第19話『幼なじみの家』

 同日、午後9時。

 さて、お屋敷を出たのはいいけれど。どこに行けばいいだろうか。

 できれば男子の家に行きたいところだけれど、稲葉君は今も警察の方に勾留されているし、こうなったら彼女の家に行くとしよう。

 藍沢家のお屋敷の門から歩いて20分ほど。

 僕はある人の家の前に立っていた。家の中からは明かりが見えるので、どうやら誰かはいるらしい。

 僕は躊躇なくインターホンを押した。

 おなじみのベルが鳴り、スピーカーから、


『はい、どちら様ですか?』

「由宇だよ。ちょっと訳があって莉央の家に泊めて欲しいんだけど」


 そう、ここは莉央の家だ。

 僕が小学生くらいまでの時は、たまに莉央の家に泊まりに行っていた。莉央には兄弟がいないので、莉央の御両親も僕が来ることを喜んでくれていたことを覚えている。さすがに今は高校生になったので遊びに行くことさえ碌にしなくなった。

 そんな僕が、いきなり押しかけてくるのはどうなんだろう。しかも日が沈んだ後に。断られることを覚悟で訪ねている。

『うん、いいよ。今、そっちに行くね』

「ありがとう」

 大丈夫らしい。藤原家の皆さんに感謝だな。

 1分ほどして、莉央が玄関から出てきた。上は灰色のパーカーに、下は青いデニムのホットパンツというラフな格好である。

 莉央って意外とスタイルがいいな。意外と脚も長いし、胸もかなり大きいし。今のこの服装だからかそれが強調されているように思えた。

「夜遅くにごめんね」

「別にいいけれど……どうかしたの? その荷物……」

「一言で言うと、お屋敷から追い出されちゃった」

「ふうん……」

 あれ、意外と驚かないんだな。僕の執事生活がたった2日間だった所為かな。

「とにかく、早く中に入って」

「ありがとう。お邪魔します」

 僕は重い荷物を持って、莉央の家の中に入った。今まで暗い夜道を歩いていたからか何だか眩しい。

 革靴を脱ごうとしたとき、玄関にある靴は莉央のローファーと今履いていたサンダルしかないことに気づく。

「御両親はどこかに出かけているの?」

「うん。昨日から3泊4日で北海道に行っているよ」

「莉央はお留守番なんだ」

「久しぶりに夫婦水入らずの時間を過ごして欲しいし、それに私は学校があるから。由宇ちゃんにもお土産を買ってくるって言ってたよ」

 と、莉央は優しい笑顔で言った。

「毎度悪いね。いつも美味しく頂いてるよ」

「いいんだよ、お父さんもお母さんも由宇ちゃんのこと家族みたいな感じに思ってるし。由宇ちゃんへのお土産は当たり前になっているみたいだから」

 僕と莉央は近所というのもあってか、小さい頃から家族ぐるみの付き合いをしている。

 1年前、僕の両親と妹が交通事故で亡くなったときも、一時期、莉央や彼女の御両親が僕のことを献身的に面倒見てくれた。今の僕があるのは、藤原家の皆さんのおかげだと言っても過言ではない。

「……あっ、そうなると今夜は僕と莉央の2人だけか」

「そ、そうだね……」

 急にそわそわし始めたぞ、莉央。

 やっぱり莉央も高校生だから家で2人きりという単語に感じるものでもあるのか? 確かに高校生になってからこのシチュエーションは初めてだけれど。

「とにかく、荷物はリビングに置こう」

「うん、分かった」

 僕は革靴を脱ぎ、莉央の指示通りにリビングまで荷物を持っていく。荷物を置くと疲れが溜まっているからか自然とソファーに座ってしまう。

「はあっ、疲れた……」

「随分と大きそうな荷物だもんね」

 と、僕のことを気遣ってか冷たい麦茶を莉央は出してくれた。

「ありがとう」

 莉央は僕の隣に座る。そして、僕のことを覗き込むような体勢になり、

「こんな時間に来るなんて何かあったの? お屋敷を追放されたって言っていたし。私で良ければ聞いてあげるよ」

 僕の耳元でそっと囁いた。その際に彼女の温かい吐息が耳にかかりくすぐったい。

 幼なじみだからなのか。それとも、莉央の優しい雰囲気からなのか。僕は何も躊躇することなく、今日の出来事と僕が調べている事件について話した。

 そして、莉央は何も口を挟まずに静かに聞いてくれた。

「つまり、由宇ちゃんと藍沢さんの意見が根本的に食い違っちゃったわけなんだ。高梨さんが犯人かどうかってところで」

「うん。お嬢様に自分と考えに従えなければ屋敷から出て行けって言われて」

「なるほどね……」

 それは大変な1日だったね、と莉央は言った。

 でも、莉央が言うと大変そうに思えないのは気のせいだろうか?

