第8話『高梨麻衣』

 僕はベンチから立ち上がり、例の女子の所へとゆっくりと歩いていく。

「おや、元気がないようですけど……思うような結果が出なかったんですか?」

 できるだけ優しい口調で、事件とは全く関係ないことで女子に話しかけると、女子は僕の方に向くと苦笑いをした。

「えへへっ、分かっちゃったかな?」

「顔に出ていましたよ」

「ええと、あなたは……」

「初めまして、でいいのしょうか。3組の進堂由宇です。色々と訳がありまして、藍沢家の執事を昨日からしています」

「へえ、だから私にも敬語で話してるんだね。別に気にしなくて良いんだよ?」

「敬語の方がさっそく落ち着いてしまいました。……恐ろしいことに」

「そうなんだ。さすがは執事さんって感じ。そういえば私の名前、言ってなかったね。高梨麻衣たかなしまいって言うの」

「高梨麻衣さんですか。素敵な名前ですね」

「口がお上手で。私のことは麻衣って呼んで構わないよ。進堂君」

「それではお言葉に甘えさせていただきましょう。麻衣さん」

 僕のことは名字で呼ぶのに、僕が名前と呼ぶことに抵抗感が生まれる。

 見た感じだと、麻衣さんはお嬢様と背は殆ど変わらない。髪は黒色のショートヘアで、髪留めを使ってワンサイドにまとめている。多少幼めの可愛らしい顔立ちだし、これなら彼氏がいるというのも納得である。

「どうかしたの? 私の顔をじっと見て」

「いえ、何でもありません。隣に座ってもいいですか?」

「いいよ。でも、あそこにあなたの主がいるんじゃない? 側にいなくていいの?」

「どうやら、今までの種目のどれもが想定外の悪い記録だったらしく……それにショックを受けてしまったようで。ちょっとの間、1人にしておいて欲しいと。お恥ずかしいことで、話し相手を探していたというのが正しいですね」

「ふうん。私もちょうど誰かと話したいと思ってたから。私は大歓迎だよ、進堂君」

「そう言ってくれると僕も嬉しいです」

 麻衣さんはくすっ、と笑った。嘘も方便というのはまさにこういうことを言うのかな。

 これで麻衣さんと話す環境は整った。さて、どう話を進めていこうか。

「大変だね。藍沢さんの執事だなんて」

 思わずぴくっ、と体を震わせてしまった。まさか麻衣さんから話を振ってくるとは。まあいいや、ここは麻衣さんの話に乗っかろう。

「まだ執事になって間もないので、これからどうなるか分かりませんが……ちょっと緊張しますね。クラスメイトなんですけど」

「藍沢さんってオーラがあるよね。何というか、他の人を寄せ付けない感じ。お嬢様だからかな?」

「……やはりそう思いますか」

 正直、お嬢様の第一印象は無愛想な女の子だった。藍沢家のお嬢様だというのは知っていたけど、お嬢様というのは僕のような一般生徒にこういう態度を取るのかと思った。

「でも、どうしてそんな風に思っている人の執事になったの?」

「そうですね……」

 やっぱり、そこは訊かれるよな。

 僕は莉央の時と同じように、麻衣さんにも執事になったいきさつを事細かく説明した。もちろん、茜色の館で起こった殺人未遂事件の捜査のことは省いて。

「そっか、だから執事になったんだね。それで、今も執事服なんだ」

「ええ。今でも体を激しく動かそうとすると節々が痛くなってしまうんです。きっと、体力テストをやったら全滅だったと思いますよ」

「それは当たり前だって」

 麻衣さんは右手を口に当てて笑った。

 こんなに笑顔が可愛らしくて素敵な女の子が、殺人未遂事件を起こした犯人に見えるのだろうか。今のところ、僕にはそう見えない。

 視界の端の方にお嬢様が入っているけれど、その様子が明らかにおかしい。莉央が泣いて僕の胸に頭を埋めた時と同じような表情をしているんだ。その時の方がまだ穏やかだと思えるくらいに不機嫌そうにしている。

