葵 その三十二

 葵の上がとりわけ可愛がっていられた幼い女童女が、両親も居なくてひどく心細そうにしているのを、無理もないこととみて、



「あてきはこれからは、私を頼りにするのだよ」



 と言うと、あてきはひどく泣き出した。小さいあこめを、ほかの人よりは濃く染めて、黒いかざみ、かんぞう色の袴などをつけているのも、可愛らしい姿だった。



「在世の昔を忘れない人は、淋しさを我慢してでも、夕霧を見捨てず仕えてくれ。あの方の生きていた頃の名残りもなくなり、そなたたちまで去っていったら、いよいよわたしがここへ来るよすがもなくなってしまうから」



 などと、みんながいつまでもお仕えするように、と言うのだが、さて、どういうものだろうか、どうせ、この先は、もっともっと待ち遠しいまれな来訪になるに違いないと思うと、女房たちは、そぞろに心細い限りなのだった。


 左大臣は女房たちに、それぞれの身分に応じた、ちょっとした趣味的な道具や、また、いかにも形見にふさわしい品物など、表立たないように心遣いして、漏れなく配らせた。


 光源氏はこうしていつまでも引きこもってて居られない、と桐壷院に参上することにした。牛車を引き出して前駆の者が集まる頃に、得意顔に丁度時雨が降り注ぎ、木の葉を誘う風が、あわただしくあたりを吹き払うと、御前に仕えている女房たちは本当に心細くなって、少しは涙の乾くいとまが出来かかっていた袖を、たちまち涙に濡らしてしまうのだった。


 夜になったそのまま二条の院に泊まるだろうと察して、光源氏のお付きの家来たちもそちらで待つつもりなのだろう。それぞれ支度して出てきたのを見ると、今日限りで訪問が絶えてしまうことはないだろうと思いながら、女房たちはこの上なく、もの悲しくなってしまった。

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