第18話『衝突』

 午後6時。

 藍沢家のお屋敷に帰り、僕は自分の部屋に入ってお嬢様に報告をするために執事服に着替える。女装姿でお嬢様に報告するのはどうかと思うし。

 廊下に出ると、未来さんが立っていた。休日だけどメイド服を着ている。

「今日は楽しかったですか?」

「ええ、おかげさまで」

「相手の方の……高梨さんも楽しまれていましたか?」

「はい、やっぱり真宵さんの大ファンだからか……凄く喜んでいました。美術館では真宵さんとも会えましたし」

「そうですか。なら良かったですね」

 未来さんは柔らかな笑みを浮かべる。

 僕と未来さんはお嬢様のいるリビングに向かう。

 ふと、横の窓から外を見ると満天の星空が見えた。きっと、犯人も今……どこかで僕と同じ空を見ていることだろう。

「そういえば、未来さん。ありがとうございました」

「私、何かしましたか?」

「昨日、言ってくれたじゃないですか。個展は楽しむべきだって。真宵さんは自分の作品を見て楽しんで貰いたいだろうと」

「……確かに、そんなこと言いましたね」

 照れているのか、未来さんの頬が若干赤くなっている。

「全くその通りでしたよ。麻衣さんの楽しそうな表情を見ていてそう思いました。それに、真宵さんからも同じようなことを言われましたし」

「きっと、高梨さんにとっては今日という日が忘れない1日になったんでしょうね」

「そうであれば僕としても嬉しいですね」

 僕個人としても、母さんと真宵さんの昔話も聞けたし、色々と収穫できた1日だったと気がする。僕も忘れられない1日になったかな。

 やがて、リビングの前に辿り着く。未来さんがノックをし、

「失礼します」

 と、言った後に僕はリビングの中に入る。

「ただいま帰りました、お嬢様」

「お帰りなさい、由宇」

 赤系統の色のミニスカートと白いTシャツというシンプルな出で立ちのお嬢様は、僕のことなんて気にしていないのか足を組んで窓側のソファーに座っている。

「そこに座って」

 僕は扉に近い方のソファーに座る。お嬢様とはテーブルを挟んでお互いに向き合っている状態になっている。僕がここにいるのだから早く足組みを止めて頂きたい。

「それで、どうだったの? 何か話でも聞けた?」

「はい。お嬢様の聞いた噂通り、麻衣さんには失踪した恋人がいました。いえ、正確には片桐さんに奪われた恋人と言えば良いでしょうか」

「やはりあの噂は本当だったのね……」

「そして、その恋人の名前は永瀬和也。2年5組に在籍している生徒です。麻衣さんと永瀬君は1年生の時に同じクラスで、去年の秋頃から付き合い始めました。そして、今年度が始まると急に疎遠関係になり、彼女の友人の話からその原因は片桐さんが永瀬君と付き合っているのではないか、ということでした」

「つまり、被害者の片桐さんは高梨麻衣に恨まれる要因があった。言い換えれば高梨麻衣には動機があったとも言えるわね」

 失踪した恋人の噂はお嬢様が言っていたことなので、お嬢様は何も驚くようなこともなかった。予想通り、の一言に尽きるだろう。

「他に何か情報はなかったかしら?」

「そうですね……真宵さんの大ファンだったというのは本当でした。真宵さんと実際に会ったためか、美術館では終始テンションが高かったです」

 僕がそう言っている間に。未来さんが僕とお嬢様に紅茶を出してくれた。お嬢様はその紅茶を一口飲みながら、僕のことをちらちらと見てくる。

「そ、それで……た、楽しかったの?」

「はい。色々とありましたけど……」

「ふうん……」

 と、不機嫌そうに顔を背けられてしまった。思ったよりも聞き出せた情報が少なかった所為なのかな。

 そこからはお互いに言葉が出ない。未来さんもお嬢様の座っているソファーの横で微笑んで立っているだけだし。ど、どうすればいいんだろう。

「ねえ……由宇。訊きたいことがあるんだけど」

「何でしょう?」

「……高梨麻衣のこと、犯人だと疑っているの?」

 僕にそう訊く今のお嬢様の雰囲気が麻衣さんとそっくりだった。麻衣さんは冗談だとこの後すぐに笑ったけれど、お嬢様は違う。本気で訊いている。

 どう反応されるか不安だけど、僕は自分の素直な気持ちに従ってみる。


「いえ、疑っていません」

「どうして?」

「彼女自身が犯人でないと言っているからです。僕はその言葉を信じたいと思っています」

「はあっ?」


 どうしたんだ? お嬢様が今までにないくらいに怒っている。それほど、僕の答えはまずかったのか?

