第3話 君が欲しいと言われた

「普通に彼女とかいなかったの?」

「いたらここに居ないよ。ラインのIDとか多分「彼女の名前エターナルラブ」みたいなIDにして、他の女に絶対目もくれない。こんなところにもぜっっったいにこない」

「それは良いことを聞いた。ところで、「彼女の名前エターナルラブ」というのは卑近な例なのか?」

「ああ、最近周りにそういうの増えてきてね」

 女ができると、これまでとまるで違うように振舞わなければならないという風習でもあるのだろうか。

 まるでそれ以外に興味がないみたいに振舞わなければならないのだろうか。

 彼らは、何か特別な物語を得たように振る舞いだす。もしも自分がそういう物語を手に入れられたなら、俺もそうしてしまうのだろうか。

「もしも、私が君の彼女になったら、どうするの?」

「ID?」

「うん」

「変えない」

「そうだよね」

 こんな弾丸みたいなやつを、たまたま運良く彼女にできたところで、エターナル愛せる自信が無い。俺がどうこうというまえに置いていかれて終わる。

「それで、葵はどこへ行くの?」

「うーん」

 葵は黙り込んだ。普段考えないけど、追求されるとちょっと辛い質問みたいだ。

「親を黙らせるにも、日本の大学はいっておいて損はない。海外の大学にいって、教授の小間使いやってコネを作るというのも悪くないけど、それをしたところでどうしたっていうところだし。アラブなり、東欧なりは、在学中にも行ける。となると、やっぱり普通に大学行くことなんだろうな」

「一周回って俺と同じ?」

「そういうことだよ。私も、何も決められないから、普通に進学するだけだよ」

「おやまー」

 なんでもできて、才能があって、今持っている才能だけでどこまでも遠くに行けるというのに、どこにも行けないでいる。答えだけ見れば同じだ。

「どこの大学行くの? やっぱり東大?」

「んー、それもどこでも良いから、太一が行くところに行くー」

「なんじゃそりゃ、俺なんかうまくいっても私大の一番上からちょっと下みたいなところしか狙えないぞ」

「別にそれで良いよ。太一と一緒なら」

「なら、葵の格に合うようにもっと頑張らないとダメだね。今から」

 今は、二年の秋。俺は、帰宅部で時間はある。これから頑張れるだけ頑張ってみよう。

 それと共に、なんで太一が一緒ならという言葉を、俺は、こうもすんなりと受け入れられるのだろうか。それに今日もよく考えれば、勉強しないで帰っても良かったのに帰らせることを頑なに拒んだり。

 俺のこと好きなの? と聞いてみたら、三角締めするし、俺は、葵がよく分からない。

「頑張れ、頑張れ、いくらでもお手伝いはするぞー」

 家庭教師としては、得難いに人材がすぐそばにいる。

「太一がいる場所が、私のいる場所だからね、太一が望む場所があって手伝えるなら、手伝うよそれは。努力しないなら努力しないで、そばにいるよ」

「そうかい、じゃあもう一回聞くけど俺のこと好きなの?」

「うん、そうだよ。気がつかなかった?」

「前に聞いたときに三角締めしたの誰だよオラーーーー!」

 俺は、机をバーンって叩く。さすがに頭に来た。

「いや、あのその……なんか、照れ隠しってあるじゃないですか。こう、そういうことするにやぶさかではないんですけど、こう、いざその段になると、こうメキっとこう……さ? わかってよ」

 葵は、ほおを赤らめてもじもじしていたけど、にわかに不愉快だった。

 俺は、肉体でわかったよ。

「うん、じゃあ、好きってことでいいんだね?」

「そ、そうだよ」

「ヤです。とても心外です」

「な、なんでーー!」

 愕然とした葵。こいつは、放っておこう。こいつを好きという気持ち以上に、腹が立つ気持ちの方が圧倒的に強い。

「なんで、ってこっちも好きなのにその意思を伝えて三角締めされたから」

「そんなー、普通の女の子……なんですよ?」

「普通の女の子は、告白めいたことをした後で三角締めしません」

「うわーん」

 机に突っ伏して泣き真似をする葵だった。

「お前とそういうことするためには、お前を倒さなければならないのか? そういうのって違うよな。ついでに言えば、俺なんかと違ってどこまでも遠くに行きそうで、俺なんか必要ないんじゃないかって、こないだ三角締めされて冷静に考えるようになった」

