第三部『夢の花綵』「夢も見ない」3

 彼女の七つの夢見式から識ってました。私の初仕事でしたから。祖父が私の披露目に用意したのがそれでした。けれど彼女の一族は納得しなかった。生きているうちに伝説と化した夢使いにあがないをさせたがった。私の家と彼女のそれは浅からぬ因縁がありましてね。いっときはあのお屋敷に住まわせられたこともあったそうだ。まあいってみれば郎党です。離反したのは御一新の時で、社の件で揉めたのです。お縄になった者がいるだけでなく、ひと独り死んでるそうです。まあ昔のはなしですけれどね。それでいて先の戦争の時に再び世話になったのですよ。飢えにはかないません。あちらは御大尽らしく鷹揚でした。

 ああ、けっきょくは私が香音をおろしましたよ。この地上でもっとも馨しいそれを。初仕事でだいそれたことをやらかした私は順当に慢心しました。わが弟子のような謙虚さは小指の先ほどもなかったですね。艶福家の祖父を真似てそちらも派手にやりました。

 あの子は、失礼、あなたには大切な恋人でしょうが、私にはただひとりの弟子なものでね。ゆうに一回りを越える年の差は、息子というには己が稚すぎたし弟と呼ぶにはあの子に可愛げというのが足らなかった。考えてもみてください、明らかにじぶんより出来る弟子を持つのは辛いものです。私は未熟すぎました。嫉妬もありましたがそれ以上にあの子の格別の才を己が腐らしたりしまいかと心配でした。手が離れてほっとしています。いや本当に。

 あの子の突出した才のほとんどは、魘を扱う手つきにある。たいていの夢使いが触れるのを躊躇うようなそれを初めから怖がりもせず鳴らしました。私にはとうてい出来ない芸当です。あの子の夢見式に立ち会ったのは祖父ですが、あからさまに興奮して帰ってきた。じぶんを超えるかもしれないこどもがいると手放しで称えました。祖父の喜びようは異様なほどで、正直にいうと私は面白くありませんでした。私は祖父に褒められたことがそれこそ一度もないのです。思えばあのときから、あの子に妙な劣等感、苦手意識とでもいうものが芽生えたのでしょうね。申し訳ないことをしたと謝るべきかもしれませんが、己に頭をさげられても困ることでしょうし、いまさら詮無いことです。

 そう、しかも、あの子が好きになったのは彼女でした。同じクラスになったのは三年のときですが、入学した当初から見知っていた。偶然、あの子の手帳に彼女の写真をみたときは息が止まる思いでした。

 偶然、ですよ。いくら師匠でも勝手に手帳をのぞいたりはしません。しかし、たしかにそこまでは偶然ですが、その後に私がしたことは計算ずくです。愛人に彼を誘惑させました。夢使いになるには絶対に必要な「手続き」ですが、私も同じくらいに経験したからといって、あの子のように真面目な高校生にさせることでもなかったでしょう。とはいえそういう縁があったがために、結果的に彼だけは事故に遇わずにすみました。じぶんより優秀な若い雄に嫉妬した私の卑しさのせいで、あの子は死を免れた。わからないものです。


 そこでひとしきり沈黙が落ちた。おれは、グラスの氷が溶ける音を聴きながら気になっていたことを問うた。喫わないのですかと。こたえは苦笑とともに返ってきた。


 ここで葉巻に火をつければ私とあなたが会ったことにあの子が気づく。というわけではありません。あの子が家を出てから喫いはじめました。手持無沙汰をまぎらわすにはちょうどいい代物です。


 おもいきって、その伝説の夢使いの件を尋ねようか迷ったおれの顔へ向けて、彼は葉巻をさしだした。独特の香り。不快とも快いとも感じなかった。とりもなおさず不調法を自認するおれは首をふって断った。いつもなら好奇心が勝り手をだしたはずが、今日は不格好を晒したくなかった。

 彼は、そういうおれの意をくんでそれを引っ込め、何かの儀式めいたやり方の後、それに相応しい出来栄えで紫煙を燻らせた。どことなく、懐かしいような匂いだった。


 夢使いは香景に取り巻かれているものですが、あの子のように強ければそれを無視して生きることも可能です。ただ、私はそうは生きられない。私が彼女に執着するのは、香音の残響がもたらす愉悦に他ならない。そんな理由で結婚を申し込まれたと知ってよろこぶ人間はいないでしょう。とはいえだからこそ彼女に対してこれ以上なく誠実であることもできる。それさえも迷惑なことかもしれませんがね。


 何故おれに。

 そう口に出していいものか迷った鼻先に、


 あなたは、物事をとどめおき残すことの意味をよく知っているひとです。だからあの会に席をおいている。私たち夢使いのあがない、その仕事の意義や存在理由をかたちにすることが可能な、特別な才をお持ちだ。

 なにも謙遜なさる必要はありません。私は感じたままを述べたまでです。夢使いの仕事のはかなさについて、あなたは本当によくご存じだ。お若いのに、という謂われ方は好かないでしょうね。残りの人生を数え始めているものとしてそれでも言わせていただきたい。

 今後、夢使いの立場が変わることでこの視界は変わるでしょう。視界を廻らすものの顕現が何をもたらすのか、あなたはそれをつぶさに臨むことができる場所にいる。


 その場所を手放す気はないと返す必要もなかった。彼はおれから視線を外し、グラスを干してから言い切った。


 あの子は一生独りでいるものと思っていましたよ。独り寝に粗末な寝間着は侘しいでしょう。ああいう子ですから、身仕舞いの悪い、気の利かない女とは添わせたくはなかった。彼を、宜しく頼みます。


 たとえその師匠であろうと、否、であるからこそお墨付きをもらって嬉しがる趣味はない。おれはそう思っていたはずが止まり木をおりた男に頭をさげた。知りたかったことのひとつを知らされた。さすがに勘がいい。おれの恋人にはこういう鋭さはない。けれど、身勝手が服を着て歩いているような背中は、やはり師匠であるからして「彼」によく似ていた。

 その夜、葉巻の匂いでおれが師匠と会ったと気づかれた。その祖父が喫っていたものだと説明して後の彼は、どこか遠くを視るような顔つきであった。

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