「捜査において人を信じるなんて考えられない。ましてや、犯人だと思われる人のことを信じるなんて尚更よ」

「それは分かっています。けれど――」

「それ以前に、捜査に私情なんて入れちゃいけないことくらい分かってるでしょ! どうして高梨麻衣の言うことなんかを信じるのよ!」

 僕に何も言わせないように、お嬢様は罵声とも言えるくらいの声を浴びせる。何がここまでお嬢様を過剰に怒らせているんだ?

「とにかく、お嬢様……落ち着いてください」

「……どうせ、高梨麻衣のことが可愛い女の子だと思っているんでしょ。あの子は由宇にアクセサリーをプレゼントしてしたり、手も繋いだりするから……」

「お嬢様、どうしてそれを?」

 まさか、今日一日……お嬢様は僕と麻衣さんのことを見張っていたのか? アクセサリーはお屋敷に戻ってきたときに見つけた可能性があるとしても、手を繋いでいるなんて……あの場面を見ない限りは分かることのないことだ。

「あたし、知ってるんだから。由宇が高梨麻衣に手を握られて、自分のことを信じて欲しいって言われたこともね」

 どうやらお嬢様が僕と麻衣さんを見張っていたのは確定のようだ。

 でも、どうしてそこまで見ておきながら、僕に改めて麻衣さんが犯人だと疑っていると訊いたんだと言いたかった。

「もう1回だけチャンスを与えるわ。あなたは高梨麻衣のことを犯人だと疑っているの? 答えなさい」

 今の口調からして、お嬢様は何としても自分と同じ考えにしたいらしい。

 でも、僕も執事である以前に人なんだ。僕は僕の考えを通させてもらう。

「……僕は考えを曲げるつもりはありません。僕は彼女が犯人でないことを信じます」

「どうしてなの?」

「それは僕が訊きたいです。何故、お嬢様は……麻衣さんのことを疑うんですか? 私情でないのであれば、疑うことが妥当である証拠があるはずです」

 そう、疑うことが私情からでないのなら、ちゃんとした証拠があるはずだ。

しかし、お嬢様は何も言い返すことができない。

「今、お嬢様が麻衣さんを疑うことも私情からではないのですか? 麻衣さんは片桐さんに動機を持っているとも言えるでしょう。しかし、それ以外は何もない。つまり、犯人だと疑うにしろ、無実だと信じるにしろ、現時点では私情からしか成り立たないと僕は思います」

 捜査に私情は言語道断、みたいなことをお嬢様は言っているけど……その捜査するのは心を持つ人間なんだ。私情の一切ない捜査なんて実現できるのだろうか。

「それに、麻衣さんは永瀬君が姿を眩ましてしまったことに苦しがっているんです。そんな中で、僕やお嬢様が片桐さんを刺した犯人だと疑ってしまえば、麻衣さんにとってそれは非常に辛いことではないでしょうか」

「それは……」

「それに、僕はほんの僅かな可能性であっても……まずはどんな人でも無実であると信じてみたいんです。だから、僕は麻衣さんが無実であると信じます」

 そして、それは稲葉君にも言えることだった。警察が犯人だと疑っていても僕は稲葉君が無実であると信じている。稲葉君の場合は今までの付き合いからそんなことはしないという私情が介入しているわけなんだけれど。

 お嬢様は俯いたまま黙っている。

そして、暫くの間無言の時が流れた後に、

「……出て行きなさい」

「お嬢様……」

「あたしの考えに従えない人なんていらない! 由宇には幻滅したわよ……」

 言葉通りなのか、お嬢様はそんな僕の顔を見ずに言い放った。見損なった僕のことなんて見たくないのだろう。

 お嬢様がそう言うのなら、僕の答えはこれに尽きる。

「分かりました、お嬢様。短い間でしたが……お世話になりました」

 僕はお嬢様に深く頭を下げ、すぐにリビングを出た。

 そして、僕は自分の部屋にあった大きめのバッグを2つほどに生活に必要なものを詰め込んで、藍沢家のお屋敷から離れる。

 一度、お嬢様とは離れた方が良いかもしれない。

 だけど、この事件を野放しにはしない。真実を求めることは一般人の僕にだってできるはずだ。その真実が僕を裏切る結果となったとしても、僕は決して逃げるつもりはない。

 それをお嬢様に伝えられなかったことが、唯一つの後悔だった。

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