須磨 その三十四

 五節の君は、あれこれ無理算段して、とにかく手紙を届けた。




 琴の音にひきとめらるる綱手縄

 たゆたふ心君知るらめや




「好き好きしいこのような不躾けなまねも、どうか〈人な咎めそ〉の歌のようにお咎めになさいませんように」



 と言った。光源氏はその手紙を微笑みながら見る。その様子の何という匂やかさ。




 心ありてひきての綱のたゆたはば

 うちすぎましや須磨の浦波




「こんな田舎では海人同然の暮らしをしようとは、思いもよらないことでしたよ」



 と返事にはあった。昔、左遷される菅原道真公が駅の長官に詩を与えたという故事もあるが、五節の君は、まして、こんな胸を打つ返事をもらい、このままこの地に、一人残ってしまいたいように切なく思うのだった。




   ###




 都では月日が経つにつれて、帝をはじめ多くの人々が、光源氏を恋い慕う折節が多くなった。とりわけ東宮は、いつも光源氏を思い出しては、そっと泣いていた。それを見る乳母、まして全てを知っている王命婦は、東宮をこの上もなく可哀想に思うのだった。


 藤壺の宮は、東宮の身の上に不吉なことが起こりはしないか、とそればかり心配していたのに、光源氏もこんなふうに流浪してしまったので、この上もなく嘆いていた。光源氏の兄弟の親王たちや、親しく付き合っていた公卿たちも、初めの頃は、お見舞いの便りを贈る人もいた。手紙の中で心を打つしみじみとした詩文を作り交わして、光源氏の作がまた世の中にもてはやされることが多いため、弘徽殿の女御がその噂を聞き、厳しく非難するのだった。



「朝廷の勘気を蒙ったものは、思いのままに日々の食物を味わうことさえも許されないはずです。それなのにあの人は風流な家に住まったり、世間をそしったりしているとは。それをまた、あの鹿を馬だと言って大臣の機嫌をとった人々がよこしまなのと同じように、光源氏に追従する人さえいるのです」



 こんないやな噂が色々と伝わってくるので、関わりあうと面倒だと思って、光源氏に、便りを送る人もさっぱりいなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る