小咄「スイートホーム2」

スイートホームの主役ばーじょんで、一緒に暮らして半年たたないくらい



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 目が覚めて、隣りに彼がいなかった。

 バイトも大学もないはなずが、どうしてと思いながら起きあがる。あちこちがだるい。どこもかしこも痛むような気がする。それだけでなく、その痛みがわずかに甘い。俺は、それを知ってしまった。

 知らなくても、よかった気がする。

 そう考えることがある。

 それにしても、この家のすみからすみまでおそろしくしずかだ。

 俺はそんなことにひとり、驚いていた。文字通り、ひとり。

 あたまを振って時計をたしかめる。午後四時。カーテンが引かれていなくとも、外はもう暗い。

 ベッドへ移動したのは何時だっただろう。明け方かえってきてそのまま直行した訳ではない。どこかの段階で足腰の立たない俺を彼が抱きかかえて、だったはずだ。ともかくも、その状態を思い出すとひどく情けないような気がするが、ちかごろはそのことをあまり深く考えないようにしている。俺はそうされるのが本当に嫌なわけではないのだ。じぶんでは気づかなかったが、どうやらそうらしい。こういう状態が続いていれば、いくら鈍い俺でもさすがにわかる。

 携帯をつかみ、念のため着信やメールを確認する。依頼人他、特になし。

 ということは書き置きがあるはずだ。

 とりあえず水を飲もうとベッドからおりる。少し、肌寒い。慌ててカーディガンを肩にかけてボタンまでしめる。風邪をひくわけにはいかない。それにしても、ひとひとりいないだけでこれだけ室温がさがるものなのかと、俺はそんなことを知らないで今まで生きて来たのかとおかしかった。

 はたして、テーブルのうえにマグカップを重しにした書き置きがあった。


《冷蔵庫に何もないから買い物に行っていきます。何か食べたいものがあったら連絡して》


 食べたいもの、というのがまず思い浮かばなかった。

 買い物に出たのならストックその他を見て連絡すべきだろうと思っていたはずが俺はそのメモ書きを手に取って、電話をかけていた。すると、待ち構えていたかのようにすぐに出た。何か口にする前に、彼の声がきこえた。

「おはよう。起きた?」

「うん」

 起きたから電話をしているのだと思いながらうなずくと、

「珍しくよく寝てたから、起こしたくなくて外に出た」

 とこたえが返ってきたので苦笑する。買い物は「理由」で、おそらく図書館にいったか自分の部屋で書き物をしていたのだろう。俺は彼がトイレに立ったりキッチンで料理したりするとどうしても目を覚ましてしまう。家が狭いせいもある。それ以上に、依頼人からの連絡があったさいにそれを逃したくない。そういう想いがあって俺の眠りは浅いのだが、彼にはそれがどうしても気になるらしい。

「てきとうに夕飯の買い物はしたけど、他に何か欲しいもの、ある?」

「え」

「それともおれの声が聞きたくなっちゃった?」

 笑い声でたずねられていた。

 今すぐ何か、食べたいものを思いつかないとそれを認めたことになる。でなければストックしてあるものを確認しないと。そう思うのに、今朝からずっと、その声で責めたてられたあれこれが今さらのように襲い来て喉がつまった。両隣りの部屋にひとがいないのを二人ともわかっていた。そういうときは遠慮がない。後ろから抱きかかえられて鏡の前ですることになる。いや、実際したのだ。だから今、おれは言葉など、出ない。出せるはずもない。そしてたぶん、彼にはこの動揺が伝わってしまっている。俺にはそれがわかる。そのていどには長く、一緒にいる。半年は暮らしていないが、バイト先での時間をあわせるとそれなりに長く互いのそばにいるのだから。なのに俺は、自分のこととなると何もかも素直に口に出せない。

 黙ったままでいると、彼の声が聞こえた。

「……うそ。おれが聞きたくて書き置きした。あなたに眠っててもらいたいけど起きたらすぐにもそばにいたいから。すぐ帰る。待ってて」

 そこでもう電話が切れた。

 俺は呆然として手のなかにあるそれを眺め、そしてすぐ、目の前にある籠に柑橘類がないことに気がついた。あの調子だと、本当に急いで帰ってくるだろう。いま電話をかけても出ないかもしれない。

 あらためて考えると、俺はそうとうぼんやりしたまま電話をしたらしい。喉が渇いていたはずが、その欲求を満たす前に彼の声が聞きたくなってしまったくらいなのだから。

 我ながら、おかしかった。

 いっしょに暮らしていて、すこし離れただけで、その相手へと連絡をしてしまうのだ。そばにいるときは、それこそ一分の隙もなく、これ以上はどうやっても近寄れないくらいに身を寄せ合っているというのに、だ。

 そこに置いてあったマグカップで水を煽った。

 冷えた水が身体の真ん中を伝いおりていくのを感じながら、怖い、と思う。

 こんなにも、こんなにも強く、彼を必要としてしまっている。もちろん、そうは言わなかった。けれど泣きながら、こわいと言い、苦しいと訴えた。苦しくてたまらないと。俺は、あの状態へ導かれるまでそれが口に出せない。

 けれどそれを、彼はわらって宥めた。

 でもやめてくれとあなたは望んではいない、と。嫌だとも口にもしないと。

 そのとおりだった。

 そのうえ、あなたは正直で嘘をつかないと微笑まれてはもう、降参する以外ほかはない。おかげで散々な目にあったが、俺はそうされて嫌ではないのだ。

 何故なら、彼の腕に絡め取られ、酷く恐ろしい想いをするのは魘と対峙するときとよく似ている。いや、ほとんど同じといってよかった。

 空のカップの底を見つめる。

 俺はたぶん、彼と抱き合ってはじめて、魘使いが何者であるか識ったのだ。そして今、ほんとうのそれに成ろうとしている――……

 唐突に、黄金色の果実を貪りたくなったが電話をするのは諦めた。また急いで転ばれでもしたら弱る。

 果物が一日ないくらいのことは、なんでもない。

 買い物をして帰ってくる彼のために、薄暗い室内に明かりをつける。広くて書斎のある家に住めば、寝ている俺を気にして彼が家を出ていく必要もない。俺はそれを近いうちに彼に話す。そのくらいは、きちんと口にしないとならない。


 俺は、彼とずっと一緒に生きていく。



 了

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