第9話 五つの勝負
五本勝負一本目。
「まず一本目よ! 一時限目の英語は今日、小テストをやるわ。それでまず勝負しましょう!」
「ほう」
勇者椿は、いきなり全力で勝負を仕掛けてきた。
椿の英語の成績は、十段階評価で十。定期テストでは、一位を狙えるだけの実力があり、授業態度もよくこういった小テストでの心証もとても良い。
椿に、この学校内において勝てる奴はほぼ存在していないと言って良いだろう。
「分かった勝負しよう。どこが出題されるかも、どういう流れでこの小テストなのかまるでわからないが、勝負してやろう。だが、勝つ」
葵さんかっこいいーとか、内心思ったけど、あらかじめ負けた時の言い訳をしているようにも思った。
椿も、いきなり初手から殺しにかかるあたりえげつないって思う。
「やってみなさいよ! だが、私が勝つ!」
予鈴が鳴り、着席をする。
英語教師の小池が登場した。この教師の特徴を一言で言えば、小うるさいババア。教えている英語の発音は、イギリスへの留学したというが、それが逆に悪い方向に作用していて、英語を発音するたびにイラつく。中学までそこそこの成績が急降下した理由はこいつのせいだって言いたい。繰り返される授業中の公開処刑。萎縮し、自分が英語をどの程度得意だったかということを忘れさせる。
「では、さっそく以前に言った通り小テストを行いたいと思います。制限時間は二十分いいですか?」
小テストにしては結構なボリュームがあった。
配られるテスト。全員に行き渡るやいなや特にこれといった緊張感もなく始まった。
内容は、ここ最近の文法と単語のおさらい。穴埋め問題が数問、日本語文の英訳が一問。全て完璧にわかるというわけではないが、ここ最近の葵との特訓のおかげかついていけるようにはなった。
「結果が楽しみね」
終了後、椿が葵に言った。
「勝てると良いね」
まるで他人事のように葵が切り返した。
翌日の英語の授業で、採点済みの解答が帰ってきた。小池による解説が行われたが、何が何をいっているかさっぱりわからなかった。
俺の正答率は七割程度。とりあえず手を入れる必要がないほど実力を引き上げてくれた葵に感謝。
そして授業が終わり、椿が葵にチャージをかけた。
「どうだった。私は九七点!」
「私は……百点だ」
同時に机に上に並ぶ答案用紙。確かに葵が百点で椿が九七点だった。
「ば、バカな」
椿が膝から崩れ落ちた。解答を見て、葵が納得した様子で何度か頷いていた。
「やっぱり英作文だったね。あそこはひっかけだと思って迂回したら正解だったか」
「迂回……ですって?」
「ああ、迂回だよ。なんとなく太一が持ってくる宿題の傾向と、このテストをパッと見ての傾向。そして最もシンプルで美しいはずの答えを否定する。だからこの最後の英作文はこの答えが間違っているが正しい」
「そんな……!」
椿が愕然とする。
葵が書いた英作文と、椿が書いた英作文を見比べる。確かに、椿が書いたものの方が、シンプルで分かりやすく、葵が書いたものが、ここ最近ならった文法を使ったえらく回りくどい文章だった。
葵に言わせれば「こんなものはクソだ」という感じのとても分かりにくい英文だった。
「間違っているもので勝利するとはあまりいい気分では無いが、勝ちは勝ちだからね拾わせてもらうよ」
「くっ」
椿は小テストを握りつぶした。
「あらかじめ袖の下でも渡しておくべきだったな。これ以降あなたは私に勝利することができない」
「やってみなければ分からないでしょうに!」
「せいぜい楽しませるんだな」
そう葵は、言った。
負けフラグっぽいセリフだがほぼ葵の言った通りの展開になった。
二戦目、百メートル走。
椿12.8秒。
葵12.0秒。
足が速い椿だったが、スパイクも練習もなしにいきなり全国クラスの速さで走る葵が常軌を逸していた。
走り終えての葵の感想「こんなに早く走れると思ってなかった」とのこと。
三戦目、絵画対決。
これは、オーディエンスによるジャッジで決められた。美術の授業で出された、手をデッサンするという課題を、どちらがよりうまくこなせたかを判定する。
椿は、勝負を挑む項目を明らかに間違えていた。椿の美術の評点は三。授業態度が良くての三だから、実践での上手い下手で言えばだいぶ下手な部類に入る。
