知られざる英雄、前編
ここに、とある都市から里帰りした青年がいる。人里とは言い難い、今は10にも満たない老いた者達だけが住む場所が彼の故郷である。
…里帰りから二週間。青年は、必死になって事態の収拾に努めていた。そして三週間目を迎えた今日…彼は遂に火を焚いた。自らの命を絶つ為に…。
―――
(もう限界だ。だけど、やるだけの事はやった。)
火柱を前にして…僕は、覚悟を決めようとしている。…ヒーローは、決して華やかなだけの存在じゃない。人知れず世界を救うヒーローだっている。なりたかった訳じゃないけれど…定めと言うのなら僕は喜んで受け入れる。
(僕が…世界を救うんだ。)
二週間前、僕は里に帰って来た。ここを離れて数年…それでも収穫の時期には、毎年のように足を運んでる。里には働き手になる若者がいない。僕ら兄弟がここを離れてそうなった。
『?もう帰るの?』
『会社を辞めたんだ。直ぐに就職する気もないし…先に帰ってゆっくりしてるさ。お父さんとお母さんのお墓も、俺が掃除しておく。』
三週間前、都会に馴染めない兄から仕事を辞め、いつもより早く里に帰るとの連絡を受けた。豊作でもないけど、里の人々は年毎に働けなくなっている。早く里に帰ってあげたい気持ちも、仕事を辞めた事も理解出来た。責める事はしなかった。
里の名物はさくらんぼとダムだけだ。だけど有名じゃない。それぐらいしか食べる手段がない里なのだ。
『里の英雄で、頑固者なお祖父ちゃんの顔も早く見たいしな。』
僕らが生まれるもっと前、国が、里の一部をダムにしたいと言う話を持ち掛けた。そこで当時から里の代表者だった祖父が交渉に臨み、大金を手に入れた。国の提案を受け入れたのだ。だけど祖父は里の英雄となった。土地は失ったけど人々を救った。どうせ人口密度が低い里だ。ダムに適した場所に住む人々を移住させ、代わりに長年は食べて行けるお金を里に配った。そしてさくらんぼの育て方を教え、人々を生かしてきた。
『その頑固者が、今年は来るなって言ってるよ?』
『毎年の事じゃないか?俺達をさっさと…都会の人間にしたいんだよ。』
さくらんぼの収穫はお盆と重なる。だから僕らはこの時期になると、頑固者の反対を押し切って里帰りをする。
僕は…兄より一週間遅れて里に戻った。それが課せられた定めだった。
『!?何があったの!!?』
僕らを都市へと追い出した祖父の家を訪ねた。だけどそこに祖父母の姿はなかった。
『里の…人達が…』
兄だけがそこにいた。…変わり果てた姿になった兄がいた。
里に、未知の伝染病が発生した。致死率は100%のようで、発病してから二週間で死に至る。ギリギリで祖父と祖母の死を見届けた兄が、『済まない』との言葉と共に祖父から聞かされた話だ。
伝染経路は分からないものの感染率は高く、発病する時期も早い。兄も僕も、里に戻った次の日に発病した。
そしてその一週間後…。兄が死んだ。
(僕が…伝染を止めなければ…。)
その時、覚悟を決めた。ここは誰も寄り付かない里だ。だけど万が一もある。出て行く人はいないだろうけど、訪れる人がいるかも知れない。
兄から里の名簿を受け取り、また、兄に倣って彼の死体を燃やした。悲しんでる暇はない。僕には、課せられた定めがあるのだ。
(これで最後だ…。)
名簿を頼りに里を周った。幸いにも、ここを出て行った人はいない。兄が燃やした以外の人は、変わり果てた姿で死んでた。僕はそれを一人残らず燃やし、残った時間で訪問者がいないかを探った。
(!?)
一週間前、『立ち入り禁止』と書いた看板を里への経路に立ててた時だ。ダムの近所で、人影のようなものを見かけた。
(不味い!ダムを管理してる人か?)
『ここに近づいちゃ駄目です!早く、里から出て行って下さい!』
病気が感染する。近付く事は出来ない。だから遠くから叫んだ。…だけど返事がない。
(見間違いか?)
