第12話『チケット』

 夜、お屋敷のリビングにて。

 未来さんの作った夕飯を食べ終え、今は僕とお嬢様と未来さんの3人で食後の紅茶を楽しんでいるところだ。ちなみに、紅茶の茶葉はハーブティーである。

 僕等はテーブルを挟んで向かい合うようにしてソファーに座っている。僕が1人で座っていて、その向かい側にお嬢様と未来さんが座る形だ。

「麗奈お嬢様、捜査の方はいかがでしたか?」

「思った以上に捗ったわ」

「それは良かったです」

「ねえ、聞いて。由宇って意外と頭が切れるのよ」

 意外、ってどういうことだ。

 別に推理なんてあまりできないとは思っているけど、いざそういう風に言われると萎えてしまうな。褒められているはずなのに。

「僕はただ、思ったことを言っているだけです。お嬢様がいなければ色々と分からなかったところもありましたし」

「でも、あたしに色々と難癖をつけてくるじゃない」

「そんなつもりで言っているわけではないんですけどね……」

 何だ? 協力しているつもりなのに、お嬢様にとっては邪魔ってことなのか? そう思ってないことを願うばかりだ。

「由宇さん、優しそうな方ですけど」

 と、僕の方を見ながら未来さんは言ってくれる。そんなあなたがとても優しいと思います。

「……そ、それは分かってるわよ。昨日初めて会ったわけじゃないんだし、由宇が悪い人じゃないっていうくらいは……」

「ふふふっ、そうですか」

 未来さんはくすくすっ、と口に手を当てながら笑っている。

 何だかお嬢様と未来さん、本物の姉妹みたいだ。未来さんは7年間、藍沢家のメイドとして仕えているそうで、7年間では築けないような強い信頼関係がお嬢様と未来さんの間にあるような気がする。

 と、僕はハーブティーを飲みながらそう思っていた。やっぱり、お金持ちが飲む紅茶はティーパックの紅茶とは比べものにならないくらいに美味しい。

「由宇さんも捜査の方はどのような感じでしょうか?」

「お嬢様と2人で捜査を行っているような感じなので、お嬢様の言うとおり捗っています」

「確か、由宇さんのご友人の方が警察の方に身柄を確保されているんですよね。そちらの件についてはどうでしょう?」

「……その点についてはまだ進展はありません」

「そうですか……」

「今日はまだ、犯行時に事件現場で何が起こったのかを中心に捜査をしていましたので」

「……由宇は他にもやったじゃない。2時間目の体育の時間に……」

「ああ、麻衣さんのことですか」

 確かにその話も今日のことなんだよな。

 現場での捜査の所為か、麻衣さんとの会話がずっと前のことのように思える。思い返せば今日は色々なことをしたな。

 何だろう、やはりお嬢様は麻衣さんのことを疑っているのだろうか。

「お嬢様はどう考えているのですか? 麻衣さんが真犯人だと?」

「……まだはっきりとは言えないわ。片桐さんを男子用のトイレに来させる方法も分からないし。由宇の話から分かったのは、高梨麻衣が茜色の館をデザインした天草さんの大ファンであることだけ」

「そんな彼女が犯人だとは考えられないのですが……」

 自分の尊敬している人がデザインをした場所で殺人未遂事件を起こすかな。許せないって言っていたくらいだし、麻衣さんは犯人じゃないと思う。

「そういう風に断定していいのは、彼女が犯人でない証拠が見つかったときよ。彼女はやむを得ない事情があって仕方なくあそこで犯行に及んだかもしれない」

「そう、ですか……」

 お嬢様の考えは変わっていないようだ。

 麻衣さんが犯人であってほしくないけど、お嬢様の言っていた失踪した恋人の件については全く聞けていない。その内容によっては、動機という点で麻衣さんが一番の犯人候補なるのは確かだろう。

