須磨 その三十五

 二条の院の紫の上は、時が経つにつれて心の安らぐ暇もなかった。東の対で光源氏に仕えていた女房たちもみな、西の対に移って来て紫の上に仕えるようになったはじめの頃は、紫の上を、まさかそれほどの人でもないだろう、とたかをくくっていたが、側近くで仕えて見慣れるにつれて、やさしく美しい様子といい、何につけこまやかな配慮をする心遣いも、思いやりが深くあたたかなので、暇をもらって去っていく人もいなかった。身分の高い女房たちには、時には姿を見せることもある。その人たちは、たくさんいる光源氏の女君の中でも、とりわけ光源氏が大切にして、深く寵愛するのもごもっともだ、と納得するのだった。


 須磨のほうでは、滞在が長引くにつれて、紫の上が恋しくて、耐え難いほどになるが、自分でさえ、何という浅ましい運命かと嘆くこのわび住まいに、どうして一緒に暮らせよう、そんなことはとうてい不似合いで不可能なことだと思い返すのだった。こうした田舎の土地柄なので、万事につけ都とは風習が変わっていて、都ではついぞ知らなかった珍しい下々のものの暮らしぶりも、はじめて見聞きしては、我ながら今の境涯が情けなく不都合に感じた。


 煙が間近に立ちのぼるのを、これこそ海人の塩焼く煙だろうと思ったのは、住まいのすぐ後ろの山に、柴というものをけぶらせていたのだった。珍しく思い、




 山がつの庵に焚けるしばしばも

 言問ひ来なむ恋ふる里人




 と詠んだ。

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