 まあ、そのことは置いておいて、少しずつ情報を引き出していこうか。今の会話で麻衣さんも気持ちが和んだだろうし。

「元気になりましたか? 麻衣さん」

「うん、進堂君と話してたら気持ちがちょっと楽になった」

「……そうですか」

「それで? 私に訊きたいことでもあるの? 藍沢家の執事さんが私に話しかけてくるなんて、何かあるんじゃないかって思っちゃうけど」

 これはまずいな。感づかれちゃったかな。

 しかし、ここで下手して尻尾を出すようなことをしてはいけない。あくまでも自然を装って話をしていかないと。

「いえいえ、何も企んでいません。しかし、僕が個人的に訊きたいことはあります」

「なに?」

「……さっき、麻衣さんが浮かない表情をしていた理由です。今日、登校して初めて聞いたんですけど、麻衣さんのクラスの生徒さんが事件に巻き込まれたって聞いたんですよ。それに関係していそうだと思うんですけど。違いますか?」

 僕が言うと、麻衣さんの表情は予想通り変わった。お嬢様が指さしたときのように、浮かない表情に逆戻り。

「ごめんなさい、変なことを言ってしまって」

「いいよ、別に。担任の先生から片桐さんが事件に遭ったって言ったとき、みんな落ち込んでいたし」

「……そうですよね」

 僕はグラウンドを見渡した。あまり見覚えのない顔を中心に見ていくけど、落ち込んでいる雰囲気を出している人はあまりいない。

「うちのクラスの方もそのことにショックみたいで。僕の友人なんですけど、警察に犯人の最有力候補に挙げられてしまって、身柄を拘束されているんです」

「それは辛いね。……あっ、そういえばあの人」

 麻衣さんの指さす方の先を見てみると、灰色の髪の男子がいた。あまり見覚えがないから、4組の生徒だろう。

「あの男子生徒の方がどうかしたんですか?」

「彼、児島翔平こじましょうへい君って言って、彼が警察に通報したらしいの」

「そうなんですか……」

「サッカー部の部員で、友人が警察に連れて行かれたって悔しがっていたのは覚えてるよ。その人の名前……確か、稲葉って言っていたけど」

「そうです、その人のことです」

 ということは、あの灰色の髪の人……児島君は、稲葉君と片桐さんのいる現場を実際に見たわけなのか。

 それを知った上でよく見てみると、確かに4組の生徒の中では一番浮かない表情をしているな。精神的にも疲れているのか、何度もため息をついていることが分かる。

 思わぬ形で大きな情報を手に入れられたな。よし、話題を元に戻そう。

「ちなみに、片桐さんってどういう人なんですか?」

「片桐さんは成績も優秀だし、顔も綺麗だし。そういうところは、進堂君のお嬢様に似ているかも」

 お嬢様みたいな人が隣のクラスにいるのか。

 まあ、数々の財閥の子息や令嬢が通っている高校だし、才能に長けている生徒が意外とざらにいるのかもしれない。

「一度、会ってみたいですね。片桐さんのこと、初めて知りましたよ。僕、学校で噂になっている生徒とかあまり興味がなくて」

「何だか言ってることが矛盾している気がするけど」

「あははっ、確かに。でも、お嬢様に似ているなら……会ってみる価値は十二分にあると思いますけど」

「そういうことが言えるなんて、もう立派な執事さんだね」

 僕なんてまだまだですよ、と言おうとしたけど止めておいた。麻衣さんが笑顔を見せる時間が段々と長くなってきたから。この良い雰囲気のまま、何か聞き出せるのなら聞き出しておきたい。

