紅葉賀 その十六
頭の中将と源典侍の仲は隠していたので光源氏は知らなかった。源典侍が光源氏を見かけては、まず怨み言を言うので、あの年になって可哀想だから慰めてやろう、と思うのがけれども、どうも億劫でその気になれないまま、かなりの日数が経ってしまった。
ある日、夕立が来て、その後涼しくなった宵闇に紛れて、光源氏が歩いていると、源典侍が琵琶をとても見事に弾いていた。
源典侍は帝の前でも、男たちの管弦の遊びに交じったりして誰もかなわないほど琵琶が上手なのだが、今はつれない人を怨めしく思っている折も折なので、その音がとても哀調をおびてしんみり聞こえる。
やがて弾きやんで、源典侍はとても思い悩んでいる様子だった。
光源氏は催馬楽の『東屋』という密会の歌を、
「私は雨に濡れている。早く戸をあけておくれ」
と小声で忍びやかに口ずさみながら近寄ると、
「その戸はしめてありませんよ。早く押しあけていらっしゃい」
と、あとの誘いの歌詞を歌い返したりするのも、並の女とは違うと感じる。
立ち濡るる人しもあらじ東屋に
うたてもかかる雨そそきかな
と、源典侍は詠って悲しむのを、光源氏は、自分ひとりが源典侍の恨みをひきうける義理もないのに、と思ってうんざりし、どうしてこうまでしてしつこいのか、と思ったりする。
人妻はあなわずらはし東屋の
まやのあまりも馴れじとぞ思ふ
と詠って、そのまま立ち去ってしまいたかったが、それもあまりすげなさすぎると思い直し、源典侍の誘いに従った。ちょっと軽薄な冗談を言い合っていると、これも時には一興かと思った。
頭の中将は、光源氏がひどく真面目なふりをし、いつも人のことばかり咎めるのが忌々しく、何食わぬ顔をしながら、実はこっそり忍び通っているところが少なくないらしいのを、何とかして暴いてやりたい、とかねがね思っていたところに、この現場を見つけたので、何とも嬉しくてたまらなかった。こういう機会に少し脅して慌てさせ、懲りましたか、とでも言ってやろうと思い、わざとしばらくそっとして油断させたのだった。
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