 何にしろ、進展をするためにはもう一度麻衣さんと話す機会が欲しい。電話やメールでも良いかもしれないけど、怪しまれたら避けられるだろうし。

「あっ、そういえば……」

 未来さんははっとした表情でそう言うと、突然リビングを出て行く。

「どうかしたのかしら?」

「何かを思い出した感じでしたけど……」

 それから一分ほどが経ち、封筒のようなものを持って未来さんが戻ってきた。

「天草さん、というのを聞いて思い出したんです。午前中に天草さんから麗奈お嬢様宛に手紙が来ていました」

「あたし宛に? ちょっといいかしら」

 お嬢様は未来さんから白い封筒を受け取り、封を開ける。

 中には白い便箋と何かのチケットが二枚入っている。目を凝らして見てみると、美術館という文字が読める。

 便箋を読んでいるお嬢様の表情は決して悪くない。美術館の入場券らしきチケットもあるわけだし、招待されたのかな。

「由宇」

「はい、何でしょう?」

「確か、高梨麻衣って天草さんの大ファン……なのよね?」

「そうですね。僕が真宵さんの親戚と言ったら大興奮していたくらいですし」

 僕がそう言うと、お嬢様は何か閃いたようにドヤ顔になる。

「なら、明日……高梨麻衣と一緒に天草さんの個展に行きなさい」

「えっ?」

 急な話で僕には何が何なのかさっぱりだ。

「どういうことですか?」

「そのチケット、由宇を執事にしてくれたお礼なんですって。あたしと未来の二人で行っても良いし、そ、その……由宇とでも良いらしいし」

「それならお嬢様と未来さんが……」

「馬鹿ね。このチケットを使って、高梨麻衣と一緒に天草さんの個展に行ってくるのよ。そこで、また事件のことについて聞いてくるの。肝心の失踪した恋人に関してはまだ聞けていないから」

「……なるほど」

 好きなことで誘って相手を油断させる、ということか。

 考えてみれば、これは思いがけない絶好の機会だ。麻衣さんは真宵さんの大ファンだし、その個展に招待されるとなれば、彼女も気が緩んでどこかでボロが出るはず。お嬢様はきっとそう考えているんだろう。

「分かりました。明日、麻衣さんと一緒に真宵さんの個展に行ってきます」

「……うん。頑張って情報を手に入れなさい」

 お嬢様は何故か元気なく返事をした。

「未来、もうすぐお風呂に入りたいんだけど……」

「もう沸いてありますよ。何時でも入って大丈夫です」

「ありがとう。じゃあ、由宇……電話とかで高梨麻衣に明日の約束を取り付けなさいよ。あたしはお風呂に入ってくるから」

「はい、分かりました」

 お嬢様はリビングから出て行った。

 未来さんはカップに残っているハーブティーを楽しんでいるようだ。メイドさんらしい優しい微笑みを絶やしていない。

 僕も残りのハーブティーを全て飲み、ジャケットのポケットから携帯電話を取り出す。

「お嬢様の言う通りにできれば良いんですけどね」

「大丈夫ですよ。由宇さんは高梨さんと初対面で色々なことを話せたのでしょう? それならばきっと色々なことが聞けると思いますよ」

「……そうだといいですね」

 優しくそう言ってくれるのはありがたいことだ。自信に繋がる。

 明日の約束を取り付けるために、僕は麻衣さんの携帯に電話をかける。

『もしもし』

 麻衣さんの声だ。良かった、無事に繋がって。

「進堂です。夜遅くにすみません」

『まだ9時過ぎなんだから大丈夫だよ。もしかして、執事さんの仕事って今終わるの?』

「そんな感じですね」

 適当に返事をしてしまったけど分からないよ、そんなこと。執事初日なんだから。

『へえ、そうなんだ。お疲れ様。それよりもどうかしたの?』

「……あの、麻衣さんは明日の予定……空いていたりしますか?」

『明日? うん、空いてるけど。もしかしてデートのお誘いだったりするかな?』

「そのような感じです。実は、午前中に藍沢家のお屋敷に真宵さんから手紙が来まして。手紙と一緒に美術館で開かれている個展への招待チケットが送られてきたんです。お嬢様は芸術にはあまり興味がないようなので、それならば真宵さんの作品が好きな麻衣さんと一緒に行きたいな、と思いまして」

