第10話『現場捜査-前編-』

 お嬢様の後に僕も立ち入り制限テープをくぐる。

 すると、目の前には赤と青で塗られた壁。ちょうど半分ずつ塗られており、左半分が赤、右半分が青という感じだ。現場は男子用のトイレだから、青い右側の方だ。

 そして、ついに現場に足を踏み入れる。

 真宵さんの言うとおり、トイレまでシンメトリーと取り入れている。なので、男子用のトイレであっても個室5つと手洗い場しかなかった。白を基調としており、広々としているので、利用する分には特に問題ないと思う。

「うわっ、本当にあるのか……」

 白い床に黒いテープで人型に貼られている。このテープを見る限りだと窓側に片桐さんが倒れていたことが分かる。

「由宇、あなたも手袋をしなさい。現場保存をするために」

「分かりました」

 僕はお嬢様から白い手袋を受け取り両手に付ける。

「どうやら、若干だけど血が流れたみたいね。少しだけど血の跡があるわ」

 確かに、よく見てみると赤黒い染みがある。恐らく、片桐さんの血だろう。稲葉君の話から考えると、この染みは稲葉君が片桐さんの腹部からナイフを引き抜こうとしたときに出たものだと思う。

 しかし、実際に見ると血というのは嫌なものだな。

「由宇、外にいてもいいのよ? 初めての人には酷だと思うわ」

「……いえ、お嬢様と一緒に捜査するつもりで来ていますから。大丈夫です」

 お嬢様は落ち着いている。やはり、幾つもの現場を見てきたからだろうか。死体とかがないだけまだマシなのかもしれない。

「ならいいけど。でも、無理だけはしないで」

「分かりました。お嬢様は優しいですね」

「……ばかっ。こんな所で何言ってるのよ。あたしは主として当然のことを言っているだけのこと。べ、別に由宇のことが気になってるとか、そんなことは全然ないんだから」

「そうですか」

 何はともあれ、お嬢様の気分を害するような発言は控えないと。ここは事件現場なのだから緊張感を持つべきだ。

「藍沢さん、事件の調査資料持ってきました」

 後ろからさっきの警察官が登場し、お嬢様にクリアファイルを渡す。おそらく、調査資料がまとめられているのだろう。

「どうもありがとう。引き続き、外で警備に当たって」

「はっ!」

 再びキレの良い敬礼をして、警察官は外に出た。

「すっかりと捜査官ですね、お嬢様」

「そう思っているのなら、さっそく捜査を始めるわよ」

「はい!」

「じゃあ、まずは被害者である片桐さんについて。黒いテープを見ればだいたい分かると思うけど、救急隊が到着したとき、片桐さんは頭を窓側にして仰向けで倒れていたらしいわ。そして、凶器であるナイフが彼女の腹部に刺さっていた」

「つまり、犯人はそのナイフを使って片桐さんを刺殺したんですね」

「そうね。でも、実際にはナイフが上手く出血を抑えていたこともあって、何とか一命を取り留めることができ、現在も病院の集中治療室にいるわ」

「それが何よりの幸いですよね」

「でも、片桐さんが意識を取り戻しても、彼女の助けを借りずに捜査した方がいいわ。犯人は多分、あたしや由宇がこの事件を捜査していることは知っていると思うから。彼女の話を聞きに行こうとすれば、後から追って、再び殺害を試みるかもしれない。犯人が稲葉隼人以外の場合だけど」

「……片桐さんは切り札として取っておいた方がいいということですね」

 僕がそう訊くとお嬢様はうん、と軽く頷いた。

 お嬢様がファイルをめくる音だけが聞こえる中、僕はテープの側でしゃがんで、さっきから気になっていた部分をじっと見る。

 何らかの理由で潰れている赤い薔薇の花びら。その周りに歪な形をして散らばっている土。近くには鉢の破片も落ちているし、これは何なのだろう? 

「由宇もそこが気になった?」

「その言い方ですと、お嬢様も?」

「ええ。最初こそは被害者の血の跡が気になったけど、今は床に散らばっている土と薔薇の花びらがね」

「これは一体どういうことなのでしょう?」

「……調査資料によると、この薔薇の鉢は元々ここにあったものらしいわ。鉢の欠片を調べたら2人の指紋が出てきたわ」

「2人の指紋、ですか?」

 まさか、被害者と犯人の指紋だったりして?

