『夢の花綵』「夢うつつ夢うつつ」15

 あの日、シャッター音に目を覚ますと両手がパイプベッドに繋がれていた。手錠。とはいっても玩具だともわかった。それでも外れそうもなかった。しかも俺は裸にされ、口をガムテープで緘されていた。窓が閉め切られた薄暗い部屋だった。

 ベッドの横の丸椅子に、端末を操作する「依頼人」が座っていた。先ほどの機械音が俺の姿を撮ったものだということは理解できた。それがどこかに送信されたであろうことも。わけがわからなかった。俺が無意識に頭をふると、「依頼人」はそこから腰をあげた。左手に金属バッドを持っていた。それに目をとめるやいなや俺の左足首を掴んで無言で打ち下ろした。

 甲の骨が砕ける音がした。

 その衝撃音はその後も長く俺を悩ました。足ではなく、胸が苦しかった。痛みで呼吸を忘れた。右足を掴まれたときには恐怖に竦みあがり震えていただけだった。骨の折れる音は聞こえなかった。歯の根も合わず震えていたのに俺はそれを聞き分けた。続いて無防備な脇を押さえこまれた。そこにも打ち下ろされた。肋骨が折れた。心臓が滅茶苦茶に痛んだ。それから頬を数発平手で叩かれた。頭の後ろで手錠の鎖が煩く鳴った。

 俺はただひたすらに「言葉」を欲した。暴力でないものを。なんらかの説明を。

 「依頼人」は鋏を手にして俺に跨り髪を掴んだ。何をされるのかは予測がついた。黒髪が散った。俺の肩に、腹の上に、白いシーツに、そして床へとのたくって落ちた。

 七歳から一度も肩より短くしたことのない髪が斬られていた。苦痛と驚き、心許なさに憤りが加わった。俺は「依頼人」の顔を見据えた。

「煩いのは嫌いです」

 そう言いながら俺の左耳に刃先を突き付けた。それから乱暴にガムテープを剥がした。

「歯を立てたら刺します」

 耳の穴に冷たい金属がずいと差し込まれた。俺は肩で息をしたまま相手のすることを眺めた。ジーンズの前が外れた。口に入れろという意味だとはわかった。俺は顔を背けた。頬を掴まれた。鋏がいったん俺の目の前に翳されてすぐ、ぷちりと音がした。耳輪を切られた。痛みはさほどではなかったはずが俺は血を見て動揺した。

「鼓膜を破られたくはないでしょう」

 半ば勃ち上がったものを含まされた。息苦しさと吐き気を堪えるので精いっぱいだった。だが強烈な痛みが襲わないぶん俺は少し冷静になった。何故こんなことをされるのか知りたかった。解放されるか否かはわからなかったが、その「理由」次第だとは想像がついた。

 凌辱が続くのは予想がついた。俺はなるたけ楽な姿勢をとりたかった。足首から下が見る間に腫れ上がっていた。下手な抵抗してこれ以上傷つけられるのは避けたかった。俺はされるがままに足をひらいた。そして襲い来るであろう痛みをやりすごそうと身体の力を抜いて天井を見た。何か塗られた。押し入られた。俺は何も考えないよう意識を閉じた。

 「依頼人」はおとなしくなった俺を眺めた。身体を繋げたまま鋏を手に取った。さすがに俺は身じろぎした。繋がれた手の先端に刃先が触れた。俺は本能的に竦みあがった。

「あなた面白い。夢使いである徴を痛めつけるほうが敏感に反応する」

 それはどうしようもない事実だった。俺がそれを何よりも恐れていることを悟られていた。「依頼人」は鋏をひらいて俺の首の横に突き立てた。それから俺の脚を抱えあげて腰をすすめた。ときどき足の甲を撫でた。そのたびに俺が苦痛の声をあげて身を捩るのをよく締まるといって愉しんだ。

 どうやったらこの状況から抜け出せるだろう。夢秤と階梯はベッドの下にある。だが端末はもうこの部屋にないに違いない。そう考えたとたん両頬をしたたかに殴られた。口のなかに血の味が広がった。それだけで思考する意志が奪われた。意識を平明に保とうとする努力は実を結ぶ気配がなかった。俺の顔のうえや胸に「依頼人」の汗がいくつも落ちて、その喘鳴が肌にふれた。律動を刻まれるたびに肋骨が胸を突き出て心臓を破るのではないかと怯えたが俺は声をあげなかった。大声をあげれば躊躇うことなく刺されるとわかっていた。身体中を覆い尽くす痛みは呼吸困難にとって変わり、そのたびに「依頼人」は動きをとめた。意に反してかえって長びかせた。

