第21話『莉央の思い』

「由宇ちゃん、お風呂どうぞ」

 そう言う莉央の頬はほんのりと赤みを帯びていた。

 そういえば、久しぶりに莉央の寝間着姿を見た気がする。しかし、胸元が少し開いており谷間も見えてしまっている。お風呂から上がってきたばかりなので、バスタオルを首にかけている彼女がとても艶っぽく見える。

「そんなにじっと見つめられると恥ずかしいな」

 おっと、いけない。気づかない間に莉央のことを凝視してしまっていたか。

「それよりも、何か話していたみたいだけど?」

「ああ……藍沢家に仕えているメイドさんからだよ」

「そっか。ちょっと話し声が聞こえたから気になっちゃって」

 莉央は小さく笑った。

 普段と莉央の雰囲気が違うなと思ったら、髪をおさげに結んでいなかったからだ。髪を解くと綺麗なロングヘアに変わる。昔から莉央はおさげの印象が強いので、僕にはやはりおさげが似合うと思っている。本人はどう思っているのかは分からないけれど。

「由宇ちゃんもお風呂どうぞ」

「そうだね、お言葉に甘えて」

「……昔だったら一緒に入って背中でも洗ってあげたんだけど。今じゃちょっと恥ずかしいよね。由宇ちゃんが」

「えっ、莉央の方じゃなくて?」

「だ、だって……由宇ちゃんはかっこかわいいもん。恥ずかしいけど、大丈夫だと思うよ」

 かっこかわいい、ってどういう意味なんだ? 普通にかっこいいとかわいいを足したものなのか? もしそうなら、それはそれで複雑である。

 しかし……幼なじみ同士でしかできないような会話をしてくるな。一緒にお風呂に入りたかったなんて。こういう話をしてくるとは、意外と莉央は危ない女の子だったりするのか? 幼なじみだから気を許しているだけだと信じたいけど。

「あっ、そ、そうなんだ……」

 とりあえず苦笑いをしてごまかした。

 僕は恥ずかしいという以前に女性と一緒に入浴することを避けたいんですが。それが例え死んだ妹だったとしても。

「僕は1人で大丈夫だよ。背中流しはいらないから」

「……うん」

 何故、そこで少しがっかりするんだ?

 とにかく、お風呂に入って今日一日の疲れを取ろう。日中は麻衣さんと出かけ、帰ってきてお嬢様に報告するや否やお屋敷を追放され、最後は莉央の家に来たというジェットコースターのような内容だった。これが一日の中で起きたことかと思うと恐ろしいほどである。

 僕は着替えを持って、脱衣所まで行き服を脱いでゆく。

 うん、女の子っぽいって言われるのが分かる気がする。肌も結構白いし、すべすべっていう言葉が一番に合うほど毛もないし。筋肉なんて生活に必要な程度くらいしかついてないし。鏡に映る自分の姿を見て、改めて現実を思い知らされた気がした。

 三十分ほどお風呂に入った。疲れがかなり溜まっているからか湯船に浸かると温もりが体に染み、強力な眠気に襲われる。

 そして、湯船に溺れそうになったところでお風呂から出た。水色の寝間着を着てリビングに戻る。

「お風呂気持ち良かったよ、ありがとう」

「ううんっ……」

 莉央は僕の荷物を枕にして少し眠っていたらしい。体を伸ばしている。

「体がぽかぽかしているから、眠くなっちゃった」

「あははっ、そうか。子供みたいだね」

「……私だってもう立派な高校生だもん」

 莉央は少し頬を膨らませながら言った。

 でも、確かに立派に成長した気がする、身体的には。精神的にもそれなりに成長している気はするが。

「はいはい。莉央は立派な女子高生だよ。それで、僕はどこに寝たらいい? 客間があればもちろんいいし、御両親がいないからリビングで寝てもいいし」

「リビングで寝かすことはできないよ。それに、もうちゃんと用意してあるし」

「それは有り難いね。客間に布団を敷いてくれたのかな」

「違うよ。由宇ちゃん、私の部屋で一緒に寝て?」

 上目遣いで莉央はそう言ってきた。

 小さい頃と同じ感覚なんだろうな、莉央にとっては。もう立派な女子高生なら男子である僕と同じ部屋で寝ることは避けると思うんだけど。自分の部屋なら尚更。今の感じだと最初から一緒に寝ることを考えていたようだし。