「被害者である片桐さんの指紋と、私たちのクラスの担任である桜井香月さくらいかつきの指紋が検出されたわ」

「さ、桜井先生の指紋ですか?」

 ど、どうしてここで担任の名前が出てくるんだ? まさか、桜井先生が犯人だということは考えられないし。


「私のことがどうかしたの?」


 噂をすれば、というのはまさにこういうことなのだろうか。

 入り口の方を向けば、スーツ姿の赤いショートヘアの女性が入ってきている。彼女こそが僕とお嬢様の担任である桜井香月先生だ。制服を着てしまえば生徒だと思ってしまうような幼い容姿。そこが男女問わず好感を持てるらしい。

「いえ、薔薇の花が植えられていた鉢に先生の指紋が付いていたということだけです。ていうか、どうしてここにいるんですか」

 さすがに担任教師に対してはお嬢様も敬語みたいだ。真宵さんにも敬語だったし、さすがに礼儀作法とかはお嬢様なので厳しく躾けられているのかな。

 しかし、お嬢様が強い口調で言ってしまったからか、桜井先生の表情も芳しくない。

「どうしてって言うけど、私はあなたたちの担任の先生なんだよ? 自分の受け持つ生徒が捜査をしているんだから、その現場を監督する義務が私にはあるの」

「……そんな義務、ないですけど」

「だ、だって殺人未遂事件が起きた場所なんだよ? 何かが起こった後では話にならないじゃない!」

「お言葉ですが、ここは既に犯罪が起こった場所なんです。それに思ったのですが、普通に事件のことが気になったから来たと言えばいいのでは?」

「あうっ。そ、それはそうだけど……」

 完全にお嬢様の方が優勢だな。

 お嬢様の言うとおり、ここは犯罪の起きた場所だ。なので、特別捜査官であるお嬢様のホームの場。先生には申し訳ないけど、僕はお嬢様の方につくことにする。

「進堂君、何とか言ってくれない?」

「ここは犯行現場ですからね。捜査のプロであるお嬢様に任せるのが一番だと、僕は考えています」

「……やっぱりそうだよね。進堂君は藍沢さんの執事だもんね……」

 先生はげんなりしている。

 まったく、今のやり取りを見る限り、どちらが年上の女性なのか本当に分からなくなってきたぞ。

「ええと、先生はこの後予定とかはあるんですか?」

「別に、ないけど……」

「だったら、先生も捜査に参加してくれませんか? ちょっと、先生に訊きたいことがありまして。お嬢様、それでもよろしいでしょうか?」

 優しく語りかけると、お嬢様は抵抗なく頷いてくれた。少し嫌そうな顔はしたけど。

「今さっき、先生に訊きたいことができたしね……」

「だったらさっそく訊いてみましょうよ」

「そうね……」

 何故かお嬢様はそこまで乗り気ではなかった。しかし、先生がどんなことでも訊きなさいと言わんばかりの様子だったので、お嬢様は薔薇の鉢のことについて書いてあるページを開いて、先生に見せる。

「先生、薔薇の鉢のことで訊きたいことがあるのですが」

「ああ、私が買ってきた花ね」

「先生が買ってきたものなんですか?」

「うん。火曜日の夜に大きい地震があったでしょう? その所為で月曜日のオープンに合わせて飾った花の鉢が、全部床に落ちちゃって散々だったよ」

「じゃあ、ここに落ちている薔薇の花は?」

「水曜日の午前中は安全確認のために休校になったから、その時に3組の教室の点検が終わらせて、茜色の館の様子も確認しに行ったんだよ。茜色の館にあるトイレ全部に花を飾ったのは私だからちょっと心配になっちゃってね。それで見に来たら全滅だったわけ」

 僕が意識を失っている間に色々なことが起きていたんだな。さすがに、地震が起きた翌日の午前中は安全確認のために休校だったのか。

「それで、先生はどうしたんです?」

「一応、午前中に全てのトイレを掃除して……放課後に新しく買いに行ったわ。色々と手間取って日が暮れてからだけど。男子の方に置く薔薇の花と、女子の方に置く百合の花を車で買いに行ったわよ」

 男子に薔薇、女子に百合……先生、まさか意味ありげに置いてはないよね?