手を書いても「これは芋です」としか解釈できないような物体が出来上がってくる。
一方で葵はコンクールでの入選経験もあり、サクッとその場で自分の手が平面から浮き上がってくるようなものを書き上げた。
比べるまでもなく葵の圧勝。
椿は、先の二連敗が堪えたのか、正気を失っているようにも見えた。
四戦目、漢字テスト対決。
抜き打ちで五時間目の国語の授業で漢字の小テストが実施された。
終わった後で椿が葵の元へ行き、「勝負しろ」と言ったために事は成った。
で、だ。
葵が十点満点中 十点。椿が十点中八点。平均的な俺の点数は六点だ。
特に得意科目というわけでもないが椿はそこそこの成績を残したが、まあ完全無欠の魔人を前にこれはあまりに悪手と言っても過言ではなかった。
こと葵の量り得るスペックというところにおいてはどれか一つでも勝つのは難しい。自分が授けられた才能で一点を突破できるかどうかといったところ。
椿は二つ持っていた。一つは努力で積み上げた英語、そしてもう一つは生まれ持った足の速さ。だが、そのいずれも敗れた。
四戦が終わった。椿からは、色という色が抜け落ちていた。
椿が感じているのは、絶望と圧倒的な敗北感。肉から、灰へ、塵へと還って、風と共に吹き飛んでいきそうな儚さを感じた。
「なあ、もうこんな勝負やめようよ。俺が言うのもおかしいけどさ、見てらんないよ」
「まだだ、まだ、わたし……わ! ごふごふごふ」
椿は、急激に色を取り戻そうとして立ち上がりかけたが、むせた。
「無茶すんなって、お前ってばもう、昔っからそうやってがんばりすぎんだからもー」
俺は、椿の背中をさすってやる。
中学の時から、椿が目の前で無茶をするのを何回か見てきた。無茶をして、くじかれて、ボロボロになって帰ってきたらこうやって背中をさすったことは何回かあった。
「うぅ、優勝商品に慰められた」
「優勝商品じゃない。ほら、ティッシュ。鼻出てるよ」
「ありがどヂーーーン」
「大丈夫? しっかり呼吸してる? 何か、飲み物買ってこようか?」
「太一、お母さんかよ……。でも、あ、ありがどう。うれじい……うええええん」
慰めると、唐突にギャン泣きを始めるあたり、椿は、幼児なのではないかと疑いたくなる。
「おー、よしよし分かったから、分かったから、落ち着こうな、どうどう」
「うう、おう…………うん」
椿が、泣き止んで、呼吸が落ち着いてきた。
「太一」
葵が立っていた。光を背に浴びて、微笑んでいる。目は決して笑っておらず、静寂をたたえている。その静かな気配が、この人間のもつ恐ろしさを引き立てているように思えた。
「葵……?」
「ふふん、太一、目の前で私以外の人間に優しくする光景というのは見ていて気分の良いものではないな」
「目の前でくじけそうな友達がいるんだ。手を差し伸べない方が間違っている」
「それを、あまり感心しないと言っているんですよ!」
葵に対して、俺は、悪いことをしたとも思うけれども、結局自分自身のやり方というのはそこまで動かすことができない。かわいそうだと思ったら手を差し伸べるのは誰だろうが変わらない。
「ならば私が最後の勝負を挑み、打ち砕く。これで五本だ」
「う……、分かった。やろう」
打ちひしがれていた椿が、涙を拭いて立ち上がった。
それは、仲間の死を乗り越えて魔王に立ち向かう勇者のような……。いかん、葵、これは負ける空気だ。勝っても周りに味方は増えないやつだ。
「勝負はテニスだ」
「あえて、それは避けていたのだけど……いいの?」
「君の実績は、すでに聞き及んでいる。今年の県大会シングルスの優勝者。チームは、そこまででもないが、君は群を抜いて強いというのは聞いているよ」
「だから、未経験者を一方的に倒すなんてこと……」
椿は、この後に及んで迷っている様子だったが、葵の顔は自身に満ち溢れていた。
「実はテニスが私が一番実績を持ってるんだよ」
「ほんとに?」
これは俺が聞いた。まあ、こいつのことだ、何が出てきても別段びっくりはしないけど。
「じゃあ、放課後。テニス部のコートに来て。そこで決着をつけましょう」
「望むところだ!」
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