帚木 その五
ある日、光源氏は小君に手紙を持たせて空蝉のもとに送った。今から会いたい、という内容の手紙だ。
手紙を受け取った空蝉は光源氏からというだけで手紙を読む気すらおきなかった。
この手紙を持ってきた弟の小君に対して、
「こんな手紙を読む人はいません、と光源氏様にお伝えしなさい」
と言った。
「そんな失礼なことを言うことはできませんよ」
「なんですか、それならもう光源氏様のもとに行くのはやめなさい」
「しかし、呼ばれたら行かないわけにはいかないじゃないですか」
などと空蝉と小君は言い合っていた。そんなことをしている間に一日が経つ。光源氏は戻ってきた小君に対して不満を持っていたことだろう。
「昨日は一日中返事を待っていたのに。君は私のことを大事に思っていないのだね」
光源氏の言葉に小君は顔を赤くするばかりで何も言えない。そんな小君に光源氏は追い討ちをかける。
「それで、返事はどうだった?」
「実は……」
小君は空蝉に言われたことを正直に話す。それを聞いて光源氏は
「ひどい話だ」
と言ってまた次の手紙を渡すのだった。
「お前は知らないだろうが、空蝉の夫である伊予の守よりも私のほうが先に仲良くなっていたのだよ? それを私は若造だといって馬鹿にして……」
小君は光源氏の話を鵜呑みにしてしまう。幼い小君は光源氏の話が嘘か本当か判断できなかったのである。
「小君、お前だけは私の子供のつもりでいておくれ。伊予の守も老い先短いことだろう」
光源氏はこのような調子で小君を実の子供のように連れまわした。宮中へも連れて行ったし、衣装の新調などもした。
その対価としてか、小君は空蝉への手紙を送る仕事を任された。しかし空蝉は相変わらず手紙の返事を書こうとしない。
そんなある日、またしても方違えによって伊予の守の邸宅にお邪魔することになった。もちろん、光源氏の狙い通りである。
伊予の守は自分の邸宅が光源氏に気に入られたと思い、喜んでいる。何とも暢気なことだ。
光源氏はさっそく小君をつかって空蝉に手紙を書く。空蝉はあの一夜のことを思い出し、悩み苦しむのだった。
そんな空蝉は小君が光源氏のところに戻ると、女房である中将の君のところに場所を移した。身を隠すためである。
しかし、光源氏の手紙を再び運んできた小君に見つかってしまい、恨み言を言われることになった。
「姉さん、ひどいです。この手紙を渡せなかったら僕が光源氏様に役立たずと思われるではないですか」
「お前こそ、どうしてこんなことばかりするの? 子供なのにこんな取次ぎをするのはいけないことなのよ」
と空蝉は小君を叱った。
「私は気分が悪いと言って。お前がこんなところにうろうろしていたら誰だって怪しむでしょう」
空蝉はこんなことを言っているが、内心では伊予の守の妻という身分でなかったらどれだけ良かっただろう、と思った。光源氏との恋愛はきっと楽しいだろう、と思うのだった。
しかし、そんなことも言っていられない。空蝉は心を鬼にして嫌な女で押し通そうと心に決めた。
光源氏は横になりながら小君の帰りを待った。帰ってきた小君に不首尾に終わったことを聞くと、落胆しながら一つの和歌を書いた。
帚木の心を知らで園原の
道にあやなくまどひぬるかな
光源氏はこれを小君に持たせて空蝉に送った。空蝉もこれには反応しなければならないと思ったのか、このように返歌した。
数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さに
あるにもあらず消えゆる帚木
光源氏は帚木の歌とは違い、空蝉の姿がより一層心に現れるようだ。それは空蝉の強情な性格や一筋縄ではいかない気性がそうさせているらしい。
いまいましく思うと同時に、だからこそこのように惹きつけられるのだとも思う。
ついに光源氏は小君に
「私を空蝉のところに連れて行ってくれ」
と頼んだ。しかし、小君は
「ひどくむさくるしそうなところですし、女房もたくさんいます。案内するのは畏れ多いですよ」
と言う。
それを光源氏は小君の優しさと受け取った。
「お前は優しい子だ。お前だけは私を見捨てないでおくれ」
光源氏は冷淡な空蝉よりも弟の小君のほうを愛おしく思うようになったのかもしれない。
帚木 完
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