賢木 その四

 お互いの恋のあらゆる物思いを味わい尽くした二人の間で、その夜、語り合わされた様々なことは、とうていそのまま伝えるすべもない。


 ようよう明け離れていく空の景色も、ことさら作り出したかのように深い情趣をたたえている。




 暁の別れはいつも露けきを

 こは世に知らぬ秋の空かな




 と詠み、立ち去りにくそうに六条御息所の手をとってためらっている光源氏の様子は、この上なくやさしかった。


 風がとても冷ややかに吹き、松虫の鳴きからした声も、まるでこの暁の別れのあわれさ深さを知っているかのように聞こえる。これといった物思いのない身にさえ、聞き逃し難い気のする風の声や虫の音だ。まして、どういようもないほどやるせなく思い悩んでいる二人は、かえって歌も、日ごろのようにはかばかしく詠むことはできないのだろうか。




 おほかたの秋の別れもかなしきに

 鳴く音な添へそ野辺の松虫




 と六条御息所が詠んだ。言い残したことで悔やむことも多いのだが、今はもう、どうしようもないので、空が明るくなっていくの恥ずかしく、光源氏は立ち去った。


 その帰りの道すがらも涙がちで、袖も涙の露に濡れたことだろう。


 六条御息所も、とうてい気強く堪えることはできず、光源氏が立ち去ったあと、名残り惜しさに我を忘れ悲しみに放心している。月影の中に、ほのかに浮かんでいた姿や、まだあたりに漂っている残り香などを、若い女房たちは身にしみじみ慕わしく感じながら、たしなみも忘れ、はしたないことでも仕出かしかねないほど讃えている。



「どんなに大切な旅行といっても、あんなに素晴らしいお方を見捨てて、別れることができるでしょうか」



 と言っては、わけもなく誰もが涙ぐんでいた。

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