若菜 その二八九

 朧月夜は内心ずっと前から思い立っていた出家だが、光源氏が何かと引き留めるのに邪魔されてのびのびになっていたのだった。人にはそうとあからさまに言うことではないが、心のうちでは感慨無量で、昔からつらいことの多かった二人の恋とは言いながらさすがに浅い因縁だったとは考えられないので、あれやこれやと思い出さずにはいられない。


 返事もこれからはもうこんなふうにやりとりはできない。最後の手紙と考えるので、胸に込み上げてくるものがあり、心をこめて書く。その墨付きなどもとりわけ見事だった。



「世の中の無常だということは私一人だけが思い知っていたと感じていましたのに、取り残されたとあなたが仰せになりますとは。たしか、そういえば、




 あま船にいかがは思ひおくれけむ

 明石の浦にいさりせし君




 回向をとおっしゃいますが、一切衆生のためにする回向ですもの、どうしてその中の一人としてあなたもお入れしないことがあるでしょう」



 とある。濃い青鈍色の紙で樒にさしてある。そうするのはいつもの趣向だが、とてもしゃれた筆づかいは昔に変わらずいかにも趣があるのだった。

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