葵 その十九
あの六条御息所は、こういう左大臣家の様子を聞くにつけても、心が穏やかではなかった。前には命も危ないような噂だったのに、よくもまあ安産だとは、と複雑な気持ちだ。不思議な自分でもわけのわからない、正気の抜けたような夢うつつともはっきりしない気分の後を、じっとたどってみると、召物などにも、祈祷の護摩をたく芥子の匂いがありありと染み込んでいた。不気味に思い、髪を洗い、召物も着替え、匂いが消えるか試したが、相変わらず芥子の匂いはしつこく体にしみつき、消えなかった。やはり夢だと思ったことは現実だったのか、とそんなわが身が、我ながら疎ましく思った。まして、このことを知ったら世間の人が何と思い、どんな噂をするだろうか、と誰にも言えないことなので、自分の心ひとつにこの秘密をおさめて悲しんで悩んでいる間に、ますます心が錯乱してくるのだった。
光源氏は、安産に少しは気分が楽になり、あのときの何とも言いようもなく浅ましかった生霊の問わず語りを、厭わしく思い出していた。それにつけても六条御息所を訪ねなくなって、随分と日数が経っていることも心苦しく、けれどもまた、六条御息所に近々と逢うことも気が進まない。
「お逢いしてもどんなものだろう、もっと厭な気分になるに違いないから、かえって六条御息所のためにもいっそう気の毒なことになりはしないか」
など、あれこれ思い悩み、手紙だけ差し上げるのだった。
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