第二話 変身――どきどき初体験。

 時は、平成二十九年五月三十一日水曜日の午後七時ジャスト。

 ところは、岐阜県の恵那市――より正確に言うと、JR中央本線「恵那」駅前から少し歩いたところにある、恵那市中央図書館の庭。


 作業服姿の中年男性がこう言った。


「おい、全然魔法使いに変わったような気がしないんだが、これはどういうことだ」

「それはそうですよ。今のはただの契約ですから」

「……じゃあ、魔法を使うためにはどうしたらいいんだよ」

「それには、手順というのが決まっておりまして――」

「おい、ちょっと待て」

「はあ、なんでしょうか?」

「魔法を使う手順だって?」

「そう言いましたが、何か?」

「何かじゃねえだろ。何で先にそれを説明しないんだよ」

「ええっ、だって聞かれなかったから……」

「だあっ、これだから新人ってぇのは使えねぇんだよ! 何で営業が待ちの姿勢なんだよ? お客様目線で考えたらすぐ分かりそうなことじゃねえか!! それを『聞かれませんでしたからあ』ってか? 何様だよお前は?」

「はぁい、すんません、すんません、すんませぇん――」

「ああもう、泣くなよこれぐらいのことで。悪かった、俺が悪かったよ。確かに俺は聞きませんでした。それに言い過ぎました、すみません」

「――こちらこそ、すんませんでした」

「今からでいいからちゃんと説明してくれよ。で、魔法が使えるようになるためにはどうしたらいいんだ?」

「はい、それには手順がありまして。まずは魔法の呪文というのを――」

「はあ?」

「その、魔法の呪文というのをですね――」

「ああん、もう一回言ってみろよ!?」

「あの、また怒っています――よね?」

「話が早ええじゃねえか。普通、ここは怒るところだよな」

「はあ、まあ、そうですかねえ」

「そうですかねえ、じゃねえよ。何だよ、魔法の呪文って。どんなやつだよ。まさか『テクテクマザコン』とか『エゴエコアザラシ』とか『スペルマスペルマプルルンピュ』とか、そんな長ったらしいやつじゃないだろうな」

「いや、そんな破廉恥ハレンチなやつじゃ……」

「破廉恥ってなんだよ。ただカタカナ並べただけじゃねえか。破廉恥って言う奴の頭の中のほうが、よっぽど破廉恥なんだよ。だいたい、破廉恥なんて言葉、久しぶりに聞いたわ」

「はぁい、すんません、すんません、すんませぇん――」

「だから、この程度で泣くなよ。すみませんでした。言い過ぎました。俺にちゃんと教えて下さい」

「――すんません、何度も」

「三回目はねえぞ。で、魔法の呪文はどんなやつだよ」

「それが、その、ナンデモイインデスガ――」

「あ、何だって?」

「あの、ナンデモイインデスガ――」

「最後のほう、小さい声で早口になるのはよせ」

「はい、実は何でも構いません!」

「な……」

「重要なことなので繰り返しますが、別に魔法の呪文は何でも構いません。毎回同じ言葉であれば結構です。問題はまったくございません。そうでなければ、少女が簡単に魔法を使えるはずがありません。すんませんでしたぁ!!」

「あ、ああ、そうかい」

「――怒らないんですか」

「いや、そこまではっきり言われるとなあ。確かに、女の子に複雑な呪文というのも、ちょっとなあとは思ったし」

「有り難うございます。嬉しいです!」

「しかしだあ、となると自分で考える必要があるわけか」

「あの、テンプレートとかありますけど」

「あ、あるのか。で、どんなやつだ?」

「俺の左目に宿りし暗黒魔界の邪悪なる神よ漆黒の翼振りて舞い降り我が願いを叶えたまえ紅蓮の炎にて――」

「却下」

「ええっ、なんでですか、恰好いいじゃないですか。なんだか背景から、えもいわれぬもやもやが立ち上りそうで」

「却下」

「……そうですか。ちぇっ、いいとおもったんだけどなあ。じゃあ、スタンダードにいきましょうか」

「ああ、そうしてくれ」

「では、シコシコアトアジ――」

「却下」

「ええっ、何でですか? まださわりの部分しか」

「却下。もういいよ、自分で考えるよ。何でもいいんだな」

「……はい。何でも構いません。その魔法の呪文を、変身ポーズと一緒に――」

「お前、一遍死んでみるか! ああ、何だって? もう一回言ってみろよ! 何と一緒にやるん・で・す・か? その答え次第で、まずお前から最初に俺のバールの餌食にしてやろうじゃないか!!」

