍沢が俺の無実を証明してくれたんだよ」
「お嬢様が?」
「まあ、正確には俺が犯人であると疑わしい点があるって言って。別の人間が犯人かもしれねえって可能性を示したんだよ」
捜査官の立場であるお嬢様が、被疑者として捕らえた稲葉君の無実を証明したとなれば、他に犯人として浮上した人物でもいるのか?
しかし、まずはそれよりもお嬢様がどのようにして、稲葉君以外が犯人であることに疑いを持ったのかを知りたいところだ。
「お嬢様は何と言って無実であると?」
「藍沢は俺が犯人なら、被害者の腹部に刺すことはあり得ないって言ったんだ」
「腹部に刺すことが?」
「……ああ。俺と片桐はけっこう身長の差があって、互いに立った状態で刺したら下腹部ではなくて胸の辺りに刺さるんじゃないかってさ。片桐を押し倒して指したとしたら尚更おかしいって藍沢家のお嬢様が言っていたぜ」
「何の証拠もなしで?」
「ああ、俺も最初は信じられなかったさ。うっかりナイフに触ってしまったときの指紋が証拠となって拘束されちまったのによ。まさか、証拠なしに不自然な点を挙げただけで自由になれるなんてな」
と、稲葉君は苦笑いをした。
しかし、どんな経緯であれ稲葉君が無事に自由な身となって良かった。やはり稲葉君を信じた僕は間違っていなかったみたいだ。
「でも、信じられないよな。いつも俺達のことを不機嫌そうに見ていて、しかも全然話さない奴が、警察へ助けに来てくれるなんてさ」
「一応、お嬢様は特別捜査官だから。もしかしたら、稲葉君を犯人だと疑ってしまったことに責任を感じちゃったんじゃないかな」
「そういえば、やけに警察の奴らが藍沢のことを言うことを聞くと思ったらそういうことだったのか。あいつの意見を受け入れて、俺が解放したことも何か裏があるんじゃないかって思ってたから」
確かに驚きだよな、稲葉君にとっては。大人である警察の人間を従わせ、自分の意見を通して被疑者を解放するなんて。藍沢家の力とお嬢様の立場を知っている僕ならまだ理解はできるんだけど。今まで被疑者として捕らえられていた稲葉君にはそのようなことを考える余裕もなかったんだろう。
「由宇ちゃん、稲葉君に訊きたいことがあるんじゃない?」
「そうだったね」
莉央の言う通りだ。単純に考えれば、稲葉君が事件の第一発見者じゃないか。聞きたいことはいくらでもある。
「何でも聞いてくれ。たいしたことは言えないかもしれねえけど」
「うん。まずは、どうして現場のトイレに行こうと思ったのかな」
「ああ、先週の半ばに、部室棟に繋がっている水道管に亀裂が入っちまったらしくて。片桐を見つけた木曜の朝にはトイレが使えなかったんだ」
「使えなかった?」
「ああ。火曜の夜に地震があったしその所為じゃないかって俺も思ってる。部室棟の近くに新しくできた茜色の館があってさ、まだ一度も行ったことがなかったから興味本位でそこのトイレを使おうと思って行ったら……」
「ナイフが刺さって倒れている片桐さんを見つけたのか……」
稲葉君の顔色が悪くなっている。片桐さんは亡くなってはいないけれど、その状況はかなり衝撃的なものだから、思い出すだけでも辛いのだろう。
「何が何なのかよく分からなかった。片桐のことは知っていたから、とにかく必死に名前で呼び続けた。でも、目が覚めなくて……刺さっているナイフを早く抜いた方がいいと思って抜こうとしたら、血が出てきて……」
「児嶋君はきっとその稲葉君の声を聞いて、現場まで来たんだろうね。そして、彼が警察と救急車に呼んだ……」
「ああ。俺は血が出ないようにして、救急隊が来るのを待った。それで警察が来て、ナイフの指紋を調べたら俺の指紋があるからってそのまま警察署まで連れて行かれたんだよ」
「なるほどね」
気が動転してしまってはナイフを抜かない方がいいという判断もつかないだろうし。稲葉君を責めることはもちろんしない。
「警察も酷いぜ。俺がナイフに指紋が付いたのは片桐を見つけたときに引き抜こうとしただけだって言ったのに、それを逆手にとって俺を犯人にしようとするからさ……」
「仮にも警察の人たちは幾つものの事件に関わっているからね。ナイフを引き抜こうとしたっていう一言でこいつは殺意があるんじゃないかって連想したんじゃないかな」
「進堂の言う通り、よくよく考えればそうなんだよな……」
稲葉君はとても悔しそうにしていた。あのときにうっかりとナイフを引き抜こうとしていた自分に対して。
でも、ここで稲葉君を解放したとなると、警察はどういう方向性で事件の捜査を進めていくのだろうか。そして、お嬢様も。
「許せねえよ、片桐を刺した犯人がさ。その上、俺に罪を着せるなんて……」
そうだ、稲葉君が犯人でない以上、必ず他にいるんだ。片桐さんを刺した真犯人が。お嬢様はその真犯人が麻衣さんであると考えている。
真実を知るためには、まずどうやって片桐さんが現場となったトイレに行ったのか。そして、彼女を取り巻く人達について。これらを知ることのない限り、僕たちはきっと真実には辿り着けないだろう。
「……なあ、進堂」
「何かな?」
「お前、事件を追っているんだろ。藍沢の屋敷を出てここにいるって、メイドさんから聞いたよ」
「うん、そうだけど」
「俺も協力させてくれ。事件の真実が分かって俺が無実であると分からない限り部活に戻れないし。それに、俺がこんな目に遭った原因を作った奴の顔を見たいんだよ」
だから頼む、と稲葉君は僕に深く頭を下げた。
稲葉君の気持ちが強いことが僕にも分かる。それに、お嬢様と一緒に捜査をして、誰かと協力する方がはるかに効率良くできることも知った。
「分かったよ。一緒に真実を見つけよう」
「……すまないな、俺の我が儘みたいな感じで」
「いや、いいよ。それに、僕も色々と事件について考えていることがあるんだ。莉央と稲葉君には色々と頼みたいことがある。お嬢様に頼れない今……僕達のような一般の人間は足を使わないといけないからね」
「由宇ちゃんの頼みなら、何でも言ってくれていいよ。稲葉君もそうでしょ?」
「ああ、藤原の言う通りだ。真実を俺達で明らかにしてやろうぜ!」
何時の間にか明るくなっていた莉央と稲葉君を見て思った。
――きっと大丈夫だ。
それに、お嬢様も……何か考えを持っているはずだ。だから、証拠がなくとも稲葉君を解放するように尽力してくれたんだと思う。
真実を掴むまであと少しだ。
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