『でも……私でいいの? チケットが足りないってことは……』

「チケットの件については大丈夫です。ちょうど二人分あります。あと、明日はお嬢様からお休みを頂きました。なので、明日……僕と一緒に行きませんか?」

『うん! 絶対に行くよ!』

 即答だった。真宵さんの作品が相当好きなのが伺えるな。

『ゴールデンウィークに行こうと思ってたんだけど、家族で旅行に行っちゃって……』

 麻衣さんの声が今まで一番弾んでいる。

 チケットを確認すると、開催が4月28日……ゴールデンウィークの初日からだった。真宵さんもその時期から個展が始まったって言ってたっけ。

「そうですか。そう言ってくれると僕も嬉しいです」

『天草さんに会えるかなぁ……』

「それは僕にも分からないですね。少しの間、日本にいるとは言っていましたが」

『そっか……。でも、行けるだけでも十分だよ』

「相当好きなんですね。麻衣さんを誘って正解のようでした」

『うん! ありがとう!』

 まるで小さな子供みたいだ。電話越しでも麻衣さんの笑顔であることが分かる。

「それでは明日はどこで会いましょうか? チケットを見ると、個展が開催されている美術館は小湊市からは電車を使って行くみたいですが……」

『じゃあ、10時に小湊駅の前っていうのはどう?』

「いいですよ。10時に小湊駅の前ですね」

『じゃあ、また明日ね! おやすみ!』

「はい。まだ早い時間ですけどおやすみなさい」

 ぴっ、と通話を切る。

 何だか緊張したな。事件捜査のためというのもあるが、女性とこんなにきっちりとお出かけの約束をするのは久しぶりだ。莉央や死んだ妹以外では。

 麻衣さん、凄く喜んでいたな。捜査とかは関係なく、まずは麻衣さんに個展を楽しんで欲しいところである。

「どうでした? 由宇さん」

 気づけば未来さんは僕の隣に座っていた。麻衣さんと個展に行けるのかどうかそんなに気にしてくれていたのか。

「予想以上の返事です。明日、麻衣さんと真宵さんの個展に行ってきます」

「そうですか、良かったですね」

「ええ、彼女……本当に真宵さんの作品が好きなようで、とても喜んでいました」

「私も高梨さんと同じ立場なら嬉しく思いますよ。……あと、麗奈お嬢様がいないので言いますけど」

「な、なんでしょう?」

 そんな風に言われると、やけに緊張してしまう。

「楽しんできてくださいね、由宇さん」

「……はい?」

 想定外のことを言われたので、間の抜けた声を出してしまった。未来さんが今の僕の反応に笑っているし、恥ずかしいな。

「そこまで驚かれなくても。きっと、天草さんは自分の作品を見て楽しんで欲しいと思っています。ましてや、一緒に行く相手が天草さんの大ファンなら尚更です」

「そうですよね、僕もそう思います」

 良かった、僕と同じように考えてくれる人がいて。

 お嬢様がいないから、と未来さんは言うけど……きっと、お嬢様も心のどこかではそう思っているに違いない。

「それで、明日は朝早いのでしょうか?」

「いえ、そこまでは早くありません。10時に小湊駅なので」

「分かりました。今日は執事初日でしたので、きっとお疲れになったと思います。由宇さんもゆっくりとお休みになってください」

「いいんですか?」

「はい、使用人の仕事はこれから少しずつ慣れていけばいいですし、由宇さんは学生さんなのですから。自由な時間も必要だと私は思いますよ」

 まあ、確かに僕が執事になるという選択肢を選んでいなければ僕は今頃、別のどこかで暮らしていて自分の好きなことをして過ごしていただろう。

 せっかくの未来さんからのご厚意。無駄にしてはそれこそ失礼だ。

「では、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

 僕は未来さんに一礼をして、リビングを出た。

