魔法中年ローカル平次

阿井上夫

第一話 運命の物語は、偶然の出会いから始まった。

 時は、平成二十九年五月三十一日水曜日の午後六時半を少し回った頃。

 ところは、岐阜県の恵那市――より正確に言うと、JR中央本線「恵那」駅前から少し歩いたところにある、恵那市中央図書館の庭。


 そこで、半透明になっている毛玉のような動物がこう言った。


「ねえ、僕と契約して魔法少女になってよ」

「……」

「ねえ、お願いだから、僕と契約して魔法少女になってよ」

「……」

「ねえ、いい加減あきらめて、僕と契約して魔法少女になってよ」

「……」

「ねえ、人助けをすると思って、僕と契約して魔法少女になってよ」

「お前、人じゃないだろ」

「ああ、やっとしゃべってくれましたね。ということは、ちゃんと話を聞いてくれていたんですね。だったら、僕と契約して魔法少女になってよ」

「お前、自分が今、何言ってるのか、ちゃんと分かってんのか」

「分かってます」

「いいや、全然分かってないね」

「分かってます。それに、会社でちゃんと台詞セリフの訓練を何度も受けました。内容も理解しています」

「だから、違ってるんだって」

「分かってます。分かってます。分かってるって言ってるでしょ、何度も。なんで頭から否定するんですか? 自分が言っていることのどこがおかしいって、貴方は言っているんですか?」

「逆切れしてどうすんだよ。それじゃあ誰も話を聞いてくれないだろ」

「……はい、その通りです。すんません。自分、まだ新人なんで営業に慣れていないものですから」

「営業かよ。それにしてはメンタル弱いなあ」

「……すんません」

「新人の営業担当だったら、普通は先輩がちゃんと一緒について営業の基本を教えてくれたりするもんだろ」

「この業界、人手不足ですし。給料が歩合だから、先輩だって客欲しいし。うさん臭いから、誰も話すら聞いてくれませんし。聞いてくれる客いたら、早い者勝ちですし」

「ああ、まあ、そうだわな。しかし、いきなり実戦で経験積んでこいって、どこの太陽光発電の特攻営業だよ。就職先間違えたんじゃないか。今からでも遅くないから転職しろよ」

「いえ、その、一日早く決断していたらそれでもよかったんですが、もう帰る魔力も残ってないんで」

「すると何か? ここで実績上げないと、この世からオサラバってことなのか?」

「はあ、まあ、そうゆうことです。一応は輪廻りんねしますから全くのゼロじゃないんですが、最初からやり直しなんで」

「ずいぶんとブラックな会社だなあ。同情するぜ」

「同情するなら、僕と契約して魔法少女に――」

「だから、おかしいって言ってんだろ」

「ああもう、死ぬ寸前の、ぎりぎりの瀬戸際でこれだけお願いしているのに、それでも駄目なんですか? 自分なんか生きてる価値もないと、そういうことですか。えー、えー、分かりましたとも。どうせ自分なんか自分なんか――」

