第4話『天草真宵』

 真宵さん、地震で僕が意識不明になったから駆けつけてくれたのかな。

「その様子だともう大丈夫みたいだな」

「まあ、体のあちこちが痛いですけど。でも、よく僕がここにいるって分かりましたね」

「このメイドさんから由宇を藍沢家の屋敷に運んだって連絡があってさ。それまでは家の電話と由宇の携帯電話にかけても全然繋がらなかったから。それで、全力で駆けつけてきたってわけ。意識を取り戻したから、ひとまず安心した」

「す、すみません。ご迷惑をおかけして」

「……いいんだよ。由宇はあの日からずっと1人暮らしをして、家事も勉強もきちんとこなして。わたしなんて個展だの講演会だのって、由宇の保護者になってから全然お前に会いに行けてなかったし。こんな時にはせめても保護者として務めたかったんだよ」

「真宵さん……」

 そう、真宵さんは海外でも個展を開くほどの芸術家でもある。主に絵画を中心に活動しており、シンメトリーというジャンルの絵を描くことが多い。26歳にして海外にも進出している。それ故に若手実力派と言われることも。昔の真宵さんを知っているせいか、僕にとってはそこまで凄い人には思えないけど。

 まあ、僕が一軒家で1人暮らしできたのも、家族が亡くなった際に受け取った生命保険の保険金と、真宵さんが個展や講演会などで稼いだお金がそれなりにあったから。あとは、僕が通っている高校の奨学金もあったので。

「最近は日本で活動をしているんですか?」

「ああ。ゴールデンウィークぐらいから東京の美術館で個展が開かれているし、それに……由宇も藍沢さんも知っているとは思うけど、緋桜ひざくら学院に茜色の館が新設して、ゴールデンウィーク明けの今週月曜にオープンしただろ? 色々とあるけど今は日本で羽を伸ばしているよ。今さっきも、お前が目覚めるまでこの屋敷でゆっくりしていたし」

「そうですか。まだあそこ、行ってないんですよ」

「あたしもまだ……行っていません」

 僕とお嬢様の返答に真宵さんは肩を落とす。

「……私がデザインしたっていうのにまだ行ってないだと? 今度学校に行ったときには必ず行くこと。さもないと本当にあの世行きになるぞ。あっ、これは由宇だけね」

「それが、さっきまで生死を彷徨っていた甥に対して言う言葉ですか」

 まったく、真宵さんにも困ったものだ。

 でも、芸術関係にはあまり興味がないんだよな、真宵さんに悪いけれど。

 今、真宵さんが言った通り、僕とお嬢様が通っている高校は私立緋桜学院高等学校である。小湊市内にあり、生徒数が1500人ほどの進学校だ。政界や法曹界から真宵さんのような芸術界まで多岐に渡り卒業生が活躍している。

 2年ほど前、老朽化した旧校舎を解体して新しい建物を造る計画が建てられた。

 その時期、大学を卒業し画家として2年目を迎えていた真宵さんが国際的なコンクールで優勝を果たすという偉業を成し遂げた。

 そして、学校側はそれに便乗して真宵さんに新しく作る建物のデザインを頼み、2年の時を経て茜色の館としてオープンをした次第である。

「何せ構想に2年かかったんだからな」

「……しかし、上手くいけば1年もあれば完成して、遅くても今年度が始まると同時にオープンできたのでは? 建築家の方も緋桜学院なら、優秀な人材を揃えることは容易いはずだと思いますけど」

 思っていたことを素直に言うと、真宵さんは苦笑いをした。

「これは随分と痛いところを突いてくれるじゃない。由宇のくせに」

 一言多いんだけど。

「何か作業が順調に進まなかった原因があったんですか?」

「……そんなことはなかった。でも、オープンが遅れた原因は私にあったんだ。何せ、建設中もデザインを変えようかずっと悩んでいたから」

「悩んでいた?」

 真宵さんが悩むなんてよほどのことなんだな。でも、母校に自分のデザインした建物が造られるっていうのは、普通の人にはそうそうできないことだから、色々と頭を抱えたというのはむしろ当然なのかもしれない。

「ああ。わたしってさ、シンメトリーっていうジャンルを専門に絵を描くって思われているだろ? まず、三次元の物を本格的に作ることが初めてだったことが私を悩ませる原因の一つだった。そして、これが一番の原因なんだけど……果たして細かいところまで左右対称にする必要があるのかって」

「細かい所って、具体的にはどういうところですか?」

「そうだな。例えば……トイレとか」

「……そうなんですか。ちなみにどんな理由でお悩みに?」

 そうとしか言えない。

 果たして、シンメトリー作家・天草真宵さんはトイレに何の問題があると思ったのか。大体の想像はつくんだけど。


「ふ、普通……作りは違うもんだろ? 男と女では」

「当たり前じゃないですか」


 予想通りだった。トイレの作りはどうするかというのはシンメトリー作家特有の悩みだろう。はっきりと決断しないとならない事柄である。

 もはや、会話のレベルが低いためか、お嬢様も未来さんも無表情で僕と真宵さんの話を聞いている。個人的には今の話を右から左へ受け流して欲しい。

「……そうだよな。私だって違うことくらいは分かっていたんだよ。でも、最初にデザインした頃のわたしはシンメトリーに凄くこだわっていたからさ。トイレも左右対称にしてしまったんだ。もちろん、女性用を基準にしてだからな!」

