8 仁志の疑惑

 六月十一日。

『絞殺』というれっきとした死因が、世の中にはもう出回っている。だからだろう、鳥居あかりの通夜はどこか湧き立っていた。


 焼香を終えた参列者たちは続々と帰宅の準備を始めており、生徒のひとりとして焼香をあげた悟も、迎えの車を待っていた。

「帰りも乗せてもらって良いの?」

 教諭が殺害された、言いようのない人情が胸中に停滞する中、重い空気に呑まれず、いつものように隣に居る千春が申し訳なさそうにつぶやいた。

 千春を送り迎えしてくれる者はおらず、山の霊園から自宅へ帰るには、徒歩で四、五十分を歩き通さなければならない。そうであれば、悟とともに送ってしまえば良い――という麦倉母の計らいがあったからだ。

「どうせ家の方向は同じなんだし遠慮すんなって」

「私はだから、ガソリン代なんて増えないよね」

「笑って良いかどうか困るから、そういうボケはやめてくれませんかね」

 道が混んでいるのか、いつものようにのんびり家を出たのか、麦倉家の車は到着が遅れていた。話題がなくなり、悟はぼうっと通夜に訪れた者たちに目をやった。

 どれくらい眺めていただろか、悟は目を細めると千春の肩を軽く叩き、

「なあ、あれ見てみ」

 同じ方向に目線を促した。


 意識の先では、学生や教諭や親族とは思えないくたびれたスーツを着た、異彩を放つふたりの男が会場に向けて歩んできたのだ。

「あの感じ、だね」

 新聞部の性が働いてしまった悟と千春は、駐車場から離れてふたりの男――壮年と青年を追った。参列者をかき分けた男たちは、式場の入口で足を止めると、あちこちをきょろきょろと見回し始めた。

 さあらぬ様子でふたりの男に近づき会話に耳を傾けてみると、どうやら人を探しているようだった。「居たか?」とか「いえ、ここには」とか、何分かそんな会話をしているうち、式場から仁志が出てきた。

 悟は見慣れた姿に声をかけようか、やめるべきか、ためらっていると壮年の男が先に仁志へ歩み寄り、一礼のあと「潮さん、失礼ですが――」と切り出した。

 シチュエーションが過去の声を蘇らせた。改めて一文を聞いてみると、覚えがあり、それも遠くない記憶だったのだ。

「なあ、もしかしてあいつら」と、悟がほのめかしたあと、

「だね。こないだ部室に来た刑事だ」と、千春が明確な答えに頷いた。


 身長の違うふたりの男は少し慣れた様子で、仁志の正面に立った。初めに身分を明かさなかったのは、人の目があったからか、あるいは初対面ではなかったからか。

「ああ、刑事さん。魚見うおみさんでしたっけ、こんな時にまで聞きこみですか?」

 溜息の末に表情、口調、身振りを使って敵愾心てきがいしんを吐き捨てる仁志には、生徒に話しかける優しい教員の面影はこれっぽっちも残っていなかった。通夜に土足で踏み入ってきた者へ対する、至当の反応である。

 仁志は「場所を変えましょう」と促し、刑事とともに、街灯の明かりがぎりぎり届く駐車場の一角に歩んでいってしまった。

「ったく……。あのさあ悟、ここで待っててくんない?」

 すると一部始終を見ていた千春が、ずんずんと仁志に近寄り始めた。途中、千春は携帯用の香水容器をスカートのポケットから取り出すと、ほんの少量を腕につけた。一挙一動は理解できなかったが、嫌な予感だけはひしひしと感じてしまう。


 悟は千春のあとを追い、駐車場の植込みの陰に身を潜めながら、声が聞こえる位置で足を止めた。

「――先生、おーい潮先生。ちょっと部活の件で話したいことがあるんだけど」

「ああ、米田か。すまない、今ちょっと取りこんでて……あすで良いか?」

 千春は普段の素振りで、対する仁志も学校で見せる顔を取り戻していた。知人の通夜だというのに、会話は日常のままだったのだ。『使い分け』や『演技』だとしても、ここまで心を切り替えられる耐性が理解できなかった。

「用事? あぁ、性懲りもなくこの辺を嗅ぎまわってる犬か。教師も大変だな」

 反面、刑事に対する口調は、尋常ではない嫌忌けんきを秘めていた。刑事がどういう表情をしていたのかが手に取るようにわかる。

「こら……子供が大人の会話に入ってくるな。すみません、僕の教え子でして」

「いえ、お気になさらず。我々は大丈夫ですから」

 世間でいう『大人の対応』というやつが、あからさまに思春期の千春を見下し、また刺激している。

「ふうん。いやね、私は忠告しておこうと思って。刑事さんじゃ牛男の正体を暴くなんて無理に決まってます。身を滅ぼしますよ」

 けしかけられたように嫌味をはきはきと発声した千春は、わざとらしく仁志にぴったりくっつき笑みを浮かべている。思わせぶりを含んだ発声は、単純な挑発とも、若さゆえの恥ずかしい汚点とも捉えられる。

「我々は警察だぞ……そんな都市伝説、信じてるわけないだろ!」

 我慢ならなったのだろう、まんまと千春の釣り針に引っかかったのは、魚見と行動する若い刑事だった。駐車場に居た数名の参列者が視線を寄せるほどの声量だ。

「うわ、中坊相手に大声出してる。あーあ、若い刑事って怖いなあ。そんなんじゃ、鳥居を殺した犯人にすら辿り着けないですね。やってることが三流なんですよ」

 千春の暴走に対して、仁志の溜息が聞こえた。担任として怒鳴り声を上げて追っ払う場面で、さながら味方につけているようにも見える。

「――すまないね、お嬢さん。こいつはまだ若いモンでなあ」

 その中では魚見の対応が最も大人だった。中学生に詰め寄ろうとする若い刑事を制すと、頭をかいて間隔を置いたのだ。

「米田さん? だったかな。君はなにか知っているのかい?」

「いえ、知りませんよ。ただ牛男は危ないんで近づかない方が良いってことです」

「ははは、忠告ありがとう。キミは優しい子だね」

「ええ、私は昔から優しいんです。それに一度、牛男に襲われてるんですよ。なので、なにかあれば私に聞いてください。力になりましょう」

「ありがとうお嬢さん。でも今日は先生と話があるんだ、すまないね」


 友人があしらわれている様をこれ以上見ていられなかった。悟は植込みの切れ目に体を通すと早足で千春に近寄り、背後から細い手首を鷲掴みにした。

「おい千春、迎えが来たぞ。刑事なんかに絡んでないで帰るぞ」

「やだぁ、まだ話があるのー」

「こんな時ばっかり可愛い子ぶるな……ってかお前、力強いな!」

 早々に千春を退散させようとしたが、見た目以上に腕力があり、引っ張ってゆくだけでも骨が折れた。悟は体重に物を言わせ、どうにか仁志たちと距離を取ったあと、どこかで嗅いだ覚えのある香水の匂いに意識を逸らされた。

 悟の鼻に残ったのは、千春にしては珍しい趣味だと思えるくらいの、甘いオードパルファムだった。

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