 だけど、僕のそんな感情が顔に出てしまったのか、麻衣さんの顔色が一変する。真剣な目つきで僕のこと見つめてくる。

「でも、許せないな」

「許せない?」

「……ただ、クラスメイトが事件に巻き込まれたからだよ。それに、私にとっては事件現場が特別な場所だから」

「茜色の館のこと、ですか?」

 麻衣さんはこくり、と頷いた。

「私、その建物をデザインした芸術家の大ファンなの。天草真宵さんって言って、シンメトリーを専門にするもの凄い画家さんで。しかも、緋桜学院のOGだし、私も天草さんみたいになれたらいいなって思ってる」

「そう、なんですか……」

 真宵さんのことをこんなに慕う人がいることに少し驚いたけど、これはむしろ当然のことなんだと思う。なぜなら、真宵さんは日本を代表する芸術家なのだから。今まで好きだという人に出会わなかった僕の方がおかしかったんだ。

 今の麻衣さんの言葉、真宵さんが聞いていたらとても喜ぶだろうなぁ。

「だから、天草さんが造ったとも言える建物の中でそんな事件を起こすことが何だか許せなくて。……ごめんね。勝手なこと言っちゃって」

 急にあたふたする麻衣さんが何だか可愛らしくて、僕も思わず微笑んでしまう。

「いえ、気にしないでください。麻衣さんみたいに思ってしまうのは自然だと思いますし」

「そう、かな」

「……あと、実は天草真宵さんは僕の叔母なんです」

「えええっ! そうなの?」

 今までで最大のボリュームの声だな。今のリアクションなんて、最初の様子からは想像できないものだ。

 目の前にいる生徒が憧れの芸術家の甥となれば、驚くのも当然か。

「真宵さんは僕の母親の妹で。訳があって僕の保護者になってくれているんです。あまり会えないんですけどね」

「ということは、進堂君は絵とかは得意なの?」

「いえいえ。得意以前に絵もあまり興味が無くて。きっと、僕から芸術に関することを吸い取ってしまったと勝手に解釈しているんですけど」

「ええっ、そんなことってあるのかなぁ?」

 麻衣さんは声に出して笑っている。

 別に僕、笑わせるつもりで言ったわけじゃないんだけどな。少しくらいは否定してくれるかと思ったけど、それって甘えなのかな。ちょっと悲しい。

「麻衣ちゃん! もうすぐ順番が来るよ!」

「あっ、うん!」

 どうやら、麻衣さんはもうすぐ順番が回ってくるらしい。ゆっくりとベンチから立ち上がって僕の方に振り返る。

「進堂君と話せて良かったよ。大分、気分が楽になったかな。去年よりも良い記録が出せそうだし」

「それなら僕としても嬉しいです。僕も麻衣さんと話せて良かったですよ」

 そして、グラウンドの方へ走り出すのかと思いきや、もじもじ……と、僕の方をちらちらと見ながら麻衣さんは立ち尽くしている。

「……ねえ、進堂君」

「なんでしょうか?」

 しかし、麻衣さんから次の言葉が出てこない。顔も赤くなっているし、何か聞きづらいことなのかな?

 と、そんなことを思っていたらすぐに麻衣さんの口がゆっくりと開く。

「この授業が終わったら、携帯の番号とメアド教えてくれないかな? また、何かあったら話してみたいし。天草さんのこともちょっと訊きたいことがあるし」

「そうですか。分かりました。では、次の休み時間に僕がそちらの教室に行きますので、その時に交換しましょう」

「……うん、ありがとう」

 そうお礼を言う麻衣さんの顔は本当に嬉しそうで。

 僕はそんな表情になることに、表情自体に若干の違和感を持ちつつも……グラウンドに駆け出していく彼女の後ろ姿を見送った。

 そして、予定通り……2時間目と3時間目の間の休み時間に、僕は麻衣さんと携帯の番号とメールアドレスを交換した。お嬢様は麻衣さんの事を怪しいと思っているし、これは大きな収穫ではないだろうか。

 とにかく、僕にとって最大限のことができたと思う。麻衣さんとの話で得た情報を、事件現場で捜査するまでに報告しておくことにしよう。

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