 精を吐き出して「依頼人」は俺の身体のうえから退いた。はなしがあるとすればこの瞬間しかないだろうと考えていた。俺は黙って「依頼人」を見つめた。

「怨恨です。それ以外、ひとさまをこんな目に遭わせる理由はないでしょう」

 そう言って丸椅子に腰かけ外国産のペットボトルの水を煽ってみせた。そして、飲みますかと問うた。以前と同じ若者らしい爽やかな笑顔で。喉は乾いていた。だが何もこたえなかった。すると、半分ほど頭のうえから振りかけられた。どうせなら口のなかを濯ぎたかった。

「タイミングもありました。怨むなら僕じゃなく、あなたの彼氏や弟子をどうぞ。網は張ったけれど、まさかあなたのほうから飛び込んでくれるとは思わなかった。いちどは邪魔も入りましたしね。あちらに取り込まれたら僕では太刀打ちできなかった」

 それが何をさすのか理解できた。

「あなたが悪いんです。僕の、たったひとりの友だちを見殺しにしたから」

 さすがにそれは聞き咎めた。相手はこちらの表情をうかがいながら、その名前を告げた。記憶の片隅にしっかりと残っていた。じぶんが断った依頼人だった。

「よかった。憶えていたんですね。彼も少しは浮かばれる。高名なあなたと違って〈外れ〉でした」

〈外れ〉はたいてい夢使いを嫌う。接触自体を厭う。

「何故、という顔をしましたね。彼はあなたに死ぬほど憧れていたから。あなたなら、じぶんを救えると信じてたから。もちろん、甚だしい勘違いでしたけどね。僕はそれを彼に伝えられなかった」

 俺は何を言われているかわからなかった。

「あなたはこの半年、とても忙しくしてましたよね。断ったのも別に悪気があったわけじゃない。本当に先約が入っていただけでしょう。あなたは嘘をつかないひとだ。わかっています。それに、夢使いとしての文句のつけようのない技巧をもっている。僕が依頼したなんでもない夢を、あんなに美しく輝かしく見せてくれた。〈外れ〉の彼にはあんな伎や魅力は欠片もなかった。もともとの素養の違いもあるのでしょう。僕もそれは認めます。でもあなたにはこころがない。彼がどんな状況であなたに電話をしたか、あなたは少しも気づかなかった。あなたは優れた夢使いだというはなしですが僕には到底そう思えません。ただの余興のように面白おかしく香音を費やすだけの依頼人から高額のあながい料をまきあげて、彼のように、ほんとうに真摯に馨しい香音を求めていた者の声を聞こうともしないなんて、あなたが夢使いである意味はないんじゃないですか」

 何も言えなかった。

 なにも、本当になにも。

「僕も愚かでした。友だちならもっと何か出来たはずでしょう。金は貸しました。返ってくるとは思わなかったけど。仕事がなくなって寮を追い出されたと聞いて、でも僕は彼がここに居座るのはいやだと思った。女の子も呼べなくなる。長居してもいいと言ってあげられなかった。いえ、言いました。けれど彼は僕が本心から言っているわけじゃないと気づいてた。彼が出ていって、あの公園で顔を合わせたときに何処に住んでるか僕は尋ねませんでした。尋ねても、僕にはこたえなかったと思います。そういえば、あのときもあなたに逢いたがっていた。あなたの話しばかりした。しばらくして、首を吊りました。だからこれは八つ当たりです。でも、彼が死んであなたが夢使いとしてのうのうと生きてることは僕には到底ゆるせない」 

 そう言って「依頼人」は先ほど突き立てた鋏を引き抜いた。そして、ふと思い出したように丸めたタオルを俺の口に押し込んだ。

 左手を掴まれた。

 魘を扱う手を。

 鎖がパイプに擦れて嫌な音を立てる。全身に冷たい汗が噴き出た。鋏が小指の爪を切り落とした。俺は震えていた。心臓が破裂しそうだった。「依頼人」は俺のこめかみに唇を寄せた。やっと僕が見たかった表情を見せてくれたと。お願いだと俺は口にしたはずが、声にはならなかった。「依頼人」はうっとりと目を細め、俺の頤に手をやって頭をのけぞらせた。

 俺はそれを見た。

 中指の先端に刃が押し込まれた。

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