「一緒に寝るっていうのはさすがにどうかと……」

 と、柔らかく断ろうとするが、莉央は不機嫌そうにして、

「こういうことは言いたくないけど、別に私は由宇ちゃんのことを泊めてあげなくてもいいんだよ?」

「……」

 いつ覚えたんだよ、そんな言い方。何だか悲しくなるな。

「別に一緒のベッドで寝て欲しいなんて言っていないんだよ。ベッドの横に布団を敷いて寝て欲しいなって思っているだけ」

 まあ、そういう風にして寝るならまだ大丈夫か。それに、断ったら意外と本気で僕のことを追い出すかもしれないし。雨風凌いで寝られる場所があるだけでも有り難いことなのだ。ここは莉央の言うことを聞くことにしよう。

「分かった、それなら別に構わないよ」

「本当に? やった!」

 そこまで喜ばれると逆に複雑なんですけど。

 莉央の御両親は火曜日まで北海道旅行ということなので、荷物はリビングに置かせてもらうことにした。

 そして、僕は莉央に連れられて彼女の部屋に入る。

「どうぞ、由宇ちゃん」

「お邪魔します」

 部屋の中はとても綺麗に整理整頓されている。塵1つ落ちていない感じ。そして、僕が寝るための布団がベッドの横に敷かれていた。

「久しぶりだな、莉央の部屋に入るのも」

「そうだね。中学生になってから滅多に来なくなったもんね」

 だいたいその時期からだろうか。幾ら幼なじみでも女子の家に頻繁に行くことを避けるようになったのは。週1で行っていたのが、段々と月1、長期休暇に1回だけという風に頻度が減っていった。莉央の部屋に入るのも3年ぶりくらいだろう。

「高校生になっても、僕が覚えている部屋の雰囲気と変わってないな」

「そうかな……」

「何というか安心した、変わってなくて。もちろんいい意味で言っているんだよ」

「分かってる。由宇ちゃんもそんな優しいところ、変わってないよ」

 僕は布団の上に仰向けになった。

「うん、何だか落ち着く。単に疲れが溜まっているだけかもしれないけど」

「……ふふっ。由宇ちゃん、もう電気消してもいい?」

「そうだね。布団の上に横になった途端に眠くなってきちゃった。せっかく家に来たからもう少し莉央と話したいけど。ごめんね」

「別にいいよ。私はその……またこういう時が来るなんて思わなかったから。由宇ちゃんが私の部屋にいるだけで凄く嬉しいし」

 と、莉央は照れながら言っている。

 今の言葉からして、莉央は昔から変わりなくずっと僕と一緒の時間を過ごしたかったのだろう。純粋にそう思っていることが分かるから、僕は胸を締め付けられる。

 そして、莉央は部屋の照明のスイッチを切った。

 僕は布団の中に入り、莉央も自分のベッドの中に入る。窓から差し込む月明かりのおかげで莉央の顔が何とか見えている。


「ねえ、由宇ちゃん」

「なに?」

「あれだけの荷物を持ってきたってことは……もう、藍沢さんのお屋敷には戻らないつもりなの?」


 莉央の純粋な問いかけに僕は言葉を詰まらせた。

 正直、僕は迷っている。

 とりあえず今は屋敷を出ろというお嬢様の命令を遂行するため、ある程度の荷物を持って莉央の家に来ている。

 ただ、これからの生活をどうするかは別だ。真宵さんに頼んでアパートでも借りて1人暮らして、普通の高校生活を送るという選択肢もある。もちろん、お嬢様に頭を下げて再び執事として藍沢家のお屋敷で生活するということもできるかもしれない。