「あっ、今……私に対して失礼なこと思ったでしょ」

「別に思っていないよ。ただ、やっぱり幼なじみは分かってくれるなって思ってただけ。それに、ここにいると不思議と落ち着く。莉央がいるからかな?」

「そんなこと……ないと思うよ。でも、そう言ってくれると……嬉しい」

 莉央の頬がほのかに赤くなっている。

 いつの間にか、莉央が僕に寄り添っていた。その証拠に、莉央の温もりと何か柔らかい物が当たっている感触が感じられる。

「でも……藍沢さんの気持ちも少し分かるかな」

「どういうこと?」

「だって、自分の執事が他の女の子とお出かけに言ってたら、あんまり良い気分にはなれないかも。しかも、自分宛に届いた招待チケットを使って楽しんだんでしょ?」

「……そうだね」

 何だか急に罪悪感が芽生えてきたぞ。

 そうか、やっぱり僕の考えは当たっていたのか。執事が自分以外の女性にばかり相手にしていては、それはお嬢様にとって不満なのは当たり前か。

「それに……藍沢さんも間違っていないと思うよ」

「麻衣さんのことを疑うってこと?」

「うん。言い方は悪いかもしれないけど、藍沢さんは高梨さんが犯人だって信じているんだと思うよ。疑うっていうことも、信じることの1つなんじゃないかな。まあ、これは私の考え方なんだけどね。疑うって言葉、あまり好きじゃないし」

 微笑みながら莉央は言う。

「だから、藍沢さんは凄いと思う。私みたいな一般人が目を背けたくなるような現実に向き合って、犯人を見つけるなんて。疑うことは容易くできるかもしれない。でも、私にはそれがとても辛いことであって欲しいな」

「……」

 僕は何も言うことができなかった。

 こういう考え方もあるんだと感服している。莉央の持つ優しさは他の人と違う優しさだ。また、幼なじみに救われた感じがした。

「でもね、由宇ちゃんの考えも間違ってないと思うよ」

「えっ?」

「……高梨さんが犯人じゃないって信じること。私は由宇ちゃんの信じることを応援するつもりだよ。結果、由宇ちゃんを裏切るようなことになってもね」

「莉央……」

「だって、たとえそうなっても、由宇ちゃんは立ち向かっていけるって私は信じてるもん。だから、不安にならなくていいんだよ」

 ああ、幼なじみって凄い。

 正直、お嬢様にあんなことを言ったけれど……僕はずっと不安だった。麻衣さんが無実であると信じることは間違っているんじゃないかって。

 もう、莉央は僕の心なんてお見通しなのだろうか。

「情けないな、僕も」

「由宇ちゃんは立派だよ。家族全員失っても、由宇ちゃんは元気に学校に来られるようになったし。地震で重体になっても、今こうして……私の隣にいるし」

 笑顔で言ってくれる莉央の存在は今の僕にとって本当に大きな支えになっている。

 そういえば今……お嬢様はどうしているのだろう。元々は僕がいなかったわけだから、1人で普通にしているとは思うけど。僕の存在なんて忘れて貰っても構わないので是非そうであって欲しい。

「藍沢さんの事でも考えてた?」

「あっ、いや……そんなことはないよ」

「口でそう言っていても目を見ればそれは違うって分かるよ。人は目だけは嘘をつけないんだって。目は本当にあることしか見えないから」

「へえ……」

 あの時の麻衣さんの目はどうだっただろう。僕に片桐さんを刺していないと信じて欲しいと言われたあの時のことだ。必死に思い出そうとするけど思い出せない。

「だから、今の言葉は嘘だって分かる。でも、由宇ちゃんは優しいから私からは何も言わないよ。悪いことを考えてるわけじゃないって分かるから」

 意外と莉央は捜査向きなのかもしれない。彼女ほどの洞察力があれば、麻衣さんの言っていることも本当か嘘か見抜けそうな気がする。

 相手の目を見る。それが人と話すときの基本だと小学生のときに教わった。よくよく考えれば、莉央が今言ったことは当たり前のことなのだろう。

「短い間だけど由宇ちゃんは執事だったんだもん。考えるのは当たり前だよ」

「……莉央の前では嘘はつけないな」

「別に私が由宇ちゃんの全てを見抜ける訳じゃないって」

「でも、結構見抜いていると思うよ。恐ろしいほどにね」

「それ、酷いなぁ」

 莉央は頬を膨らませる。多分怒っているんだろうけど、さほど恐く感じない。むしろ、可愛い方に捉えることができてしまう。

「でも、さすが幼なじみだと思う。莉央が今……ここにいてくれて良かった。僕はそう思ってるよ」

「……私も同じだよ、由宇ちゃん」

 莉央の顔はすぐに普段通りの柔らかな笑みを取り戻した。

 そうだ、今はここにいれることだけでも莉央には感謝しないといけない。莉央がいなければ僕は途方に暮れて今も寝られる場所を探し続けていたと思うから。

「私、そろそろお風呂に入ってくるね。実はお風呂の準備をしていたところで由宇ちゃんが来たんだ」

「それは間の悪いときに来ちゃったね」

「ううん、いいんだよ。由宇ちゃんが泊まってくれるのは凄く嬉しいし」

「じゃあ、僕のことは気にせずにゆっくり入って。僕も今はこうしてゆっくりとソファーで寛ぎたい気分なんだ」

「……そっか。じゃあお言葉に甘えさせてもらうね。由宇ちゃんもゆっくりしてね」

 そう言うと、莉央はリビングを出て行った。

 今日は色々とあったから結構疲労が溜まっている。僕はソファーの上で仰向けの状態で横になった。

「犯人は、どうやって片桐さんを現場まで来させたんだろう……」

 この事件の最大のポイントはまさにそこだと思っている。お嬢様は何か気づいたような感じではあったけど……お嬢様にお屋敷を追放された今、僕が自分で見つけないといけない。

『プルルッ……』

 僕の携帯の着信音だ。誰からだろう?

 すぐに携帯電話を取り出し発信元を確認すると『浅野未来』となっていた。

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