 自分の部屋に戻ろうと思ったのだが、さっきのハーブティーの所為なのか少しお腹の調子が悪くなっていた。明日に響くとまずい。

 必死に僕は『TOILET』と書いてあるボードが付いている扉を見つける。ドアノブに手を掛け、鍵がかかっていないためか下にすることができた。

 ――よし、誰もいない。

 そう思い、僕は扉を全開にする。

 すると、そこには――。


「……ゆ、由宇?」


 お嬢様はスカート姿だったので、最悪の状態は免れることができた。しかし、僕の視界に飛び込んできたのは、

 両手でパンツを下ろそうとしているお嬢様だった。

 これが夢であると信じたいところだ。多分、同じことをお嬢様は何千倍にも、何万倍にも思っていることだろう。

 お嬢様の顔は最初こそ目を見開き驚いている表情だったが、頬から徐々に赤みが増してきて最終的には顔全体にまで広がった。

「うっ、うううっ……」

 硬直しているお嬢様の体が震え始め、そして、


「早く出て行きなさいよ、ばかあっ!」


 瞬間に僕は扉を閉めた。

 はぁ、何というものを見てしまったんだ。これって、執事になった僕に対するお嬢様から洗礼なのだろうか? いや、さすがにそんな馬鹿な話はないか。

『女子が入っているのにドアを開けるなんて最低ね!』

「認める他はありません……」

『まったく、ノックぐらいしてくれたっていいじゃない』

「申し訳ありません。しかし、このトイレが女子専用なのかも分かりませんし。それに、お嬢様も鍵を閉めていなかったじゃないですか。普通、個室のトイレに入れば鍵を閉めるはずですよ。例え自宅でも」

『うっ……』

 さすがに今の僕の言うことには何も反論できないみたいだ。

 さすがに自宅でも、トイレの鍵を閉めるということくらいはして欲しい。女性だったら尚更のことだ。

『だ、だって……今まではお屋敷には女性しかいなかったんだもん』

 どうやら、お嬢様も自分にも非があることを認めたようだ。

 思い返してみれば、僕が執事になるまでお屋敷にいたのはお嬢様と未来さんの2人のみ。ご家族の方が帰ってきても、旦那様は亡くなっているし、他には奥様と2人の姉妹のみ。見事に女性だけなのだ。

 そんな状況であれば、鍵を掛けないというのはしょうがないのかな。

「これから気をつけてもらえれば、僕は良いので。すみません、お嬢様に説教じみたことを言ってしまって。全ての発端は僕にあるというのに……」

『別に良いわよ。私にも悪い点はあったし……』

「そうですか、ありがとうございます」

 僕がそう言って、少しの間沈黙が支配してから、

『……何だか今、片桐さんを上手く誘導する方法が浮かびそうな気がしたわ』

「本当ですか? 何かきっかけで?」

『……由宇が素直にこの扉を開けてしまったことよ』

「そう、ですか……」

『まあ、まだ全然はっきりとは浮かばないけれど』

 お嬢様がなかなか思いつかないほど、犯人は果たして巧妙な手口で片桐さんを難なく男子用のトイレに誘導させたのだろうか。僕も一瞬だけピンと来たのだけど、衝撃の光景を見てしまったのでぶっ飛んでしまった。

 そして、扉が開きお嬢様が出てくる。

「……それで? 高梨麻衣とは個展に行く約束はできたの?」

「はい。とても喜んでいました」

「……そう。明日の件はあくまでも捜査の一環であることを忘れないようにね。彼女から片桐さんのことや、失踪した恋人などの話を中心に聞き出してくること」

「了解しました」

 僕がそう言うと、お嬢様は1度頷き、その場から立ち去っていった。

 とにかく、明日……麻衣さんから最大限の情報を聞き出そう。そうするためにも、明日は細心の注意を払わないといけないな。現時点ではまだ、絵画好きの1人の女子高生にすぎないのだから。

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