「……その、変身――」

「おう」

「ヘンシンポ――」

「だから、小さい声で早口になるのはよせ」

「……変身ポーズです、すみません自分、忘れてました、説明するの」

「おお、いい度胸じゃねえか。説明してみろよ、その変身ポーズとやらをよぉ」

「あの、バールを振り上げるのはやめていただけませんでしょうか……」

「いいだろ、緊張感があって」

「いや、別に、その緊張感はなくてもいいんじゃないかなあ、なんて……」

「ごちゃごちゃ言ってないで早く説明しろよ」

「はい、その、魔法の呪文はなんでもいいんですが、それに合わせて変身ポーズをとる必要がありまして」

「おお、そこまでは分かった。で、どんな恰好をすればいいのかな」

「あの、目が怖いんですが……」

「いいから、説明を続けろよ」

「はい、その、よくあるじゃないですか。まずは両方の手を胸の前で組んで、お祈りするポーズをですね――あああっ、危ないじゃないですか、バールが、バールがあっ!」

「ちゃんと外しただろ。で、お祈りがどうしたって?」

「……お祈りをした後、その手を真っ直ぐ上にあげて、肘を絞りながら前に伸ばして――あああっ、今、バールがかすりましたよっ!」

「惜しかったな。すると何か? こうバールを持って、お祈りの恰好をした上で、それを上にあげて、肘を絞りながら前に――」

「えっ、どうしたんですか急にしゃがみこんで。何が起きたんですか?」

「……」

「あの、顔が真っ赤ですけど」

「……あのさ」

「はい」

「……今さ、図書館のほうを見たらさ」

「はあ」

「……玄関から女子中学生が出てきてんのな」

「へえ」

「……で、ばっちり見られてんのな。しかも、すげえ引かれてんのよ。顔がまじでおびえてんの」

「――あの、なんだかもう、すんません」

「……ちょっと教えてくれ。俺、今、かなりノリノリで変身ポーズやってたかな」

「はい、それはもうノリノリでした」

「そうか……分かった。少し黙っててくれるかな。結構、ダメージがでかい」

「……はい」


 *一分経過


「おい」

「はい」

「これ、なんとかならんかな」

「なんとか、と言いますと?」

「いや、ほれ、さすがに魔法中年だとよ。お祈りとか、両手でハートとか、きらりんとか、辛いわけよ」

「はあ、確かに」

「他にはないのか?」

「あるにはあるんですが――」

「もうだんだん慣れてきたから、言うことがあるんなら、バシッと言ってくれ」

「はい――他のポーズですと魔法の威力が安定しないので、想定外の出来事が起こりやすくなりましてですね。例えば、炎を出すつもりが、赤ふんどし出るとかですね。まあ、そんな感じになるんです」

「……じゃあ、使えないな」

「まあ、そうですね」

「これは流石に我慢するしかないわな」

「そうして頂けますと、自分としては非常に助かります」

「はあ」

「すんません、重ね重ね」

「まあ、考えてみればお前さんのせいじゃないよな。分かったよ。ただ、教えてくれないか。それによって俺の服が、ひらひらの、ふりふりの、ぴちぴちになるとか、そんなことはないんだよな」

「……」

「な・い・ん・だ・よ・な」

「……ひらひらの、ふりふりの、ぴちぴちになることはありませんが――」

「いいから、一気に言ってくれ。加減されると余計に辛い」

「――服の色が、ショッキングピンクのグラデーションになります」


「そうかあ――」

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