外伝「木染月」2
さすがにそれは言いがかりだと返そうとする唇を奪われた。頭を振って逃げるべきだ。そう考えたのに、そっと啄ばむようにくりかえされるくちづけを拒むことはできなかった。
たかだか猫を撫でただけでこんなふうに両手を戒められて「お仕置き」をされている。それでまさか自分から口をひらくまいと思っていたはずが、彼がいつまでも触れるだけのキスを続けるのでこちらから誘った。けれど、しのびこんできた舌はいつもよりずっと遠慮がちだ。
耳から頬を覆う掌はもう温かく、その頬はまだ、いくらか冷たい。それに、いつもとちがう石鹸のにおいがする。
「風呂に入ってくる」
ふと我に返り、そう告げたとたん手拭いが視界を覆った。
「それは後でね」
後頭部で手拭いを結び終えた手がこんどは髪をほどいていく。そのあいだ大人しくされるがままになっていたわけではないのだが、袖を掴まれて後ろ手に縛られている状態でやれることは少なすぎた。仕方なく、降参の声をあげることにした。
「わかった。わかったからともかく先に風呂に入らせてくれ」
俺のために入れてくれたんだろうとまで口にしたのに、いっこうに聞き入れられる様子がない。いつの間にか布団の縁へとにじりよせられている。このままでは押し倒されるのは時間の問題だ。だから、目隠しでもなんでも風呂から出たらしたらいいとも譲歩した。それなのに彼は、あなたにあんまり無体をしないよう頭冷やしてきたのに浮気してるあなたが悪いと言い張った。
なにが浮気だ、わけがわからん。
そう叫んだときには布団のうえに俯せに転がされていた。そのまま圧し掛かられて気がついた。
「冷たくてキモチイイの?」
彼がそう、動きをとめた俺の耳に囁いた。何故わかるのだろうという疑問より前に仰向けにひっくりかえされる。
お仕置きのはずなのに、あなたってひとは、という苦笑交じりの声につづいて襟を左右にはだけられた。目隠しをしているのに彼の視線をかんじる。気恥ずかしさに横を向く。それすら見られている。胸のうえで彼が切なげに吐息をついた。それからゆっくりと冷たい裸の胸がすべるように押しつけられた。
腕をしたにしている俺を気遣うように――いや、彼がこうして縛ったのだからそれは当然といえば当然だが――体重をかけず肌をそっと触れ合わせてくれている。
互いの体温が混じり合うのを味わいながら清潔なにおいを大きく吸いこんだ俺を彼が息だけでわらったようだった。音が、触れる。その鼓動がうるさいように肌を打つ。
「……心臓が」
「そりゃ、あなたにこんな恰好させてたら」
言葉通り、その肌のほんの少し下にはもう、荒々しいような熱が籠っている。熱の根源がおのれを主張して、暴れたがって脈打つのを臍のうえで理解する。
表通りで車が通り過ぎる音が遠い。掠れた息遣いと心音が、小さな庭に溢れかえる草木の横溢を上回って熱い。
腕を敷いて帯をしたままの身体はどうにも不安定に傾いでいる。冷たさを堪能し終えた俺が不具合を訴えるまえに、彼の手が腰のしたに枕を押しこんできた。裾はとうに割られている。下着をひきおろされて抗議の声をあげた俺を宥めるように、または辱めるように耳朶を舌が音をたてて這いまわる。
女性相手になら、目隠しも拘束もしたことはある。それがどんな「効果」を生むのかを知らないわけじゃない。不自由と覚束なさがより深い快楽をもたらすさまを眺めたことはあっても、体験したいと願ったことはない。ないはずだ。
さらには、いつもなら触れてほしいところを手や視線で誘導できるのに、それができない。首を左右に振ってみるが無視される。ときどき、くすぐるような声でどこがいいのと囁かれる。どこがと問われてこたえられるような場所じゃない。
困惑する事態はまだあった。借り物の浴衣を汚すのだけはまかりならん。それだけは、どうあっても避けたい。
「……頼む、腕を解いて脱がしてくれ」
とうとう我慢できなくて口に出した。すると、予想もしない返答が聞こえた。
「どうして」
どうして……。
要求されてはじめて悟った。
いまの今まで、説明をせずとも彼が何もかも察してくれていたのだと――。
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