第12話 景品として

 その日の夜のうちに椿から電話がかかってきた。

「もしもし」

『あ、あのデートの話なんだけど……』

「ああ、どこ行く? 行きたいところとかあります?」

 不自然に敬語になってしまう。

 息を飲む音が受話器越しに聞こえてきた。

『えっ、いいの?』

「いいのも何もないでしょ、お前らが勝負を始めた時から断れないって思ってたし。頑張った椿に何かを与えられるっていうのなら俺は喜んで景品になるけどね」

 遠くからキャーという悲鳴から、おおおおって雄叫びに変わり何かが落ちてすごい物音がした後にうめき声が聞こえてきた。

「どうしたの、何があった? 大丈夫?」

 数秒の間何も返答がなかった。

『ううん、大丈夫、なんでもない、なんでもないよぉ』

 明らかにさっき何かがあった風だが、あえて気にしないことにしてあげた。

「んで、どこ行く?」

『そうね……。映画とか見に行かない?』

「映画ね。良いよ。何か見たいものとかあるの?」

『ん……。んん、そんなに考えてなかったかな。ごめん」

「行ってから決めればいいことだし。だいたいそんなもんだよ」

 その日何が見たくなるかなんてその日の気分で変わってしまう。まあ予備知識として今どんな映画をやっているのか調べておく必要はありそうだけど。

『適当ね』

「そういう風にこれまでやってきたってよく知っているでしょ?」

『はは、そうね』

 特にこれと言った、特技も趣味も無くてただ、なんとなく目の前に起こってくる出来事を右から左へとこなしているうちに、適当と言われるようになった。椿はそのことをずっと見てきたわけだからよく知っている。

『場所は品崎駅で、十三時集合で、駅の改札前のおっきな時計の前で待ち合わせで』

「わかった」

『あのさ』

 じゃあね、と切ろうとしたところで椿に止められた。

「何?」

『今日、さ……。告白みたいなことしたじゃん?』

「そうだね」

 今日確かに、俺は椿に告白された。それで告白して俺をめぐって壮絶な争いが、葵と椿によってなされた。椿の一勝四敗だったが、葵が一度でも勝てば良いといったために椿の勝利となった。

『それで、その……、赤木くんは……私のことどう思って……』

 沈黙。

 俺も、椿も言葉を失った。

 俺は、どう答えていいのかわからずに、椿もまたその後に続く言葉を続けることができなかった。

『やっぱなし』

「え」

『今度会った時に聞かせて。私は君のことが好き。その答えを』

「わかった」

『じゃあね、おやすみ』

 やけに弾んだ声で椿はそう言って電話を切った。

 とりあえずの答えでも、日曜までには出さなければならない。

 俺はどうしたい? その答えは宙ぶらりんのまま、結局のところ日曜になるまで何も見つかりはしなかった。



 日曜日になった。

 駅の時計台は賑わっていた。改札出てすぐのわかりやすい目印で、そこそこに賑わう田舎の都会の駅だから同じような目的でそわそわしている人は周りにいっぱいいた。

 とりあえず、ジーンズに白いオックスフォードシャツそれにスニーカーという無難極まる格好で来たけどもこれで良かったのかと唐突に落ち着かない気分になった。

「待った?」

 ぼんやりしてると後ろから声をかけられた。

 振り返ると椿がいた。二つ結びにした髪を解いているためか、普段見ているよりも大人びて見えた。デニムのショートパンツ。白いトップスの上にグレーのジャケットを着ている。ほんのり化粧をしているのも見て取れて、普段抱いている印象とは違った魅力を感じた。

「おう、椿、おはよう」

「おはようって、もうお昼だよ? 赤木くん」

「いや、もうまじでさっき起きたばっかりで気持ち的には四十秒で支度して出てきた気分だよ」

 とりあえず、昨日の夜今日のことを考えすぎて、眠れなくなって、起きたら出かけなければいけない時間だった。

「え、それじゃあお昼ご飯とか食べてない?」

「ああ、気にしなくて良いよ。途中で歩きながらパン食べてきたし」

「そう? ならさっそく映画館いきましょう」

「分かった」

 本当はまあ、コンビニによるゆとりもなくて死ぬほど走ったので、腹は物凄く減っている。ただ、見る映画も一応は前の日から決めていた。時間にまだゆとりはあるけども、飯を食いに行こうと提案する勇気はなかった。

 そのまま二人で中途半端に、微妙に手が触れない程度の距離感で歩いてすぐの映画館の入っているシネコンにつく。

 最上階の映画館のチケットは、発券機で自分で席を決めてチケットを買う方式で、休みの日だったが思っていた以上に空いていた。

「真ん中まだ空いてるみたいだね。この辺でいい?」

 椿がまだ空きのある、縦横で真ん中ぐらいのあたりを指してそう言った。

「んー、まだ結構時間があるから、それでここが空いているだけって可能性の方が高そうかなぁ。以外と、通路挟んで四列空いているとこの手前側二つとか押さえとくと、あまり座りたがらないし客がウロウロするの気にしなくて良いよ」