「だから、切れる前によく考えろって言ってんだろ」

「……何を考えなければいけないんですか」

「いきなり結論を聞きたがるのは、新人の悪い癖だよ。俺はそんなに優しくないが――お前、会社で教えてもらった台詞を、ひとつひとつ区切って言ってみろよ」

「はあ。それでは、『ねえ』」

「そっからかよ。じゃあ、台詞はマニュアルのまんまで、途中に定型文を差し込んでるだけじゃないか。仕方ねえなあ――まあ、そこは大丈夫だよ」

「すんません、なんか。自分、応用が利かなくてぇ」

「泣かなくていい。次だ、次」

「はぁい、『僕と』」

「大丈夫」

「はぁい、『契約して』」

「それでいい、次」

「はぁい、『魔法少女に』」

「そこだよ、そこ」

「えっ、ここは『契約して』の次に重要な、間違えちゃいけない説明必須事項じゃないですか。ここを勝手に変えたら、上司に後で何と言ってしかられるか分かりません」

「だったらよく考えろよ。もう一回、俺の顔見て言ってみろ」

「はあ、『魔法少女に』。これでいいですか?」

「わかんねえかなあ、もう一回」

「何度言っても同じですよ。『魔法少女に』」

「もう一回」

「もう、勘弁かんべんしてくださいよ。『魔法少女に』」

「もう一回」

「ああもう、しつこいおっさんはは女に嫌われますよ。『魔法少女に』って、言っている、じゃ、ない、で、す、か……」

「いい加減分かったか」

「……はい、なんかもう、すんません。申し訳ないです」

「分かったことは口に出して、ちゃんと何度も繰り返し言ってみろ。そうすれば次から間違えなくなるから」

「はい、有り難うございます――さすがに中年男性に『魔法少女になってよ』はない、さすがに中年男性に『魔法少女になってよ』はない、さすがに中年男性に『魔法少女になってよ』はない――その通りだと思います」

「そうだろう? それが分かればいいんだよ。俺にはそれは無理だよな」

「あの、服装を我慢して頂くという訳には……」

「ああん、お前何言ってんだ? 一番それがハードル高いんじゃないか」

「ですよねぇ。一応、そっち系の人もいるとは聞いたことがあるので、念のため」

「その可能性に賭けるぐらいなら、俺だったらリアル少女探しに行くけどな」

「はあ、でも、もう自分も魔力が残り少ないもので。魔法少女と契約していないマスコット・キャラなんて、一般のぬいぐるみ以下ですから」

「何だそりゃ、つまりなにか? 魔法少女ってのが、お前のエネルギーの元なのか?」

「元というか、その。正確には『上手く利用して稼がせて、その上前をはねる』みたいな……」

「なんだよそりゃ、ただのヒモじゃねえか。それじゃあ、今日びの女の子は騙せないよ。あいつら、自分に不利なことは徹底的に避けるからな」

「そうなんです、そうなんです! 途中まで聞いてくれても、最後の最後に『えっ、それって自分に何のメリットもないってことですよね。貴方のためですよね』って言われちゃって」

