第2話

「グッモーニング、ミスター」

 その声は、昨日の女の声だった。からかうような口調に、沸々と怒りが込み上げてくる。

「おい、どういうつもりだ」

「だから割のいいアルバイトだって……」

「俺はやるとは言ってねぇぞ!」

 坂下は思わず声を荒げた。すると女は今までの口調と打って変わって、嘲るように言う。

「あぁ、そう。じゃぁそのまま出ていったら。私たちは何もしないから。そうすればアンタは第一容疑者ね」

 坂下は言葉に詰まった。女は言外に、自分のサポートをしないと言っているのだ。部屋の中には坂下の痕跡が至る所にある。それは坂下一人ではどうにもならない。女としては、俺が仕事を受けようが受けまいが、目的は達成される。だとすれば、女の手を借りないわけにはいかないのだ。

「わかった……、やる……」

「そうですか」

 機嫌が直ったようで、満足そうに言う。続けて、坂下に次の指示を出した。

「じゃあ、取りあえずシャワー浴びてその髪とひげ何とかしてください。服も拝借して。今までのはビニールの袋にでも入れてコンビニに捨てればいいですから」

「え?! DNAとかって大丈夫なのか?」

 思わず声を上げるが、想定内だというような口調で女が疑問に答える。

「えぇ、後で専門の業者を向かわせますから。身支度が整ったら、取りあえずその部屋を出てください。女の携帯と、財布は持って出てくださいね。取りあえず駅にでも行って、朝ご飯でも食べたらどうです? では、こちらから連絡しますね」

 

 一方的に言うと、女が電話を切った。後は「ツー、ツー」という音が響く。坂下は電話を切ると、洗面所に向かった。

 絡まり合った髪は梳かすのも困難で、鋏で切ってから洗う。ひげも同様に短くしてから、女性用シェーバーで剃った。スポンジに石鹸をつけて体を擦ると、すぐに黒くなる。何回も洗っては、スポンジを体に擦りつけた。鏡を見ると、数分前の「ザ・ホームレス」から「髪がボサボサのおっさん」にまではなった。

 シャワーから出ると、着るものを探してタンスを覗いた。死んだ女は細身らしく、ほとんどの服が入らない。坂下は唯一入る黒のジャージに袖を通した。キッチンにあるスーパーのビニールに洋服を入れ、後は財布を持って部屋を出るだけとなる。

「財布……、財布……」

 狭いリビングを探すが、見当たらない。坂下はそこでようやく、目を逸らしていた寝室を見た。ベットの下にはまだ荷物が入った鞄が転がっている。多分あそこだろう。

坂下は恐る恐る近づくと、口の開いた鞄を覗いた。すると長財布が顔を見せている。坂下はそれを引っ掴んだ。それと同時に駆け足でリビングまで戻る。坂下の呼吸は荒くなっていた。

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