2 部長の罪

 給食後の昼休み。新聞部部室。

 南館の一階、最奥にある部室は日光の差しこみが悪く、緑の植木が邪魔をして校庭の様子もまるで見えない。部室には、机と椅子がコの字に置かれており、『コ』の隙間の空いた方向に黒板があり、黒板正面に出入口がある。悟は定位置――黒板から見て右手の椅子に深く座り、窓を背にしていた。


 普段なら惰眠だみん貪るむさぼ時間だが、今日は文化部を象徴する手つきでマウスとキーボードを操作しながら、『あるもの』を書きあぐねていた。

 千春同様にジャージを好まない悟は、「はあ」と一息のあと、ワイシャツの第二ボタンを外した。

「ちょっと部長?」

「なんだよ副部長」

「テーマまとまった? 私が考えてあげようか? それとも二年生に任せる?」

 黒髪に映える白いセーラー服を着た千春はそっと悟の後方に椅子を移動させ、妙に優しい口調を向けてきたあと、茶色い手帳のペン差からシャープペンシルを抜き、物見の兵のごとく鋭い目線も向けてきた。

 部室に入ってきた湿った風が、千春の丸みのあるボブを揺らすと、風下の悟は香りをもろに受けてしまい、思考がしばらく停止してしまった。

「……えっと」

 新聞部は常に五、六人の部員が在籍していれば成り立つ、寂れた場所だ。活動内容は校内での取材や校外での出来事をまとめ、月一で新聞を発行するのが主である。

 また、学校にまつわる行事や出来事だけではなく、時折コラムやインタビュー、謎の連載小説なども、B4紙一面をくまなく使用し掲載している。

 あとは『理念』とか『秩序』とか、中学生が理解できない小難しい意味合いによって成り立っているようだが、結局のところ『惰性』のために存続しているのだ。あっても気にしないが、ないと寂しい――要するになくてはならない存在だ。

 ゆえに、廃部になる虞がおそれない新聞部では、顧問の仁志も部員に任せきっている状態だった。


 初代部長が名づけたという『右往左往新聞』も累計一〇〇号を突破したというのに、時折吹きすぎる、食後の体に優しい六月の薫りがあまりにも気持ち良くて、悟が数分前に誓った『ネタの考案』も市街地まで吹き飛んでしまいそうだった。

「おい悟、眠いの? 例えば、処分されない赤レンガ焼却炉の謎なんてどうかね? ほら、もう使われてない校庭西の。体育館に行く途中に見えるやつ」

 千春の手が伸びてきて、悟の腕が揺すられた。それが余計に心地よくて、深い眠りに手を引かれる思いだった。船を漕いでいたせいか千春の言葉も頭に入ってこない。

「え? ああ、俺らが入学した頃からあったやつか。どうせ放置されてるだけだろ」

 素っ気ない返答に時が滞った。ネタを提供してくれた千春に対し、悟は急に申しわけなくなってタイムリーな話題を模索した。

「そういや俺たち文化部も、体育系と同じで実質九月には引退だっけ?」

「私たちは十月の文化祭の出し物が最後だろ。まったく、しっかりしてよ部長」

 真面目で堅物の千春には、それが逆効果だった。唯一の救いは、教室での無感情とは異なり、ここでの千春には喜怒哀楽があることだ。呆れながら溜息を吐きかけてくれる方が、よっぽど眉を読みやすい。悟は安堵のあと含みながら笑ってみせた。

「千春さんが俺よりジャンケン弱かったら、こんなことになってなかったんですよ」

「ほう、この期に及んで責任転嫁か。今ここで部長の罪にしてやろうか」

 その安堵のせいで、千春のトーンと目つきが豹変した。震わせている右手は、チョキに勝るグーではなく、人を痛めつける拳にしか見えない。

「えっと七月は一、二年生に任せてみよう。で、八月九月の拡大号を俺らの最後の新聞にしよう。文化祭は俺らが下級生を支援する形にしてさ」

 悟が慌てて前言を撤回すると、ふん――と一声。異論を唱えなかった千春は、立ち上がりながら机に腰を移した。床にぎりぎり届かない両足を前後に揺らしながら腕を組む姿を見る限り、機嫌は損ねずに済んだようだ。割と正確な指示を見せつけた手前、悟は自賛と楽観の笑みを浮かべた。