「午後7時くらいかな。大半の生徒が帰ってから置きに行ったわね。もし、誰かがいたら嫌じゃない。特に男子の方なんて」

「……先生、男子用のトイレまで置きに行ったんですか」

 お嬢様はジト目で先生のことを見る。

「だ、だって……私、まだ2年目だし……こういう仕事は若い人の方がやるべきだって他の先生に言われたし。それに、最初に花を置いたのは私だから……」

 どうやら、色々と職員の間にも上下関係があるようで。でも、今の話だと茜色の館のトイレに花を置くことを考えたのは先生のようだ。

「お嬢様、どうやら鉢に先生の指紋がついている理由はごく自然なものです」

「そうね。となると、残る謎は片桐さんの指紋と……どうして鉢が床に落ち、土や花が散らばる状況になったのかしら?」

「……僕には分かりかねます。お嬢様はどのような見解で?」

「捜査資料で最初に読んだときにはあまりよく分からなかったけど、先生の話のおかげで1つ分かったことがあるわ」

「どういうことです?」

「私もよく分からないんだけど……」

 先生も分からないのか。分かった方が怖いけれど。

「犯行時、片桐さんが薔薇の鉢を使って抵抗したのよ。先生もこの写真を見てください」

 僕と桜井先生はお嬢様が指さす写真を見る。被害者が救急隊によって運ばれた直後の写真とのことで、トイレ全体の様子が分かる。今とあまり変わらないけれど。

「藍沢さん、この写真のどこの部分が重要だというの?」

「床に散らばっている薔薇の鉢です。よく見ると、土が窓側から入り口に向かって散らばっているのが分かると思います。片桐さんが窓側を頭に仰向けになって倒れていたこと。先生が薔薇の鉢を水曜日の夜に置いたことから、片桐さんが鉢に触る機会は事件の起こった時に限られると考えることができます。片桐さんはきっと刺される直前に犯人に向かって薔薇の鉢を投げつけたんです。歪な形をして土が散らばっているのは犯人に当たったからだと思います。そして、薔薇の花が潰れているということは、犯人が片桐さんを追い詰めてナイフで刺す際に踏んだんだと思います」

「……なるほどね。さすがは藍沢さん」

 どうやら先生は納得したようだ。僕も今のお嬢様の説明に同感である。

「いえ、そんなことはありませんよ」

 そう言うお嬢様は嬉しそうに微笑んでいた。

「……じゃあ、私はこれで失礼するわ。この様子だったら、私がいなくても大丈夫そうだからね。それに、私が本当に心配していたのは進堂君の方だったから」

「僕のこと、ですか?」

「うん。だって、クラスでただ1人、地震のせいで大怪我をした生徒だし。その上、住んでいる家が全壊したからね」

確かに、病み上がりの生徒が犯行現場で捜査に協力するとなれば心配になって見に来るのも分かる。たとえ、それが特別捜査官の執事であっても。

「すみません、色々とご心配をおかけして……」

 僕が謝罪すると、桜井先生は笑顔で僕の肩の上に手を置いた。

「別に良いんだよっ! 藍沢さんの執事になって、今の様子だとちゃんとその仕事をこなしているのが分かったから。それに、こうしてまた登校できているんだし」

「……そうですか」

「じゃあ、2人とも捜査を頑張るんだよ。何か訊きたいことがあったら何時でも職員室に来ていいからね」

 そう言うと、桜井先生は笑顔で現場から立ち去っていった。

 そして、再びお嬢様と僕の2人だけになる。

「……お嬢様。実はほっとしていません?」

 先生がいるとき、お嬢様は何だか窮屈そうな感じだった。事件に無関係な人達を現場に入れたくなかったのかな。

「もしかして、桜井先生がいるのが嫌だったのですか?」

 真意を突かれたのか分からないが、お嬢様は頬を膨らませて、

「別にそんなことないわよ。強いて言えば、事件について敬語で話さないといけないのが少し面倒だっただけ」

「あっ、そうですか」

 典型的な我が儘お嬢様だ。捜査に関しては自分が上だと思っているのだろう。

「……それで、さっきのあたしの推理、どうだった?」

「僕もお嬢様の言ったことに同感です。薔薇の鉢のことを考えれば犯行当時、片桐さんが犯人に対して抵抗したことが分かります」

「おそらく、窓まで追い詰められた片桐さんは無我夢中で、薔薇の鉢を犯人に向かって投げたのだと考えているわ」

「なるほど。ということは、その時犯人はナイフを使って片桐さんを追い詰めていたということになりますね」

 どうやら、これで犯行時の現場での状況はだいたい把握できた気がする。

 しかし、僕には1つ気になることがあった。これはきっと、お嬢様も思っていることだと思うけれどどうだろう? とりあえず言ってみようかな。生意気だと思われるかもしれないけれど。

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