『夢の花綵』「夢でさえ、なくていい」2

 はじめは、毅然としているひとだと思った。じっさい生真面目で堅苦しいところもある。休憩時間以外の無駄話はしない。陳列棚の乱れは誰よりも早く気づきすぐ直す。しかも自宅でたとえひとりでいても、きちんと正座して食事をとる。それを見て、おれはじぶんの身仕舞いのだらしなさ、心得のなさを本気で恥じた。このひとは師匠の御宅に世話になったせいだとこたえたが、それだけとは思えない。だいいち足音をたてずに歩く。いつでも背筋がのびている。忘れ物をしたのを見たことがない。時間に遅れるのも。

 陰口もいわない。

 不平不満も口にしない。


 極度に抑制された感情を、このひとが何によって繋ぎとめ、または解放するのかをおれはじっと見守った。


 自身の「選択」につきまとう罪の意識、自責の念を、このひとは誰にもあけわたさずに堪えてきた。


 いっぽうおれ自身は外部を安易に、容易に遮断した。内に篭って安穏としたおれの愚かさをこのひとに無言で突きつけられた気がした。


 出逢いは、もう半年以上も前になるか。バイト先の店長が、明日来る新入りよく面倒見てやってくれと珍しく殊勝に頭をさげた。雇い主にむかって殊勝にというのも酷いはなしだが、おれがあの店を仕切ってきたようなものなのでそのくらいは許してもらう。それにわけありだと察した。わかりましたと頷いてのち、店長は、そういやあ、なんでおまえコンビニにいると問うた。おまえなら、夜の仕事でもなんでもやれるだろうが、と。

 好きなんですよ、憧れてたんです、コンビニ。

 おれの本心からの返答に店長は片頬でわらう。おれが、北の外れの小さな街で生まれ育ったことをよく知っていた。あそこにはこんな、文字通り「便利な店」はなかったのだ。


 おれの初恋のひとがいつも欲しがっていたのがコンビニだった。


 あのひとは都会に生まれ育った。

 つい先日知ったが(このひとはこれを知らないし決して知られてはならない。やたらプライドが高く嫉妬深いひとだから。そこがたまらないのだけど本気で嫌がるので言えないでいる)、あのひとは旧華族の出で、唸るほどあった金は稼ぎのあがない料なだけでなく、厄介払いの仕送りだった。


 あのひとのしどけなさが好きだった。

 このひとの頑なさがとても、とても好きだ。


 夢使いであることをのぞいて、ひとつ、ふたつだけ、ふたりの似ているところがある。字が綺麗でいいかげんな言葉を使わない。きちんとした家で育てられた教育のあるひとだと語っていた。けれどあのひとは大学を中退し、このひとは高校を卒業していない。

 そしておれは研究室に居残ることになった。


 おれの家は、あの北のさびしい土地で代々郵便局長や中央の官僚を出していた。それなりに学がありそれなりに金も権力もあった。ただおれは役人や官僚にはむかないとほんの幼いときから思っていた。おれを可愛がってくれた父方の叔父が著名な映画監督の助手をしていてそれがなにより自慢だった。その叔父が何か不始末を仕出かしてこの街に帰ってきてから、おれの人生は奇妙な捻じ曲がり方をするようになった。


 七つの夢見式を境に。

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