そして遂に、僕の命が尽きる時が来た。火柱を前にして、人影を見たのが心残りだ。既にその人影が病に侵され、世界中に広がっているかも知れない。里ではラジオもテレビも繋がらない。電話回線も不安定だ。ここは、見捨てられた場所なのだ。
(………。)
仮にそうなったとしても僕には何も出来ない。時間も残されていない。見間違いだった事を祈り、最期の仕事を終える事にした。
(これで…救われる。)
目の前にある、僕よりも背が高い火柱に向かってゆっくりと歩き始めた。
(僕は…世界を救うヒーローになるんだ。)
映画の世界とは違う。大勢からの拍手喝采もない。僕の死に涙を流す人もいない。皆が、平凡な日々を送り続けるだけだ。だけどそれで良い。僕が骨になれば、恐ろしい伝染病は消えてなくなる。ならばそれを人に伝えて怖がらせる必要はない。ヒーローになりたかった訳じゃない。だから称賛も要らない。
(………!)
体毛が焼け焦げ、髪の毛から異様な匂いが放たれてる事に気付く。足を止め、一瞬だけ正直になる。
(………。怖い!)
だけど…長くても明日には死ぬ身だ。
(………。世界を救うんだ!)
勇気を振り絞り…火柱に身を投じた。
『ドゴンッ!』
息が出来ない。それなのに肺が焼け付く感覚はある。目も開けない。急速に死が近付いてるのを感じる。それでも、火柱の外に出てはいけない。必死になって留まる努力をした。
そんな最中、遠くの方から爆音が聞こえた。ダムの方からだ。
(ダムが…崩壊した!?)
焦った。この二週間、見間違いの他に里への訪問者は確認していない。だけどダムが崩壊したとなるとマスコミや作業員を始め、多くの人が里に訪れる。
そして今更になって気付いた。人から人に移るものの、伝染病の発生原因は掴めていない。里に住む動物が媒体だったのなら、僕が骨になった後にも病気は発生する。
(このままじゃ…!)
ヒーローになりたかった訳じゃない。だけど、それが課せられた定めと思った。だからヒーローになる事を覚悟した。拍手喝采もない。誰も嘆かない。歴史にも名前は残らないし、だけど…人々が怯える事もないと思った。
(それなのに、僕の犠牲は無駄になるのか?病気は、世界中に広がってしまうのか!?)
いや…まだだ。
(このままじゃ…世界は救えない!諦めちゃいけない!)
火柱の外に出て、勘を頼りに近くの小川へ向かおうとする。
(………!)
だけど…皮膚は既に焼け爛れ、肺も焼き付いてしまったようだ。息が出来ない。足が動かなくなり、その場に倒れた。
(……?)
少しずつ、終わりが近付いてるのを感じる。目も開かない。そんな状況の中、遠くから人の声が聞こえた。
(もう誰かが来たのか!?)
…見間違いだと祈ってた。だけど違ったようだ。これは幻聴じゃない。…ダムの管理業者が、里に来てたのだ。
(……最後の希望が…まだ残ってる。)
本当は、もう1度火柱に戻りたかった。僕の身が骨になったら感染は防げる。だけどもう、歩く事が出来ない。ただただ祈るのは、ここにやって来た誰かが感染しない事と…火柱の側に残したノートを見付けてくれる事だ。
(感染してしまったらご免なさい。だけど…あなたに全てを託します。)
ノートに、万が一を考えて病気の進行と病状を詳細に書き残した。それが病原菌追求に有効な資料になる事を祈って。
(どうやら…僕じゃなかったようだ。)
………。ヒーローになりたかった訳じゃない。だけど、それが課せられた定めと思った。だから必死になって世界を救おうとした。
でもどうやら…僕じゃないらしい。僕はバトンなのだ。ここを訪れた人にヒーローになってもらう為の、バトンに過ぎなかったのだ。
だけど…それも悪くない。ヒーローには味方が付き物だ。彼らより目立たないけど…必要な存在なのだ。それが僕の定めだったのだ。
(どうか…里や僕らの犠牲を無駄にしないで下さい。必ず…必ず世界を救って下さい!)
やっぱりヒーローは拍手喝采を受けるべき存在だ。ここに来た誰かが世界を救い、歴史に名前を残すのだ。
そうなる事を願い、僕は…命の終わりを迎えた。
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