確かめ合える愛

 妻が退院した。入院して2年…。新婚生活よりも長い時間を病室で過ごした。


「さぁ、もう1度新しいスタートを切るんだ。」

「…………。」


 久し振りに2人して我が家に帰った。でも、妻の反応は良くない。


「覚えてるかな?ここに住み始めて、君が初めて買い換えたものだよ?」

「…………。」


 妻は食べる事が好きだ。同棲していた頃の冷蔵庫を新居に持ち込んだけど、家族が増えるならと買い換えた。

 だけど今は…お気に入りだった冷蔵庫にも興味を示さない。


(そう言えば、これを買う時にも大喧嘩になったな…。)


 付き合ってから、僕らの間には喧嘩が絶えなかった。どうして結婚まで漕ぎ着けたのか分からないくらいだ。短かった新婚生活でも喧嘩ばかりしていた。




『ピーンポーン!』

「は~い!今出ます。ここで、じっとしていてね?」

「………。」


 今日は、妻の両親が来る日だ。妻の様子を見に来た訳じゃない。僕を…説得する為に来た。


「どうぞ、どうぞ!お入り下さい。」


 だけど僕は、それを無視するかのように2人を家に案内した。


「あっ!駄目じゃないか!?じっとしててって言ったろ?」


 応接間に戻ると、妻がカーテンを引っ張って遊んでいた。


「ほらっ。お義母さん達が来てくれたよ?」


 嫌がる妻をカーテンから離し、2人に挨拶させる。妻は喜び、お義母さんに抱きついた。だけど、お義父さんには反応を示さない。


(…………。)


 辛そうな顔をするお義父さんだけど…仕方がない。今の妻は嘘をつかない。




「ところで…」


 お義母さんに妻を任せ、お茶の準備を終えた僕にお義父さんが声を掛ける。


「前の話なら、お断りしました。僕は、別れるつもりはありません。」

「しかしだね…!」

「…………。」


 可哀想だけど、僕もお義父さんを無視し、テーブルにお茶を運んだ。

 妻が体を揺らし、両手を上げて喜ぶ。彼女は食いしん坊だ。一緒に出されたシュークリームに強く反応している。


「駄目じゃない!?お口の周りに、クリームがいっぱい!床にもこぼしちゃって!」


 シュークリームは食べるのが難しい。口いっぱいに頬張ると、中のクリームが飛び出す。妻の顎や服、床がクリームでベトベトになった。


「う~~~~!!」

「………。」


 お義母さんが優しく顔を拭いてあげるけど、妻はそれを嫌がり、お義父さんは、両の拳を握って体を震わせた。


「やっぱり駄目だ!娘は、私達が引き取る!これ以上、君に迷惑を掛けたくない!」


 遂には立ち上がり、これまで溜めていた我慢を吐露した。


「娘は…もう元に戻らないんだ!元気だった頃の娘はいない!君は…こんな生活を続けるつもりか!?」

「………。」


 お義父さんの怒鳴り声に、お義母さんが黙り込んだ。妻は、美味しそうにシュークリームを頬張っている。


「……。ねぇ?シュークリーム美味しい?」


 だから僕は尋ねた。すると彼女は上半身全部を使って、首を大きく縦に振ってくれた。


「話を聞きなさい!こんな姿になった娘と、一生を共にするつもりか!?」

「!!お義父さん!」


『こんな姿』と言う言葉に、僕は怒りを覚えた。


「………。私も、お父さんの意見に賛成よ。今日は…あなたを説得に来たの。」

「……お義母さんまで……。」


 だけど、味方だと思っていたお義母さんも僕らを引き離そうとする。


「君はまだ若い。他に良い人がいるはずだ。娘の事は私達に任せて、新しい人生を歩むんだ。」

「お断りします。何度もそうお答えしました。」

「しかし…」

「誓ったんです!彼女と一緒に!どんな苦労だって2人で乗り切るって…!お2人もその場にいたじゃないですか!?」

「結婚式での誓いなんて形式的なものだ。それを守り抜く必要はないんだよ。それに…苦労は君ばかりがしてるじゃないか?娘はもう…それすら分からないんだ。」

「…………。」


 ………。結婚して間もなく、妻がひき逃げに遭った。犯人はまだ見つからない。

 でも、お義父さんが悔しがっているのはそれじゃない。妻はその事故で頭を強く打ち、脳障害を背負ってしまった。2年間の治療である程度まで回復したけど、これ以上は望めないらしい。彼女の脳は、3歳頃のそれに戻ってしまった。



「今日は……お引取り願います。」


 2人は新しい人を探せと言うけど、僕には彼女しかいない。


「お母さんが帰るって。バイバイしよ?」


 僕は2人を玄関に案内し、妻はお義母さんに、クリームだらけの手を振った。



「辛くなったら連絡を欲しい。君はこれまで頑張ってくれた。別れたとしても、君を恨む事はない。むしろ、感謝の気持ちでいっぱいだ。」

「………。また、遊びに来て下さい。」

「…………。」


 強い説得に望んだお義父さんが、玄関先で優しく語る。だけど、どんな説得をされたって僕の気持ちは変わらない。




「お待たせ。あ~あ!もう、色んなところがクリームだらけだ。」


 2人を送り、応接間に戻った僕は妻の相手をした。


「う~~~!う~~~~!」


 顔や手を拭く僕の手を、妻が必至に嫌がる。彼女には言語障害もある。言葉を話せない。


「…………。」


 全て綺麗に拭き取った後、妻の顔を見つめた。まだ怒っている。


「ねぇ、僕の事が好き?愛してる?」


 だから機嫌を直そうと、そう尋ねた。すると彼女は、さっきみたいに体全部を使って大きく頷いてくれた。


「僕も、君の事が好きだよ。愛してる。」


 そして…満面の笑みをくれた。




 …付き合ってから、僕らの間には喧嘩が絶えなかった。どうして結婚まで漕ぎ着けたのか分からないくらいだ。短かった新婚生活でも喧嘩ばかりしていた。

 でも、今はその理由が分かる。今の彼女は嘘をつかない。どんなに酷い喧嘩をしたって、彼女は僕を愛してくれていた。そして…今でもその気持ちは変わらない。


 僕も再確認出来た。妻を愛している。お洒落や化粧をしなくなった彼女だけど、事故のせいで色んな障害を背負ったけれど、それでも妻が愛おしい。


 あらゆる障害を乗り越えて来た。これからも乗り越えるつもりだ。今の僕らだからそこ出来る。その度に僕は…飾りもない、偽りもない彼女からの愛と…彼女への愛を再確認するのだ。

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