松風 その十

 順風に送られ、予定の日に違わず、京に入った。人目に立たないようにという用心もあって、道中もさほど身分の高くない一行のようにやつしてきた。


 大堰の川辺の屋敷の造りも風情があって、長年暮らしてきた明石の海辺に似ているので、違う土地にやってきたような気持ちもしない。


 尼君は祖父中務の宮在世の昔のことが思い出されて、心にしみじみと感じることが多いのだった。新しく増築した屋根つきの廊下なども、趣があって、遣水の流れも風情よく造られていた。まだ細かいところまでは仕上がっていないようだが、住み着いてしまえばこれで結構だろう。


 光源氏は腹心の家司に、安着の祝宴を用意するように命じた。


 自身が行くことは、紫の上に対してあれこれ口実を考えるうちに、瞬く間に、幾日が過ぎてしまった。


 明石の君は、京に来てかえって悩みごとにとらわれる日が多くて、捨ててきた明石の家も恋しく、することもない所在無さに、あの形見の琴をかき鳴らした。折から淋しい秋ではあり、悲しさもひとしおに身にしみて、涙をこらえかねるので、誰も来ない部屋にひとりでくつろいで少し弾くと、松風が琴の音にあわせるように、恥ずかしいほど高々と鳴り響くのだった。


 尼君はもの悲しそうに物に寄りかかっていたが、起き上がって、




 身をかへてひとり帰れる山里に

 聞きしに似たる松風ぞふく




 と詠んだ。明石君も、




 ふる里に見し世の友を恋ひわびて

 さへづることを誰か分くらむ




 と詠んだ。


 明石の君は、こうして心細く明かし暮らしているのだった。

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