「一般人の僕でも少し考えればそうなるでしょう」

 必要のないものを作ることはないだろう。ましてや、男性用の便器を女性用のトイレに作ったらそれこそ問題である。というか、真宵さん……胸を張ってそんなことを言わないでください。甥としてちょっと恥ずかしいです。

「で、でも……最後まで悩んだんだよ」

「別にいいじゃないですか。最近の建物はトイレの中までデザインに拘っている所もありますし。きっと、真宵さんがデザインしたことを知れば、茜色の館のトイレに来た男性陣は納得してくれますって」

「そう言ってくれるのは由宇だけだっ!」

 と、言って真宵さんは僕のことを抱きしめてきた。あの、真宵さん……お嬢様と未来さんの前でこんなことをしないでください。甥として大分恥ずかしいです。

 そんなことは言いづらいので、僕は必死に真宵さんの体を離した。体中の関節が悲鳴を上げているがそんなのは関係ない。

「落ち着いてください、真宵さん」

「ごめん。仮に見た目も声も女の子以上に艶っぽくても、由宇は甥だからな。あっ、女の子以上って言っても、藍沢さんやメイドさんには敵わないぞ」

「別に僕は悔しく思っていませんし。あと、真宵さんが自分の保護者として適しているかどうか、今更ですけど疑いたくなってきました」

 もう、みんな僕のことを女の子っぽいって言うんだから。寝るとき以外は制服で過ごそうかな。

 さて、話が大分脱線してしまった。そろそろ本題に戻るとしましょうか。

「話は戻りますけど、真宵さんは僕の様子を見にこのお屋敷に来たんですよね?」

 僕がそう言うと、まるでさっきまでの真宵さんが別人だったかのように、真宵さんは真剣な表情に変わった。

「一番の理由は、な」

「その言い方だと、他にも何か?」

 真宵さんはこくりと頷く。

「……ああ。由宇、お前……藍沢さんから執事にならないかって話はされたか?」

「はい。今さっきですけど。執事になることに決めましたが何か?」

 僕のその答えが良かったのだろうか。それとも予想通りだったのだろうか。とにかく、真宵さんは僕の返答を聞くや否や安堵の表情を見せた。

「そうか、だったら良かった」

「どういうことです?」

「……この屋敷に来る前、由宇の家に行ってきたんだ。藍沢さんからの連絡通り、全壊だったよ。周りの家は軽度の損傷が殆どで半壊の家も数件ぐらいしかなかった。運が悪かったんだって素直に思ったよ。由宇には悪いけど、あそこで再び住むことはできないって結論づけた」

「そこであたしが由宇に藍沢家の執事にさせてはどうかと、天草さんに持ちかけたの。もちろん、由宇……あなたの意志を一番に尊重するつもりだったわ」

「お嬢様……」

 じゃあ、さっき……お嬢様が僕に執事にならないかと言ってきたのは、既に真宵さんと一通り話をつけていたからだったのか。それなら、そう言ってくれれば良かったのに。まあ、何にせよ、僕は執事になるつもりだったけど。

「こんな時こそ、保護者であるわたしが由宇の側にいて、お前を守るべきだってことは分かってる。でも、仕事でどうしても日本を離れなくちゃいけないこともある。藍沢家の亡くなった当主が義兄さんの親友だってことは、生前の姉さんから聞いたことがあった。だから、そこの家に執事として住まわせてもらえるなら大丈夫だろうと思って。その上、藍沢さんからこの話を持ちかけられたんだ。頷かないわけがないだろ?」

「ちょ、ちょっと! それは言わないでくださいっ!」

 ど、どうしたんだ? 突然、お嬢様が真宵さんの話を遮った。

「あ、あれ? 何かまずいことでも言った?」

「べ、別にそんなことはないですけど……余計なことは言わなくていいんですっ! 由宇はちゃんとあたしの執事になったんですから」

「……ふうん。あたしの執事、ねぇ……」

 まるで、何か面白いことでも見つけたかのように、真宵さんは含み笑いを見せる。

 それに対してお嬢様は何故か恥ずかしがっているし、もはや僕には目の前の光景について何が何なのか全く分からない。

 しかし、お嬢様がこんなに劣勢な立場に立っているのは初めて見た気がする。学校ではいつも他の生徒とは何か1つ秀でているというか。孤高、という言葉が似合うような雰囲気を醸し出していた。今みたいに何かに感情的になっている、普通の女の子みたいな振る舞いなんて全く想像できなかった。こういう部分を出せば、きっと多くの人に好かれるはずなのにと僕は思う。

「もうこの件についてはいいじゃないですかっ! それよりも、もっと大事な事があるのを忘れていませんか? まあ、これはあたしからの話でもあるんですけど」

「そういや、そうだったな」

「他にもまだ何かあるんですか?」

「まあね」

 まさか、僕を執事にさせるという件は前置きだったというのか? 僕に対して、これ以上、何があるのだろう。何故か不安な気持ちを抱いてしまう。

 執事になる他にもまだあると聞いて、急に不安な気持ちが湧き上がってくる。僕は生唾を一口飲んだ。


「……実はその茜色の館で事件が起こったのよ」

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