「そうなの?」

「まあ、優先順位の問題だよ。客が動いたり横で何やってるか気になるならこっちの方がオススメだよ」

「じゃあ、そうしよっか」

 椿はしばらく唸って、だいぶ怪訝そうな顔をして言った。

 まあ普通に映画見に来ようと思ったらスクリーンの真ん中で、前に座り過ぎれば首が疲れるし、横だと変な風に見えるか気になるし、後ろは迫力ないしで、真ん中を選ぶのが普通だと思う。

 とりあえずチケットを二枚手に入れたところで上映まで一時間程度時間があった。

「パンフレットとか読みながらカフェでちょっと待つ?」

「そうね、そうしましょう」

 パンフレットを手に入れて、俺が持っていることにする。そのまま映画館のある回から一つ降りたところにストーンバックスがあったのでとりあえず入ることにする。

「先に席を取っておいてよ並んで待っててあげるから」

「分かった」

 と、椿を送り出して、レジの横のフードが並んでいるところとにらめっこする。腹が減っているならここで補給しておくのは手だと考えられる。見るところはカロリー。甘い物だけでカロリーを稼ぐのは下策。しょっぱい物と甘い物、だが、安易に食べすぎれば本当は何も食べていないことが知られてしまうのではないかと思いながら、ソーセージパイとシナモンロール(併せて900カロリー)と心に決める。

 意外と早く順番が回ってきた。

 椿はまだ席探しにうろうろしている。これは自分が代わりに注文するべきか。どうか。とりあえず店員と目があった。ダメだ、ここは時間稼ぎをしてでも凌がなければ。

「あー、えーとシナモンロールとソーセージパイ……」

「店内でお召し上がりですか?」

「あ、はい」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「アイスコーヒーのトール……。それと…………」

 椿を視線で探してみる、まるで見当たらない。後ろに二人ぐらい待ってる。もういいや俺が勝手に頼んでしまおう。

「抹茶クリームフラッペのトール、ホイップクリーム多めで、上からチョコレートのソース……だったはず」

「だったはず……」

 店員が生ぬるい笑顔で復唱した。

「ええ、だったはず。とりあえずこれで! おごりなら文句は言うめい!」

「かしこまりました」

 金額が伝えられて、オーダーが通される。お会計、高校生の小遣いから捻出するにはやや痛い出費となったが、深く考えないことにしよう。

 お釣りをもらったあたりで椿が戻ってきた。

「えー、もう頼んじゃった?」

「うん、抹茶クリームフラッペのホイップクリーム多めにチョコレートソース……だったっけ?」

「あと、抹茶バウダー多めね!」

「え! まじか間違えた!」

「あ、できますんで修正しておきますね。カスタムも無料なんでお代はいらないです」

 レジの人がバーにその修正の件を伝えて戻って来る。

「それじゃあ、あっちのカウンターから出しますねー」

 ドリンクが出てくるカウンターに通された。

「席取れた?」

「うん、なんとか。結構奥の方になっちゃったけど。それにしても太一、よく私が頼む物覚えていたね!」

「なんとなく、ぼんやりと、呪文めいた方法でオーダーを毎回していなかったのが救いかな」

 椿がストーンバックスに来るといつも同じ物を頼む。それは抹茶クリームフラッペ。夏だろうが冬だろうが抹茶クリームフラッペである。ここは分かった。それで何をやっていたかを思い出す。ホイップクリームを山のように高く盛り、そしてチョコレートのソースをかけていたことを思い出しながらオーダーした。

「ありがとう、みんなで遊んでスタバ行ったのなんて二回ぐらいしかないのに……」

「まあ、なんだろう。なんとなく覚えていたからよかった」

 怒られるんじゃないかとすごくビクビクしていたが、まあうまくいったようでよかった。

 一つのトレーに二つのドリンクと二つのフードがのって出される。椿がとってくれた席へとそれを運んで腰掛けた。

「っていうかさ」

「うん?」

「本当は何にも食べてなかったんじゃないの?」

「うん……」

 まあ、これだけ頼めばバレるか仕方がない。

「なんで言ってくれなかったの? それだったら最初にご飯食べに行くことだって出来たのに……」

「まあ、なんというか余計な気を使わせたくなったってのはある。本当に朝起きたら出かける時間で、かろうじて髪にワックスつけて手を洗うぐらいが精一杯の時間だった。いやほんともう、申し訳なくて申し訳なくて。フラッペおごるから許して、ね?」

