須磨 その四十一

「若君が小さくて、世の中のことをまだ何もおわかりでない悲しさを、父大臣が明け暮れに嘆きつづけています」



 と頭の中将が話すと、光源氏はたまらなく悲しくなった。積もる話は尽きることがないので、かえってその片鱗さえ伝えることができない。夜もすがら寝ず、二人は漢詩を作って夜を明かした。


 そうは言っても、世間の噂になるのを憚って、頭の中将は急いで京に帰る。なまじ逢ってしまっただけに、かえって別れの辛さはひとしおだった。素焼きの盃で別れの酒を酌み交わし、〈酔ひの悲しび涙灑ぐ、春の盃の裏〉と白楽天の詩を声を揃えて朗吟した。


 それを聞いたお供の人々も涙を流した。供人たちもそれぞれに、はかない逢瀬の別離を惜しんでいるようだった。朝ぼらけの空に雁が連なって渡っていく。光源氏は、




 故里をいづれの春か行きて見む

 うらやましきは帰るかりがね




 と歌い、頭の中将は、一向に出発する気持ちにもなれずに、




 あかなくにかりの常世を立ち別れ

 花の都に道やまどはむ




 頭の中将の持参した都からの土産の品々は、どれも趣向を凝らして調えてあった。光源氏はこんなに心のこもった訪問の返礼として、黒い馬を贈った。



「勅勘の身からの贈り物は、不吉と思うかもしれませんが、〈胡馬北風に嘶く〉という文選の詩もあることですから、この馬も喜び勇んで嘶いて故郷に帰ることでしょう」



 と言う。いかにも世にまれな素晴らしい駿馬だった。返礼に頭の中将は、



「これを形見と思って、私を思い出してください」



 と言いながら、世にも素晴らしい名笛一管だけを贈った。あとは人目に立つようなものは、お互いに遠慮したのだった。

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