Episode30
アリスと泰造がその日の殺しの仕事を終えて依頼主からいつも通りの報酬金を受け取り、落ち合わせの場所を後にして外へ出てみるともう夜になっていた。今から自炊するのも面倒だったので、帰宅途中にあるコンビニエンスストアで少し高めの弁当を二つ選び、アリスはオレンジジュースを、泰造は缶ビールをレジに出して買った。
この町の繁華街から少し離れた外れの場所に、二人は同じマンションの一室を借りて暮らしている。アリスと泰造は互いに血縁があるわけではない。数年前に唯一の父親を殺害されて児童保護施設に送られていたアリスを、父と知り合いだった泰造が不憫に思って、そのまま強引に引き取った。
泰造はアリスにチャンスを与えてくれた。殺し屋になって一流の技術を身に着け、父親を殺した凶悪犯に復讐するチャンスだ。その凶悪犯は現在も捕まっておらず、依然として快楽的に殺人を続けている。最近だと、巷で男だけをつけ狙う切り裂き魔としてその悪名を轟かせている。
本当は今すぐにでも自分の手で息の根を止めてやりたいところだが、生憎と切り裂き魔を特定する情報は現段階ではほとんど入っていない。警察の捜査も難航しているという話を聞いたし、復讐の機会は当分先のことになりそうだった。
仕方のないことだ――とアリスは日に自分へ何度もそう言い聞かせている。ここは辛抱強く我慢して、今は自分にできることを淡々とこなしていくしかない。泰造とともに仕事を請け負ってとにかく数をこなし、後に訪れる絶好のチャンスを確実にものにするのだ。あたかも、標的を狙ったら必ず外さないプロの狙撃手のように。
レジで買った時の流れですでに弁当は店員に温めてもらっていたが、こんな熱帯夜でも外を歩いていればすぐに熱は冷めてしまうというもので、帰宅してからもう一度電子レンジで温めなおすことになった。
アリスはその間リビングのテーブルに腰を落として、外の夜景をぼんやり眺めている。そのうち、泰造が湯気の上った弁当を二つ持ってきてテーブルに並べ、お互い買った飲み物を出してから、二人は向かい合って食事をとり始めた。
食べているとしばらくして、泰造がアリスに話しかけた。
「で、最近、あの少年とはどうなんだ?」
あの少年というのは、路地裏喫茶で働いているユズキのことだった。アリスが復讐のことで心穏やかでないことを承知していても、泰造はあえてお構いなしに俗っぽい事柄を聞いてくる。いつものことだけれど、彼は彼なりに配慮をしてくれている。
「さあね。別に、普通だと思うけど」
アリスは素っ気なく答えて、少しだけオレンジジュースを口の中に含んだ。
ユズキとは数日に一度、アリスが路地裏喫茶へ足を運んだ時に話をしている。彼は普段からよく敬語を使っているが、アリスに対してだけは年相応の普通の口調で話しかけてくれた。それだけ心を開いてくれている、ということなのかはよく分からないが、そうするとアリスも段々嬉しくなって、いつの間にかユズキと会話する時間を心待ちするようになり、早く会いたいと思うようになっていた。
「普通ねえ」
泰造は疑わしそうな目でアリスに卑しい視線を送った。「本当に?」とでも言いたげな明らかにふてぶてしい態度で箸をつつく。
「なによ」
アリスはぶっきら棒に口を尖らせた。思い返してみると、何もなかったかと言えば少し嘘になる。
「……まあ、一緒に祭りくらいは行ったけど」
「へえ」泰造は意地悪く微笑んだ。「すっかり仲良しなんだな」
含みのある言い方に多少腹が立ったが、ユズキとは、確かに仲は良いほうだと思う。ユズキは以前、アリスに特別に彼の内緒にしている隠し事を話してくれたことがある。店長にもその娘のカオリにもまだ言っていない秘密だ。アリスはその内容を聞かされてユズキに似た者同士のような共感を覚えたし、自分のやっている仕事についても簡単に説明してあげることにした。悪い奴をやっつける仕事、とかなりオブラートな言い方にはなってしまったけれど。秘密を共有した友達は、ちょっぴり特別なもののように感じてしまう。
アリスはえいっ、と泰造の右足に一発蹴りをお見舞いした。
「痛っ」
「女の子に余計な詮索しようとした罰よ」
泰造は足の痛みにぐっと顔をしかめ、へいへい、と頭を下げる。