 謝り倒す勢いで顔を伏せた。そんなことをやってたら、小銭が重なる音がした。顔を上げればそれはさっきのフラペーチーノの代金だった。

「そんなの悪いよ。もらっちゃったら余計に私がやりづらいよ」

「そ、そうなのか?」

「そうだよ。別に何も悪いことしてないし、カッコつけたい以外におごってもらう理由がないよ」

「そうか」

 なら、俺かっこつけるー! つっても出したもの戻してくれないだろう。

 今日、とりあえずは、まともな男の役できちんとこのデートを成立させなければならないと考えていたから、もう大誤算だ。この時点でエレガントのかけらも見出せない。

「ねえ?」

「なんだい?」

 ソーセージパイをかじりながら答えた。

「もし今日みたいなこと、相手が葵ちゃんならどうするの?」

「え、普通に俺は遅れますよ」

「そうなの?」

「そもそも葵が約束を守らないから、別に俺が約束を守る義理がない。もう、あの時間で起きた時点で一時間後に待ち合わせを変更すると思う。ついでにいうなら、多分葵はその待ち合わせ時間に三十分遅れる」

「まあ、あんまり真面目じゃないことは認めるけど……」

「というか、あれから仲いいの? 葵と」

 そういえば葵のことを小林と呼ばずに、葵ちゃんと呼んでたことに気がついた。

「そうね。あれからテニスの練習をよく一緒にやってるよ。あんまり真面目に部活に来ないし、なんか別にやってることがあるみたいだけど……」

「総合格闘技の試合があるんだとさ」

「へー」

「それの練習と並行してたまに遊びでテニスやりにくるんじゃないかな?」

「あの人は何になりたいの?」

「俺にもわからん。とりあえず学校に連れて来てみてそれなりに生き生きやってるけど、あいつが本当に何をやりたいのかは俺にもさっぱりわからん」

 葵は一体何になりたいのだろうというのはずっとぐるぐる回る問題だ。何も選べない俺と違って何でも選べるから、一周回って俺と同じという結論は前にも聞いた。ひょっとしたらあいつ自身何を目指しているのか知らないのかもしれない。

「私はやりたいことがあるよ」

「それは?」

「テニス続けたいんだ。すっごい強い学校に勉強して入ってそこで成り上がっていきたいんだ」

「そっか」

 椿の目には、闘志のようなものを滾らせていた。

 椿はよく勉強していて、テニスも頑張っていて、テニスを一生懸命やるためには勉強もしっかりやらなきゃいけないということをちゃんと理解した上できっちりやりきっている。英語が一番の得意科目なのも世界に出てテニスをやっていきたいからだろう。ただ、周りに流されるだけじゃなくて自分が行きたい方向をみてまっすぐ進んでいける。そういう光の人間だ。それだけで貴重な才能だと思えてくる。

「椿はすげぇな」

「なんで? 別に普通のことじゃない。やりたいこと真っ当にやらせてもらえてラッキーなくらいよ」

「そういうのすげえっていうんだよ。普通のことを普通にやり遂げられるってのは」

 環境なんてものは与えられても使いこなせない。

 椿の何を評価すべきかってことはとてもシンプルで、与えられた環境でベストを尽くしてその上で上を目指す。足りないことに対して不満はあっても、それのせいにしない。

「そうなのかな」

 自分の常識が人にとっての非常識だということを椿はよくわかっていないのだろう。

 葵と椿の常識も違うだろうし、俺と椿と葵の常識もまるで違う。全てもともとの才能だったり、努力ができるという才能に寄るのだろう。

「俺には何もないから、尊敬できる」

「本当に君には何もないと思っているの?」

「へ?」

 俺はソーセージパイを食べ終え、温めたシナモンロールを食べるためにナイフとホークを持って止まった。

「無いだろ」

「そう……思っているんだね? 分かった」

 俺に一体どんな価値が有るって言うんだ。なんの目標もなくて、なんとなく毎日を過ごしてて、人の才能にばかり憧れているだけの人間になんの価値があるというのだ。

 椿は、がっかりしたようだったけども、何にがっかりしているのか俺にはわからなかった。それはつまり俺が何を持っているということを俺が知らなかったということでもある。

「私がここまで来れたこと、絶対に私だけの力じゃなかったって思ってるの。だから私は全然大したことなんて無いんだよ……」

 全国大会の出場経験もあって、勉強もすごくできるのにこんなことを言う。

「太一のおかげなんだよ?」

「そうなのか?」

 はて、俺が一体何をしたと言うのだろうか。

「後で話すよ。それより映画のパンフレット見ようよ」

「お、おう」

 そう言うと、椿はおもむろに映画のパンフレットを取り出した。漫然とシナモンロールを食べながら、これから見る映画の話をした。

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