第11話『現場捜査-後編-』

「お嬢様、1つ訊いてもいいですか?」

「何かしら?」

「片桐さんがここで刺されたということは、当然……彼女がこの男子用のトイレに来たということになりますよね。どうやって来たのでしょうか?」

 お嬢様の表情が一気に曇った。

 しかし、その後すぐに苦笑いをする。やっぱりそこを訊いてくるか、と言わんばかりに僕のことを見てくる。

「由宇もこの事件の1番の謎に辿り着いてしまったのね」

「ということは、お嬢様も?」

 僕がそう訊くとお嬢様は頷く。

「……そう、あたしもそこで引っかかっているわ。片桐さんはどのようにして現場まで辿り着いたのか。私は3つの可能性を考えているけど」

「3つもあるんですか?」

「ええ。1つ目は片桐さんが自分からここまで来た。2つ目は犯人にナイフなどで脅されながらこまで辿り着いた。3つ目は片桐さんが何らかの形で意識を失い、犯人の手によってここまで運ばれてきた」

「随分とざっくりしていますね……」

「仕方ないじゃない。何かはっきりとした証拠があるわけでもないし、薔薇の鉢のことを考慮するとこういう風にしか絞れなかったの」

 しかし、3つとも考えにくい仮説なんだよなぁ。

 でも、実際にこうしてここで片桐さんが犯人に抵抗し、最終的にはナイフで腹部を刺されている。それならば、どうにかして片桐さんをこの男子用のトイレに来させたわけなんだ。

 お嬢様の言うとおり、考えれば考えるほど分からない。漠然とでも3つに絞れたお嬢様はやはり凄い方だ。

「由宇、あなたはこの3つのうちのどれだと思う? あなたなりの考えをあたしは聞いてみたいんだけど」

「え、そ、そうですね……」

 いきなり言われても、困る。

 しかも、何なんだ? このお嬢様から浴びせられる期待の眼差しは。子供のように露骨ではないのだけれど、僕を見る目が以前からでは考えられない輝きを持っているというか。あまり口出しするべきじゃなかったのかな。

 何も分からない、と言ったら不機嫌になると思うし。こうなったら、違う考え方で僕の考えを言うことにするか。

「僕は……そうですね。1つ目、片桐さんが自分から現場に行ったと考えます」

「どうして?」

「ちょっと逆の方から考えてみようと思って」

「逆の方、というのは?」

「……はい。まず、ナイフなどを使って片桐さんに迫りながらここに来たというのはまずないと思います。片桐さんが叫んだり、逃げられたりする可能性があります。そして、片桐さんの意識を失わせた後、犯人がここに連れてきたというのも考えにくいです。片桐さんを運ぶ姿を誰かに見られたら、例え変装をしていても怪しまれてしまいますから」

「つまり、その2つの方法では犯人にとって何らかのリスクが生じる可能性がある。そう言いたいのね?」

「ええ。リスクを背負うよりかは、何らかの方法を使って、片桐さんに自分から来てもらう方が犯人にとってもメリットがあると思います。まあ、その肝心の方法が見当も付かないんですけどね」

 逆の方から考える。

 つまり、数多くある選択肢の中、暗中模索のごとく捜査していくのではなく、考えにくいことから1つずつ排除していき、最後に残った1つが真実であるという考え方。それも少し強引であり危険だけど。僕の読んだ探偵小説の主人公がそんな考え方をしていた。

 さて、こんなに偉そうに言ってしまったのだけど、お嬢様は、


「あたしも同じよ」


 非常に満足そうだった。

 なんだ、そう思っていたなら言ってくれて欲しかったのに。もしかして、お嬢様は僕のことを試しているのか? 一緒に捜査して相応しいかどうか、っていう理由で。

「さっき挙げた3つの可能性の中で一番あり得そうなのは、片桐さんが自分からここにやってきたこと。由宇の言う通り、自分が動いてリスクを背負うよりかは、何らかの方法で片桐さんが自ら来るように仕向ける方が犯人にとっても都合がいいと思うわ」

「お嬢様と同じ考えだなんて、光栄なことです」

「べ、別に執事にそんなことを言われたって、全然嬉しくないわよ」

 そう言うお嬢様はとても子供らしかった。頬を赤くし、目線もちらちらとさせるが、決して僕の方には向けようとしない。まったく、可愛い主だ。

 僕は思わずお嬢様の頭を優しく撫でてしまった。

「ふえっ……。何するのよっ! 恥ずかしいじゃない……」

「……お嬢様はとても賢くて偉い方だなと思いまして。おこがましいですけど、僕からのご褒美です」

「ご褒美って言っても、急にされるとびっくりしちゃうわよ」

「そういう反応、とても可愛らしいと思いますよ」

 その瞬間、お嬢様から湯気が吹き出した気がした。

 正直、ご褒美というのもあるけど……今朝、莉央の頭を撫でているときのお嬢様の気分が悪そうに見えて、自分もして欲しいような気がしたからやったわけなんだけど。それは僕の勘違いだったの、かも。

 しかし、可愛いというのは本当である。お嬢様も元々は普通の女の子なんだ。

「まったく……由宇のばかっ。さっさとあたしの頭から手をどけなさいよ。現場保存、忘れたの? あたしの髪が不用意に落ちたらどうするのよ」

 と、言ってお嬢様は僕の手を払った。

 これは、照れ隠しってことでいいのかな。それとも、本気でそう言ったのか。どちらにせよ今の行動も可愛らしいけど。

「すみません、お嬢様」

「分かればいいのよ。現場で調べられるのはここまでかしらね」

「そうですね。明らかにすべきことも出てきましたし」

「……何も不自然に思われず、片桐さんがここまで来る方法ね。由宇、何か良い案は思いつかないの?」

「僕にはまだ分からないですね」

「そう……」

 仕方ないか、とお嬢様は軽くため息をついた。

 今ある情報だけでは、何の仮説も立てることはできない。

 しかし、片桐さんが自然とこの男子用トイレに来たのなら、何か方法が必ずあるはずなんだ。そして、その証拠がどこかに眠っているはず。

「藍沢さん、ちょっといいですか?」

「何かしら?」

 外で見張っているはずの警察官が現場に入ってきた。

「その資料には載っていないのですが、ついさっき連絡が入りまして。入り口の壁と電気のスイッチの上に糊のような成分が検出されたようです」

「……糊? 何かを貼っていたのかしら?」

「それは分かりませんが、とりあえず報告をしようと思いまして」

「分かったわ。どうもありがとう」

「いえいえ、捜査ご苦労様です」

「今日はもうここまでにしておくわ。捜査資料、返しておくわね」

「はっ、分かりました」

 お嬢様は警察官に捜査資料のファイルを渡す。

 最後に糊の情報が入ったが、そこまで重要ではないだろう。お嬢様は真剣な表情のままなので、何かを思いついたのかもしれないけど……とりあえず、今はそっとしておこう。

 僕とお嬢様は現場を出ると、既に到着していた藍沢家のリムジンに乗って、お屋敷に帰るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る