「代わりに何か願い事を叶えてあげるとか、そんなメリットは?」

「自分、まだ駆け出しなんでそんな力はありません。まずは初心者を騙してでも契約しないといけないんですが、自分、どうしても噓がつけなくて」

「正直なのも良し悪しだけどな。じゃあ、その、何だ。可愛くて恰好いい魔法道具とか、そんな感じの、その、ノベルティ的なものはないのかよ」

「ノベルティって、そこはアイテムでしょう? なんだか商店街の初売りみたいじゃないですか」

「ああ、お前、今笑ったな? じゃあ、後は一人で頑張れよ」

「すんません、すんません、すんません。自分、間違ってました。許して下さい」

「本当によう、で、アイテムはあるのか?」

「それが、経費が厳しくて、基本自力で調達ということで」

「なんだよケチ臭ぇなあ。制服は支給するけど道具は自前かよ。まさか、その制服も退職者のやつを洗濯して使っているんじゃないだろうな?」

「あ、分かりますか?」

「分かりますかじゃねえ。それじゃあ、余計に今日びの女の子はこねえよ。『お下がりなんて気持ち悪い』って、持ってきた本人目の前にして平気で言うだろ」

「はあ、まったくその通りでして」

「そんなんじゃ俺だってならねえよ」

「えっ、条件次第ではなっていただけるんですか?」

「そうじゃねえけど、まあ、メリットあるんなら考えないでもない。死にそうな奴を見殺しにするのは気が引けるし」

「有り難うございます。それでは是非――」

「だから、メリット次第だって言ってるだろ。まだ決めたわけじゃないんだからな」

「あ、そうでした。自分、慌て者なんで」

「そういうことは客に向かって素直に言うなよ。で、何かメリットはあるのか」

「そうですね。でしたら、新しい名前がつくというのはどうですか。例えば、リリカル――」

「殺すぞ」

「ひっ、じゃあプリティー――」

「俺の苗字は長島じゃねえ」

「マジカル――」

「そんな可愛いのしかないのか」

「はあ、基本、女の子仕様なんで」

「しょうがねえなあ。だったらよ、こんなんでどうよ。岐阜の山奥なんだから、マジカルじゃなくてローカル」

「え――」

「不満ならいいぜ。別になりたいわけじゃないから」

「ああ、すんません、すんません、自分、思い上がってました。そうですよね、マジカルよりもローカルですよね」

「なんか、改めて他人が言っているのを聞くと、腹立つな」

「ええっ、何でですか。いい名前じゃないですか。それに下の名前をつけて叫べば、恰好良いですよ」

「俺の下の名前は『平次』だよ」

「……」

「黙るな、ほれ、言ってみろ」

「……平次」

「馬鹿野郎、ちゃんとそれっぽく言ってみろって言ってんだよ。呼び捨てにするんじゃねえよ」

「ひっ、すんません、すんません。今すぐ言い直します。それでは『魔法少女』――」

「違うって言ってんだろ!」

「すんません、すんません。怒らないで下さい、お願いします。ええと『魔法中年ローカル平次』ですね」

「……はあ?」

「ですから、『魔法中年ローカル平次』と」

「……予想以上に『魔法』以下のダメージがでかいな」

「はあ、確かに」

「まあ、ローカルは俺が言い出したんだから仕方がねえ。それに今更『魔法少年』とか『魔法青年』だと、やっぱりダメージがでかいわな。これは良いだろう」

「そうですか! それでは――ねえ、お願いだから、僕と契約して魔法中年になってよ」

「駄目だよ」

「えーっ、何でですかぁ」

「だってお前、名前でつられて魔法中年って、おかしいじゃないか。さっきも言っただろ。武器はどうなっているんだよ」

「はあ、だって魔法のステッキや、飾り物が着いた弓とかは違うんでしょう?」

「分かってきたじゃないか。で、自前で準備したやつに何か属性を加えるとか出来るのか?」

「まあ、性能を三パーセントぐらい上げることでしたら出来ますが」

「なんだよまた、そのしょぼいのは」

「すんません。実績が上がればだんだん威力が増すんですが、自分まだペーペーなもんで」

「ちぇっ、それじゃあしょうがねえなあ。だったら基本、バールだよ」

「あの」

「なんだよ、不満なのか?」

「なにか他にはないんですか。もう少し高級そうなのとか。さすがに見た目はいろいろ言われるんで。その、腰のホルダーに刺さっているぴかぴかのやつなんか、高級そうでいいじゃないですか」

「馬鹿野郎、こいつはノギスだよ。こんなもんで相手を殴ったら、一回毎に校正に出さないと仕事で使えなくなるだろ。却下だよ」

「殴らなきゃ良いじゃありませんか」

「なんでだよ。だったらどうやって戦えっていうんだよ」

「だって魔法少――いや、魔法中年ですよ。魔法を使って敵を倒せば良いじゃないですか」

「あ、なるほど。それはそうだ。ふうん。ちょっと待てよ、ということは――」

「あの、なんだか急に顔が変わっていますけど。自分、嫌な予感しかしないんですけど」

「いやぁ、別にぃ。そうだよねぇ、魔法が使えるんだよねぇ」

「はい、あの、どうかしたんですか?」

「いやね、急に地球を救う使命感ってえのをびんびんに感じたわけだよ。啓示ってやつだな、これは」

「えっ、では――ねえ、僕と契約して魔法中年になってよ」

「あ、そこはちょっと文言もんごん変えてくれ。気分が出ないから」

「えっと、その、あんまり大きく変えるのは――」

「いや、ほんの少しだから大丈夫。やってみたかったんだよね、これ」


 そして、三十九歳独身男性の榊原さかきばら平次へいじは、魔法の国からやって来た魔法生命体ルンルンと契約を交わすことになった。


「僕と契約して、魔法中年になってくれるかな?」

「いいとも!」

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