「まあ、あとは部活の時に考えよう」


 ――という議題が放課後に持ち越され、集まってきた部員たちが定位置についた。

 悟と千春は隣り合い、正面に二名の二年生が座っており、右手――下座に二名の一年生が座っている。

 本日も顧問の姿が見えない部活が始まると、副部長からの端的かつ的確なあらましを、かかしのような表情で耳に入れていた下級生たちは、一拍置き、質問を持ちかけられたところでアクションを見せた。

「オレらはそれで良いっすけど、文化祭の出し物どうするんっすか?」

「来月の見出しはあたしらが決めるとして、文化祭は早めに話し合わないとですね」

 アグレッシブな二年生が意見を合わせる様子に耳目が集まった。先に言葉を発した舎弟気質な男子生徒が芋岡いもおか弘、ひろし平生ゆるい女生徒が稲川いながわライカだ。

 どちらも発育が良く、悟と千春の後輩にあたるふたりの方が身長が高いのが――あまり認めたくない特徴である。一方、相応の形をした一年生は黙りこんだまま、上級生のやり取りを見つめている。

「来月の分は、実質キミらの出し物にもなるわけだからね。私と悟の存在は、バックアップ程度に考えて」

「大丈夫っすよ。ふたりは受験生なんっすから、オレらがしっかり支えますって」

「そうですよう、心配しないでください。一年生たちと頑張りますよう」

 まったく、気遣いのできる頼もしい二年生である。初々しかった去年とは比べ物にならないくらい立派に成長してくれたのだ――

「じゃスクープとかどっすか? 牛男の謎をあばけ! マジこれイイと思うんすよ」

 感心した矢先、悟は一瞬でもじんときてしまった感情を撤回し、己の存在を棚に上げながら、中学生の思考こそ子供そのものであると溜息をついた。

「あのねえ、都市伝説なんか記事にできるわけないでしょ」

 立場的に信号の色を変えるのは悟だが、真っ先に難色を示したのは千春である。無茶な提案を拒む副部長は、新聞部にとってのブレーキを担っているのだ。

「でも米田先輩、色物とかないと人は来ねえっすよ?」

 そうかといって、激しく否定しない千春は、二年生の言い分も理解していたのだろう。大概、文化部の出し物よりも射的、お化け屋敷、ナントカ喫茶などの、各クラスが出す定番に人を持っていかれるのは定説なのだ。

「ったく、大体どこに居るのそいつ。待ち合わせして出会えるわけ? 無理でしょ」

「そ、それはそうっすけど……でも、そういうの追うのが新聞部っていうか……」

 千春が無自覚に放つ圧力に対し、弘は声をひそめて、眉をひそめた。こうなってしまうとライカも口を挟めず、気まずそうに目を逸らすだけである。

「なあ千春。文化祭なんだし、たまにはふざけちゃっても良いんじゃないか?」

 見かねた悟が、部長としてではなく友人として口を挟むと、きつめの双眸そうぼうを向けられた。「おいこら悟」というセリフがまるでチンピラである。千春の、部活に取り組む姿勢は見習うべきとしても、面白みがなさすぎる。

「あ、じゃあ奇をてらってバンドやるか。ほら、放課後に茶ぁ飲むやつあったろ」

「誰が楽器とか機材とか集めてくんだよ! 私か? やっぱ私なのか、おいコラ!」

「千春……口調口調」

 このように、ひとりでがなっている姿の方がよっぽど面白みがあるくらいだ。

 千春が荒っぽく叫ぶのは平常である。クラスの生徒が異常と捉えたとしても、新聞部ではデジタル時計が自動で時刻修正を行うくらい見慣れた光景なのだ。

「米田先輩、落ち着いてください! ちゃんとオレらで考えるっす!」

「大体、楽器引けんのかお前ら! 私は音楽2なんだよ! 怒るでしかし!」

「ふふっ。悟さんと千春さん、あんこと最中もなかとみたいに仲良しですねえ」


 二年生が受け持つ七月号の見出しが【夏祭り、皆が待ち望む】に決まったところで、本日の新聞部は「お疲れ様でした」が唱和された。

 休息への入口が開く瞬間は、何物にも代えがたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る