「悪かった、悪かった。でも、俺からしてみれば、アリスに友達の一人や二人、できてくれて本当は良かったと思ってるんだ」
意外な返答に、アリスは「え?」と首をかしげた。
「境遇が違うだけで、お前はまだ子供だ。こっちの業界の仕事も大事だが、この先人付き合いしていく上で、普通の世間との交流も当然必要になってくる」
ちょっと建設的な話だった。
泰造は続ける。
「しかし、交流しすぎるということも問題だ。殺し屋の仕事に支障をきたす恐れがあるからな。付き合いは、やっぱりほどほどにしておいたほうがいい」
アリスは、ユズキとの関係にくぎを刺されたように感じた。
職業柄、もともと他人から恨みを買いやすい仕事だ。殺し屋が殺し屋に狙われて命を落とす例も少なくない。自分が死んだときになるべく周囲に迷惑をかけないように、友達や知り合いとの関係は浅いほうがいいのかもしれない。
ユズキとある程度距離を置く――。
「……そうね。私たち、いつ殺されるかわからないものね」
「ああ」
泰造は頷いた。
これからは相手に深入りしすぎないこと、上手な身の引き方を覚えるといった他人との立ち回りを学んでいかなければならない――そう考えると、アリスの表情はみるみるうちに曇っていった。でも、復讐の目的を果たすためには致し方のないことだと割り切るしかない。
しゅん、と一瞬落ち込むと、泰造が動揺して「しまった」という顔になった。慌ててアリスにフォローする言葉を探し、頬をポリポリ掻く。
「まあ、なんだ。これはもう少し先になってからの話さ。アリスは今の時期、もっと楽しく過ごしたほうがいいと思うぜ」
「……本当?」
「ああ、もちろん」
泰造は缶ビールをすすりながら笑って、
「俺は殺しをするときの不機嫌そうなお前よりも、普段のよく笑うお前の方がずっと――」
その時だった。
泰造が言葉を言い切る前に、ベランダを貫通してきた一発の弾丸が、彼の頭部を何の前触れもなく撃ち抜いた。
泰造の体がぐらりと傾き、床へ倒れる。
アリスは悲鳴を上げるより先に、反射的にテーブルの下へ身を隠した。
――泰造が撃たれた。これは同業者の仕業か?
悲嘆して集中力を欠くより、今はどうにかして生き残る方法を考えるほうが先決だった。こういう急な展開にも対処できるように日頃から訓練は行っている。アリスは思考を素早く切り替える。泣くのは、このピンチを切り抜けたあとでも遅くない。まずはこの家から無事に脱出しなければ。
アリスはテーブルの下から周囲の置物を確認し、それから動かなくなった泰造の遺体に近づいた。テーブルからうっかり自分の体が出てしまわないように気をつけながら、そっと彼の体を抱き寄せる。泰造は目を開けたまま死んでいて、頭にぽっかりとあいた小さな穴から僅かに流血していた。
アリスは込み上げてくるものを胸の内にぐっと抑え込み、「泰造、ごめんなさい」と一言だけ断りを入れてから彼の体をベランダの方向へ持ち上げた。
泰造の遺体を盾にして、ドアのある廊下の方へ少しづつ後退していく。
――パートナーの死体を盾に使うなんて、薄情なガキだな。
アリスと泰造のマンションから二つほど離れた高層ビルの屋上で、殺し屋は三脚を取り付けて設置した狙撃銃の暗視スコープを覗き込みながら、チッと舌打ちして引き金を引きあぐねていた。
少女の方がリビングから姿を消した。
殺し屋は見切りをつけ、すばやく撤退作業へ移りはじめる。
狙撃銃をパーツごとに分解してトランクの中へ収納し、仕留めたターゲットの写真にペンでキルマークをつけていく。男の方は終わった。あとは撃ち損じた少女一人だけだ。
「ちょっと油断してたかもな……」
とはいえ、少女の身元はすで特定済み。他にあてがないことも知っている。そもそも見知った顔ではあるし、同業者とはいえまだ子供の彼女が切羽詰まって逃げ込みそうな場所は何となく予想することができた。
路地裏喫茶。
店長や娘のカオリを脅しに使って――または従業員であるらしいあの少年を使って――少女をおびき寄せる方法はいくらである。しかし、あの店は殺し屋のいきつけの場所でもあるので、それは最後の手段にとっておく。
さて、どうしたものか――。
殺し屋は非常用の階段を使って屋上を下りていく。
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