外伝「木染月」4

 どうしてそんなことをこの態勢で囁かれているのかわからない。この視界のいったい誰が、俺にこんなことをするのかと逆に問いたい。他に、いるわけがない。たしかに色事を望む依頼人はいなくはない。だがそれは言ってみれば、夢使いへの偏見という名の「期待」でしかない。この俺がそれを受け入れるはずもない。それよりなにより、こんな不自由でみっともない、あられもないかっこうを許すのは、それを受け入れるのは、それは……

「あなたになら、何をされてもいい。痛くても苦しくても、あなたが望むならなんだってする。どんなに恥ずかしいことも淫らなことも、なんでもできる。ほんとうに」

 身体がどうしようもなく熱い。なにを、どうこたえたらこの気持ちを説明できるのか、伝わるのか、いっそこのまま貫いてくれと希えばそれですむならそうしたい。

 だが、彼がそれを望まない。痛がると口にせずともすぐに身を引いた。我慢できる大丈夫だとくりかえしても、身体が逃げてると冷静にこたえた。挙句には泣きそうな顔で、なんであなたが我慢しなきゃいけないのと俺を叱った。わけがわからない。ありがたがられることがあっても叱られるいわれはないはずだ。それでも、繋がりたいと言ったのはそっちだろうと文句を言うのは堪えた。今もそうだ。俺にこんなに恥ずかしい真似をさせておいて、じぶんはできるとは何事だ。なら代われ、今すぐ代われとせっつくかわりにその唇を舐めた。

 そのとたん舌先をやわらかく、ふくらみのある唇に吸いとられる。彼の手が背骨の起伏をひとつひとつたしかめるように這い下がっていく。俺は彼の口のなかへ誘いこまれ、その歯列をわり、さらに奥を貪ろうと首を捻ってちかづける。と同時に彼の指がうちがわへ潜りこもうと暗がりをすすむ。ところが、さきほどの侵入より楽なはずなのに濡れた音を響かせてそこで指をあそばせつづける。しまいには、欲しがって腰が揺れてるとまで囁いた。いいかげん腹が立ち、それを言うならさっきから物欲しそうに押しつけてくるそれはなんなんだと声をあげると、あなたが欲しがってくれてるの見たらこうなるでしょ、となんの衒いもなくこたえられた。聞いた俺が馬鹿だった。

 その脱力とともに指がそうっとしのびこんできた。焦らされたわけでなく、俺がさっき嫌がって抵抗したからしなかったのだとわかった。繋がりたいとねだった彼は、はじめ俺に責めてくれるよう乞うた。それを俺が怖がってやめたのだ。やり方を知らなかったわけじゃない。書物のうえでは知っていた。

 我を忘れて傷つけてしまうのが怖かった。

 女性を相手にしたとき、きつくそれを言い渡された。それぞれの快楽の曲線が描く時間差を意識するよう、無我夢中で終えてしまうことのないよう命じられた。 俺はたぶん、みっともないほど出来の悪い教え子ではなかっただろう。いや、けっしてそうなってはならないし、そうであることを他ならぬこの俺が許さなかった。

 それを、先ほど指摘されたのだ。

 ならば俺は、どうこたえればいいのか。

 その問いかけを、背骨のしたに潜らせた指が俺の知らなかった文字をつづるようにして奪っていく。その場所を性器だと告げるようにして、蠢いている。一昨日の夜、少し飲んだあと風呂に入り彼が後からきて――重なり合う肌のどこもかしこも濡れていて、引き攣れることなく身体が揺れ合ったときを示すかのように。

 指増やすよ、きつかったら言ってと囁かれてうなずいた俺の髪を宥めるように撫でつける。頬にかかる一筋をすくいあげ、ごく丁寧に耳にかける。その耳にも、手拭いを回されたこめかみや瞼のうえにも唇が落ちる。以前、好きだとあんまり繰り返すのでウルサイもうわかった集中しろと命じてあとは髪を撫でて耳のあたりにそっと唇を触れさせるだけになった。その、あまり性的な感触を呼び起こさないはずの愛撫にいつの間にか過剰に反応するようになったのを彼が見逃すはずもなく、たまにそれを指摘され酷い目に遭わされる。ところが、今日それはしないつもりでいるせいか、いつもなら先に満足させてくれるのにその気配がまるでない。シーツに腹を伏せそこを擦りつけたいとさえ願うのに、彼の腕と脚がそれを阻む。お仕置きという名の焦らしゆえ縛られた腕を外してくれないのだから、解放をせがんでも無駄だろう。俺だってそこまで馬鹿じゃない。ならばこう言うまでだ。

「他に、何かしたいことがあるなら言ってみろ」

 背後で、あからさまに動きがとまる。俺を凝視したのがわかった。その顔が見たかった。だが見えない。俺はだからもう一度、彼によく聞こえるように切れぎれでない声で告げた。

「目隠しに拘束、他にもやりたいことがあるなら言ってみろ、聞いてやる」

 言い終えると同時かその直前にもう、彼が倒れ込むようにして俺を抱きかかえ、肩先で大きく息をついた。

「あなた、自分がなに言ってるかわかってる?」

「ひとを縛って好き勝手になぶっておいて今さら怖気づくなよ」

 俺の挑発に、彼がわらった。

「ほんと、あなたってひとは……そろそろ腕だけでも自由にしてあげようとおもってたのに」

 唇のすぐ横に嘆息とも微笑ともつかぬ息遣いが触れた。合わさるだけのくちづけのあと、じゃあもうしばらく我慢して、という声が耳に流しこまれた。背筋を震わせると、あなたおれを煽りすぎと少し怒ったような声が聞こえた。

 それは逆だと教えてやるつもりはなかった。俺は口をかたく閉ざした。

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