第15話『憧れの人-後編-』

 僕は真宵さんを連れて、入り口の方まで一緒に行く。

 企画展を開いている天草真宵が実際に来ているので、かなりの人からの視線を浴びているけれど……僕はそれも気にせず真宵さんにしか聞こえないくらいに小さな声で、本当のことを言う。

「つまり、藍沢さんは茜色の館で起こった事件の犯人が高梨さんだと思っているのか」

「ええ。それで、彼女が真宵さんの大ファンであると知ったので、真宵さんが送ってきてくれた企画展への招待チケットを使って彼女を誘ったんです。色々と話を聞くために」

 やはり内容が内容だけに、真宵さんも真剣な表情になっている。

「なるほど。彼女を誘うにはもってこいだったわけか」

「ええ。すみません、こんなことに使ってしまって」

「いや、いいんだよ。彼女、すごく喜んでくれているみたいで。それも由宇の同級生だなんてさ。個展を開催する芸術家としても、由宇の保護者としても嬉しい他はないって」

「真宵さん……」

「でもさ……わたしからのお願いだ。せめて、この個展にいる間だけはさ……捜査とか聞き込みとかは忘れてくれないか? 我が儘なのは分かってるけど」

 真宵さんの言うことは正しい。

 芸術作品は人を楽しませるためにあるんだ。作品の世界観に共感して貰ったり、何か自分の意見を持って貰ったり。

 そんな作品の前で全く関係のない捜査のことを考えるのは御法度なのかもしれない。それは違うのかもしれないけれど、作品を作った人達にとっては決して気分のいいことではない。ましてや、捜査される人物が自分の作品が大好きだと言ってくれている人なら尚更だ。

「分かりました」

 未来さんの言う通りだった。真宵さんは楽しんで貰いたいはずだと。

「……そう言ってくれると思ったよ」

 真宵さんは口角を上げていた。

「まあ、今日は一緒に廻ってわたしが直々に解説もしてやるから。感謝しな?」

「麻衣さんがとても喜んでくれると思います」

 今の真宵さんの言い方、何だか腹が立つな。しかし、ここは真宵さんの個展なのでぐっとこらえておく。

「この美術館では初の個展なんだよ。小さい頃から姉さんと一緒に来た場所だからさ。こうしていられることに嬉しくてたまらないんだ」

「母さんとよく来ていたんですか」

「ああ。1年前……海外で活動できることになって、日本を発ったらすぐに姉さんが交通事故で死んじゃって……。その時に決めたんだ。いつかは絶対に日本でも活躍して、色々と思い出のある瀬崎現代美術館で個展を開きたいって」

 真宵さんの目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 そうか、ここは……真宵さんにとって特別な場所だったのか。日本を代表する芸術家、天草真宵の発祥の地と言ってもいいのかもしれない。もしかしたら、自分の功績を僕やお嬢様、未来さんに見せたかったのかもな。

「じゃあ、真宵さんの夢が叶ったわけなんですね」

「そうだな」

「きっと、天国にいる母さんもきっと喜んでいると思いますよ」

「うん。でも、姉さんにも見せたかったな。姉さんが一番応援してくれたからさ……」

 ついには涙が流れ始めた。

 母さんが亡くなって、僕もショックだったけど……真宵さんもショックを受けていた。だけど、今まで弱音なんて数えるくらいにしか言わなかった。できるだけ僕を不安がらせないように。

「だけど、メディアでは大人気とか言ってくれるけどさ……実は個展を開くのが不安だったんだよ。煽りだけで、実際には人気なかったらどうしようって」

「でも、こんなに人がいるじゃないですか。注目されている証拠ですよ」

「それはたまたま何か企画展があるから来てくれるってだけで、本当にわたしの作品が好きな人がいるのかどうか分からなかったんだ。でも、高梨さんのおかげで……やっと、この個展を開いて本当に良かったって思えたんだよ」

「そうなんですか……」

 珍しいな、真宵さんがそんな弱音みたいなことを言うなんて。僕の知る真宵さんは、自分の信じた道をなりふり構わず進むような感じだから。

「だからさ、やっぱり……高梨さんには楽しんで欲しい。あと、由宇……お前にもな」

「そうですか。でも、僕にはやはり真宵さんからの説明がないとあまり分からない部分が多くて。解説、お願いできますか?」

「任せろっ!」

 真宵さんは右手の親指をぐっ、と上げた。

 僕と真宵さんは作品を見ている麻衣さんの所に戻る。

「高梨さんだったな。今日は来てくれたお礼として、わたしが特別にそれぞれの絵について解説してあげよう」

「いいんですか!」

「これも何かの縁だよ。訊きたい作品があったら遠慮なく言ってくれていいから」

「……あ、あのっ……これはお願いなんですけど」

「ん? どうした?」

 麻衣さんは緊張している所為か、脚がかなり震えている。

「サ、サインして貰えないでしょうか……?」

「それは別に構わないけど、何にサインすればいいの?」

「それは大丈夫です。ちゃんと色紙を持ってきたので。もしかしたら会えるかも、って今朝買っておいたんです」

 凄いな、それで実際に真宵さんに会えてしまうんだから。引きが相当強いみたいだ。

 麻衣さんがバッグから取り出した色紙を真宵さんは受け取り、持っていたサインペンでサインをした。こういうことは手慣れているのかな。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございますっ! これ、一生の宝物にします!」

