七日
がん検診を受けました。
機会があったから、というのは大きいですが、母ががんで亡くなったからのでいつか受けなければと思っていました。
自分が中学一年生の夏でした。たしか夜中だったと思います。今でも母、と言葉に出すだけで涙ぐんできてしまいます。さみしいからでしょうか、かなしいからでしょうか、自分は、いまだに母が亡くなったことをきちんと認識できていないのだとも思います。遺体を火葬するときも、法事の時にも、墓参りのときも涙は出てはきません。もしかしたら亡くなったその時も本当には泣いていなかったのではとさえ思います。一人の時に、自分にも母がいたんだなあと思うと涙が出て、何度も何度も、入院していた病院や、摘出された患部を直視できなかったこと、母が食べ残した病院食、そして自分に謝る母を、いろんなことを、反芻して、のみこめなくて、吐き出せなくて
そのころからだと思います。
人前でもわんわんと泣く子供だったのに、一人の時でさえ泣き声は上げられません。
母と出かけて、終いのほうでは殺してしまう夢を見て泣いていたり、時々夢だとわからずに早く死なねば死ななければならないと考え、どう死ぬか考え始めてやっと夢だったことに気づきます。
こんなことをそのまま人には話せませんがよくある親が病死したんです、思い出すと涙が出ますとこざっぱり語ると、聞いた人はみんなお母さんが大好きだったんですね、かわいそうだけど頑張ってください、手を貸しますというようなことをおっしゃってくださいます。
それに助けられ今日こうして生きてありますが、しかし自分は本当に母が大好きで泣いているとは思えません。大好きなのは自分なのではないかとその浅ましさにまた涙が出ます。そうして泣くことによって許されたいだけなのではないかと思います。母ががんを患った原因は、ストレスが大きいといわれておりました。
最近芸能人の方でがんの闘病生活を公開している方がいます。
自分は、それが苦手でなりません。さらに言えばそれを見てかわいそう、という人が苦手でしょうがありません。
ガンなんて、だれでもなるものなのに、まるで自分は傍観者、鑑賞者のような、共感しているみたいな想像でできた言葉でくるっとまとめてしまうのが…。
つらいけど頑張りましょう、なんて頑張ってるからつらいのに、かわいそうなんて言葉は、そのつらさを知らない人しか言えないはずだと、すくなくとも自分は、いえません。
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