賢木 その十一

 四十九日までは、亡くなった桐壷院の女御や御息所たちは、みな院の御所に集まっていたが、その日も過ぎると、みな散り散りに退出していった。それは十二月の二十日のことで、世の中の様子もみな、年の瀬の暮れ行く物淋しい空のように陰気だった。まして晴れる間もなく悲しいのは、藤壺の宮の心のうちなのだった。


 藤壺の宮は弘徽殿の女御の気性をわかっているので、これから弘徽殿の女御の思い通りになる世の中に、立つ瀬もなくさぞ住み難くなるだろうと思っている。それにつけても長い年月、馴れ睦んできた桐壷院の様子が、絶え間なく思い出された。


 いつまでも院の御所にいることもできず、皆、それぞれほかへ退出するので、悲しさは限りもなかった。


 藤壺の宮は、三条の里宮に帰った。迎えに兄の兵部卿の宮が来た。その日は雪が降りしきり、風も激しく吹き、院の御所は次第に人影も少なくなり、しんみりしていた。光源氏も藤壺の宮の部屋に参上して、亡くなった桐壷院の在世の頃の思い出話をする。


 庭の五葉の松が雪にしおれて、下葉が枯れたのを見て、兵部卿の宮が詠んだ。




 蔭広み頼みし松や枯れにけむ

 下葉散りゆく年の暮かな




 それほどの歌ではないのに、折にふさわしく、しみじみと心にしみ、光源氏の袖が涙に濡れた。池の水が一面に凍っているのを光源氏が見て、




 冴えわたる池の鏡のさやけきに

 見なれしかげを見ぬぞかなしき




 と心をそのままに詠んだのは、あまりに素直な詠みぶりだった。王命婦が、




 年暮れて岩井の水もこほりとぢ

 見し人影のあせもゆくかな




 と詠んだ。そのほかにもこのとき、いろいろたくさんの歌が詠まれたが、ここに書き連ねるほどのものではなかった。


 藤壺の宮が三条の里宮に移る儀式は、これまでと変わらないのだが、思いなしかもの淋しくて、旧い三条の宮邸はお里なのに、かえって旅住まいのような気持ちがした。桐壷院の側にばかりいて、里住まいが長く絶えていた歳月のことなど、藤壺の宮は今更のように思い巡らしていることだろう。

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