 真宵さんから色紙を受け取った麻衣さんは、嬉しそうに色紙を抱きしめる。

「そう言ってくれると嬉しいね。由宇もそう思うだろ? 叔母が可愛い女の子からこんなに慕われているなんてさ」

「……そうですね」

 さっきの弱音はどこに吹っ飛んだのか。

 ようやく、真宵さんという人間が凄いことを分かってきたところだ。それを教えてくれたのは紛れもなく麻衣さんである。

「それじゃ、さっそく見ていこうか」

「はいっ!」

 その後は真宵さんを加えて3人で企画展を廻った。

 結局、麻衣さんは全ての作品について真宵さんから解説を聞いた。本当に勉強熱心だし尊敬に値する。真宵さんも面倒臭からず、むしろ嬉しそうに全作品について語り尽くした。

 僕に分かったことは、今までシンメトリーを中心としてやってきたのだけれど、徐々にジャンルに拘らず自分の描きたい世界観を求めているということ。最後の数作品くらいはシンメトリーな作品でなかったのがその証拠である。

 また、茜色の館のデザインを任されたときはまだまだシンメトリックな頭脳だったので、シンメトリーなデザインになったのだとか。

「……以上かな」

「もう今日の事は一生忘れられない思い出になりました」

「そうか、あたしも良い思い出になったよ。まさか由宇がこんなに可愛い女子を連れてくるとはね。しかも、その子があたしの大ファンだったなんて」

「別に私……そこまで可愛くないですって。天草さんの方がよっぽど可愛いです。ツインテールがとてもお似合いだと思います」

「苦労してシンメトリックにした甲斐があったな」

「……まさか、髪まで気を遣っていたんですか?」

「当たり前だろ?」

 さも当然のように答えられてしまった。

 今一度見てみると、左右の髪の量とか均等に分けられている気がする。芸術家ってこんなところにも拘るのか。

「おい、由宇。今、何だか侮辱された気がするんだけど」

「気のせいですよ」

「だったらいいけど。とにかく、由宇に来てくれて嬉しいと思ってるよ。保護者であるわたしがどんな仕事をしているのか、こうして見せることができたわけなんだから」

「そうですね。ようやく安心できた気がします」

「……お前、わたしのことちっとも敬ってないだろ」

「尊敬していますって。今日の個展を見て、やっと真宵さんの凄さが分かりましたし、僕もやっと安心して緋桜学院に通えますよ」

「まあ、そう言ってくれるならいいけれど」

 真宵さんは腕を組んではにかんだ。

 何だかこういうところ……実はお嬢様とそっくりなのかもしれない。ある分野で才能を発揮するところとか、意外なところで子供っぽいところとか。

「……あの、つかぬ事をお伺いしますが」

「何かな、高梨さん」

「さっきから、進堂君が天草さんのことを保護者だと言っていますけど……進堂君の御両親に何かあったんですか?」

「交通事故で亡くなったんだよ。1年前に。実は由宇には妹がいたんだけど、彼女も巻き込まれてね。独り身だった由宇のことを私が面倒見ようと思ったわけ」

「そうだったんですか……」

 麻衣さんは申し訳なさそうに僕の方を見た。

「気にしないでください。もう1年も前のことですし、1人暮らしも慣れたので。まあ、それも地震の所為で終わっちゃったんですけどね」

「色々と大変な思いをしたんだね、進堂君……」

「いえ、亡くなった両親と妹の苦しみに比べれば全然ですよ。そして、真宵さんに比べれば全然苦労もしていません。それに、今の生活……けっこう楽しいですから。だから、お嬢様の執事になることを勧めてくれてどうもありがとうございます。真宵さん」

 僕は真宵さんに深く頭を下げた。

 執事として働き始めて2日目。まだまだ駆け出しの僕だけど……楽しいってことだけは確実に言える。だから、何時かは真宵さんにお礼が言いたかった。

「あ、頭を上げろよ。他の人がいる前でそんなことをされると恥ずかしいだろ……」

 僕の方へ一切向かず、頬を赤くしながら真宵さんは小さな声で言った。

「でも、保護者として嬉しいよ。由宇が満足してくれているのが分かってさ」

「……はい」

「とにかく、わたしと由宇はこんな感じなんだ。高梨さん、由宇と……これからも良い友達でいてほしい」

 今度は真宵さんが麻衣さんに頭を下げる。

「そ、そんな……私は元々そのつもりですし。頭を上げてください」

 真宵さんは麻衣さんの言葉に従い、頭を上げた。

 思えば、真宵さんのこんな姿を見るのは初めてだ。何だかんだで、真宵さんは保護者としての責任を感じているのかもしれない。

「ありがとう、高梨さん」

 ぎゅっ、と真宵さんは今一度、麻衣さんと固い握手を交わした。

 その時の麻衣さんは笑顔だった。でも、その笑顔の奥底で悲しそうにしているようにしか見えてならなかった。何時か前に感じた違和感と繋がっているのかもしれないと思いながら、僕は麻衣さんのことを黙って見ていた。

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