一食目 牛男と新聞部
1 現代の罪
若干の砂ぼこりを帯びた風が教室を潤した。
「今日は蒸し暑いな。よし、四時限目はここまでにするか」
教壇の上、メガネを外した教員が、目をこすりながら国語の授業を早めに切り上げると、生徒たちは顔を綻ばせながら給食の準備を始めた。生徒の立場で授業風景に溶け込んでいた
思春期が放つ熱気が教室に充満し、各々が本能のまま糧を口に運ぶ。微笑ましい学校風景と捉えるか、若人たちが生に執着する異様な光景と捉えるか。悟は後者寄りの考えを持ちながら箸で白米を口に運んでいた。
給食の時間は一日の楽しみでもある。食欲を満たすのはもちろんだが、クラスメイトと交流を深めるのもひとつの理由である。が、本日はトレンドが芳しくなかった。あちこちの班では、おかずとは別に不穏な噂が耳から取り込まれている。
「鳥居先生どうしたんだろう」「もう何日も学校来てないね」「きっと事件だよ」
狗川中学校に勤める三十代の女性教員が、数日前から無断欠勤をしており、学校中がその話題で持ちきりだったのだ。
女性教員は隣のクラスの担任で、我が強く、思いどおりにならない時にヒステリックな感情を持ち出す以外は才色兼備で、教諭と生徒(主に男)から支持を得ていた人物だ。もちろん、悟とも面識があった。
「本当に事件かねえ。
四つないし六つの机を密着させ、出来上がった班で各々の食事が進められる中、悟はげんなりしながら正面に目を向け、セーラー服を着た生徒に呼びかけた。
正面――九割の生徒がジャージで学校生活を送る中、制服を着用する
「ったく、私は関心ないっての」
綺麗な箸の持ち方も、溜息混じりの対応も普段どおりで、事変に興味を示さない性格もブレていなかった。仮に、フレンドリーの交友を深めようとしても同じ反応をするだろう。それを知った上で悟は「相変わらずだな」と、ぶっきらぼうに返した。
「そもそも私、あの女教師のこと嫌いだから」
「お、おい米田……そういうことを担任の前で言わないでくれないか。それに、あんまり人の噂話をするもんじゃないぞ? 鳥居先生にも事情があるんだろうから」
悟と千春の斜向かいに座っているのは、先ほどまで教壇に立っていた男、三年一組担任の
千春以外が賑やかに談笑していた班の生徒たちは、担任の忠言を聞くなり、不承不承にトーンを落としてしまった。
「確かに、噂っていうのは人の心を苦しめるロクでもないもんだからね」
空気をぶった切るように、汁物の入った深皿を机に置いた千春が、誰とも目を合わせようとはせず、箸先をじっと見据えながら仁志の言葉を拾った。
「千春って噂とか勘違いとか嫌いだもんな」
悟は苦笑いを浮かべた。他のクラスメイトとは違い、千春の肩に届きそうな黒髪も、釣り上がった眉毛に対する垂れ目も、変わった性格も、部活動を通して見慣れているからだ。
「デマカセが独り歩きして生徒の不安を煽ってんだよ。学校で言葉を発しない生徒なんて居ないんだから、どんな下世話な言葉でも噂の種になる。てめえでてめえの首を絞めてんのさ。現代の罪だな」
千春の言い分は理解できる。噂とは、人々が発した何気ない一言の集合体みたいなものだ。ただ口が悪く、眉も読みにくいせいか、千春の意見に同調するクラスメイトはいつも居ない。
「まあまあ米田。噂は良くないが、そういう年頃なんだし多少はな?」
「ったく、先生はどっちの味方なんだか。私を悪者にするのやめてくれないかな」
千春は普段から担任に敬語を使わず、それどころか上からの物言いが目立つ。見ている悟がヒヤヒヤするくらい、言動が物恐ろしかった。
さぞかし誰よりも叱責されていそうな千春だが、仁志に詰め寄られているシーンは一度も目撃されていなかった。そうかといって
「それよりみんな、もうすぐ夏休みだがちゃんと予定を立てて――」
見かねたように仁志が話題を変えた。
大食漢の仁志は生徒よりも量の多い給食を、より早く食べ終えたあと、プライベート、パブリックを織り交ぜた話題を生徒に振り、軽い笑いを誘っていた。教員として皆から信頼されている、校内でも数少ない立場の男である。
楽しげなやり取りに隠れるように、ひとり千春は小さな声で「ごちそうさま」と、空腹を満たしていた。続くように悟も、軽く手を合わせて食事を終えた。
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