夕霧 その八十五

 女二の宮は一人残ることもできず、泣く泣く車に乗った。母君のいない隣の席が目に付くばかりで、こちらに移ってきた時、御息所が気分の悪い中にも女二の宮の髪を撫でつくろってくれ、車から抱いて下ろしてくれたことを思い出すと、目も涙にかき曇ってひどく悲しい気持ちだ。守り刀に添えて御息所の経箱を今もそばを離さずいつも持っているので、




 恋しさのなぐさめがたきかたみにて

 涙にくもる玉の箱かな




 と詠む。喪中用の黒塗りの経箱がまだ出来上がっていなかったので、それは御息所が生前いつも使っていた螺鈿細工の箱なのだった。誦経の僧へのお布施にと作ったものだが、母君の形見として手元にとどめたものだった。まるで玉手箱を開けた浦島の子のような虚しい気持ちがすることだろう。


 一条の宮邸に到着すると、邸の中は悲しそうな様子もなく人気が多く賑やかで、まるで以前と様子が変わっている。


 寝殿の南側に車を寄せて下りる時に、とても元の住み慣れた邸とも思えず嫌なしっくりしない気持ちがするので、女二の宮はすぐにも車からおりようとしない。



「本当に変な、大人げないお振舞いだとこ」



 と女房たちもそばではらはら気を揉んでいる。


 夕霧は東の対の南面を自分の雁の部屋に整え、もうすっかり主人気分で居座っているのだった。

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