「ヤダ」

「ヤダって何がよ」

「太一がそばにいなきゃヤダー」

「子供かよ。まったく、近くに来たいなら近くにいろよ。学校来いよ」

「それは……いいけど、なんか怖いし……」

「そう。ならそれでもいいよ」

 スヌーピーに、ライナスという、毛布が手放せないやつがいたけど、そいつの毛布になったような気分だった。

「どこまでも遠くに行けるかも知れない。でも、どこまで行っても本当の自分がどこにあるのかなんて分からない。太一といるときだけ、私は私と思えるの」

「なるほど、女は港みたいなそんなイメージで俺のこと見てるんですね」

「だから、なんでそうなるの」

 葵は跳ね起きると、ものすごい勢いで立ち上がって、机を一瞬で飛び越えて、俺の背後に回りこむ。そして、なんで、背後から首を絞め始めるかなーーーーーーーー!

「ごふ」

 それは、こっちのセリフだ! と言おうと思ったらただ空気が漏れただけだった。

「そんなこと無い。太一がいたから……いろいろやってみようって思った。学校行かなくなったとき、自分の居場所がどこにもないような気がして閉じこもってた。太一が、最初プリント届けに来てくれて、ちょっと話せて嬉しかった」

「そりゃ、俺だって最初、葵と話せるの嬉しかった。というか、プリント渡せる係になってちょっとラッキーとさえ思った」

 学校一の美人で、成績優秀、スポーツ万能、気が付いたら女子からハブられてたというか浮いていた。別にそれで傷ついたわけでもないのだろうけど、学校に行く意味がなくなってしまったのだろう。

 男子からすれば、あまりにも神々しくて触れられないもの。女子からすると、自分がかすむフィルターみたいなもの。

 それで、そんな素敵女子の葵さんと話せる機会を、プリントを渡しに行く係りという役を仰せつかって、下心も込みでラッキーとさえ思ってた。

「ほ、ほんとに?」

「そうだよ。地味に昔から憧れてたんだよ」

「そうなの!」

「だから、こう考え方によっては抱きつかれているとも考えられるこのシチュエーションはありなんだけど、でもなんかこう、愛玩されているだけみたいなそんな風な感じがして」

「じゃあ、どうすれば伝わるの?」

 葵の、抱きしめる力が強くなる。

 葵が、生きていくのに必要と言ってくれるなら、俺は、その気持ちに応えたい。それが、俺自身の目的にもなる。多分、絶対だ。愛するとか、守るとか、そういうのじゃなくて、ただこいつの近くに居続ける。必要とされ続けることが愛しているということになるんだろう。きっと。

 でも、ちょっと意地悪はしたいとは思う。

「じゃあ、キスしてよ」

 俺は、前回、葵が挫折したところを攻めてみることにした。

「分かった」

 するりと、葵は、俺の前に来ると、まっすぐな眼差しで俺を見て、唇を近づけてくる。直前で目を閉じると、ぬくもりは、おでこに来た。

「む、想定と違う」

「は、恥ずかしいものはやっぱり恥ずかしいし!」

 顔を真っ赤にして、葵がそう言った。

「おーけー、ありがとう。頑張ったな俺もお前のことが好きだ」

「太一ー!」

 葵は、顔を綻ばせて抱きついてきた。葵は、粘膜接触はすごく嫌がるのに、スキンシップに抵抗がないのはとても不思議に思う。

「ちゃんと学校来いよ。俺が学校では守ってやるからさ」

「うん。休み時間もずっと太一のところに突撃するから」

「わかってる。ところで昼飯って行ってた頃どうしてた?」」

「え? 普通に購買で買ってたけど……」

「じゃあ、それのための金もいらないよ。俺が二つ弁当持ってく。二人分作るのも、三人分作るのも大して変わらないからな」

 俺は、毎朝、母の分の弁当と、自分の分の弁当を用意してから学校に行く。作るにあたって、二人前も三人前も大した作業量の違いじゃない。

「太一は、良い奥さんになれるね!」

「安心しろ、自覚はある」

 男女を逆転すると、俺たちは丁度いい。それで多分、俺の目線で語れば、りっぱな少女漫画テイストなお話になるのだろう。

「太一、どこまでも一緒だよ……」

「お前がそう望み続ける限りな」

 お前が要る。

 葵の抱擁には、そんな言葉が隠れていた。

 葵が強く抱きしめてくれるのを、強く抱きしめ返した。

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