 今の時点では莉央に返答することができない。色々と迷いがありすぎて。しかし、

「由宇ちゃん、よかったら一緒に住まない?」

 莉央の口からそんな提案が飛び出した。

「この家に住むってこと?」

「うん。1年前、由宇ちゃんの家族全員が交通事故で亡くなったとき、由宇ちゃんの親戚の人達を説得させて家で一緒に住まわせようかってお父さんが言ったの」

「莉央のお父さんが?」

 僕、そんな話……初めて知ったぞ。告別式が済んで数日後に突然、真宵さんが僕の保護者になると言ってきてすぐに決まったから。

「だけど、すぐ後にその必要はないって天草真宵さんっていう人に断られたんだって」

「そうだったのか……」

「きっと、由宇ちゃんは今、あの時と同じ状況だと思うの。ううん、住む家がなくなっちゃったから今の方が辛いかもしれない。だから私、今度こそは由宇ちゃんのことを助けたいの」

「何を言ってるんだよ、1年前……僕を支えてくれたのは莉央だったじゃないか。莉央がいなければ僕は今、ここにいなかったのかもしれない」

「由宇ちゃん……」

「だから僕は……莉央には感謝してるよ。言葉だけじゃ足りないくらいにさ」

 僕は体を起こして、ベッドで横になっている莉央の顔を見る。

 彼女の目から涙が流れていた。どちらかというと嬉し涙というよりも、悔し涙のように思える。何故そう見えるかは分からない。


「……由宇ちゃんとずっと一緒にいたい」


 莉央は僕の目を見て言った。僕にしか聞こえないような小さな声で。

「もう、由宇ちゃんがいなくなるかもしれないって思うのは嫌なの。1年前の交通事故もそうだし、この前の地震もそうだった」

「莉央……」

「今度、藍沢さんの執事になってこのまま事件に関わり続けたら巻き込まれて死んじゃうかもしれないんだよ? 由宇ちゃんには普通の高校生活を送って欲しいの。それに、できれば私の家から一緒に通って、ずっとずっと……私は由宇ちゃんの隣にいたい」

 暗くても莉央の頬が紅潮していることが分かった。

 普段から穏やかな口調で話す彼女の言葉が、胸に痛みをもたらせる。今夜、家に来てからずっと莉央は色々な言葉で僕にあることを伝えていた。

 ――昔のように、ずっと僕と一緒にいたい。

 時が経つにつれて僕は距離を置いてきたのに、莉央は逆に僕との距離を保とうとしたかったのか。それどころか、距離を縮めようともしている。

「莉央、その気持ちは嬉しいよ。でも、僕は……」

 確かに僕は莉央に何度も辛い思いをさせてきてしまった。僕と一生会うことができないと不安にさらしてしまった。莉央の言うことも分かっている。事件を捜査することは一歩踏み外せば死にも繋がってしまうということを。だけど、

「真実を明らかにすることで救われる人もいると思うんだ。今もきっと、誰かが苦しんでいるはずだよ。その人のことを見放さないわけにはいかない。もちろん、莉央を不安にさせないって約束する」

「……そっか。じゃあ、絶対に守ってね」

 僕は莉央の頭を優しく撫でた。

 莉央が僕を想う心は僕が莉央を想う心よりもずっと強くて、時には脆い。女性の心って皆こんな感じなのだろうか。それとも莉央の性格だったりするのだろうか。

 僕だって、何時でも見られるなら見ていたいさ。ずっと変わらない莉央の笑顔は何度も僕のことを救ってくれたんだから。

 しばらく撫で続けると莉央は寝息を立て始めたので、僕も眠ることにした。

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