須磨 その二十五

 常々光源氏が出入りしていた部屋や、もたれていた真木柱などを見るにつけても、胸がいっぱいになるばかりだった。物事を様々な角度から考えることができる、世間の経験を積んできた相当な先輩でさえそうなのに、まして紫の上は、光源氏に馴れ睦ばれて、光源氏が父母にも成り代わって、育ててきたので、その人とにわかに別れてしまったのだから、恋しく慕うのも当然のことだった。それも、死んでしまったのなら、言っても仕方のないことだし、日が経てば次第に忘れ草も生い茂って忘れていくということもあるだろう。けれども、須磨は話では近いけれど、実際には聞いていたよりもはるかに遠く、いつまでと期限の決まった別れではないのだから、思えば思うほど、嘆きは果てしもなく尽きないのだった。


 藤壺の宮にいたっても、東宮の将来を案じ、光源氏の失脚を嘆くことは言うまでもない。二人の前世からの因縁の深さを考えると、光源氏の身の上を、どうして並々の気持ちで思い過ごすことができよう。これまではただ世間の噂などが怖くて、少しでも情のある素振りを見せたら、それを見咎めて人がとやかく噂を始めないかとばかり怯えて、ただもうこらえ忍びながら、光源氏の切ない心をも、大方は見て見ぬふりをし、取り付く島もない冷たい態度でいたのだった。


 ところが、これほどまでに煩わしい世間の人の端にも、このことだけはついに全く上らないまま過ぎてきたのは、光源氏のほうでもそういう心遣いをして、一途な恋心のはやるままにまかせず、一方では体裁よく、本心をひた隠しにしていたからなのだと、今ではあの頃のことをしみじみ懐かしくも思い、光源氏をどうして恋しく思い出さずにはいられようか。返事も、あの頃よりかは情を込めて、細やかにしたためた。



「この頃は前にもまして、ひとしお」




 塩垂るることをやくにて松島に

 年ふる海人もなげきをぞつむ

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