第20話 県議選

 高杉は来年4月に行われる県議選に向け4月1日より駅頭を開始した。アポロ市には全部で9駅ある。その内7駅に絞り毎朝順番に駅頭を行った。朝6:30〜8:00だ。好きなボクシングも選挙が終わるまではお預けだ。県議の当選目安票は20、000票。高杉が市議選でとっていた票が約4、000票。5倍の票だ。活動エリアも5倍以上に広げねばならない。とりあえず高杉は一通り市内を廻って見たがやはり何の地縁もないところは票にはならない。高杉は地域をある程度限定して活動することに決めた。選んだエリアは地元古川地区に隣接又は近いエリアと高杉を応援してくれる議員のいるエリアに定めた。それは前野地区・上丘地区・長峰地区・戸井田地区・神林地区そして地元古川地区の6地区だ。4月は各地区・各団体の総会シーズンだ。古川地区だけでも23町会ある。総会の日程も各地区ほとんど同じ様な日程で行われる。もちろん相当バッティングする。妻の麻里に運転してもらい廻れる限り廻る。朝は駅頭。昼は支持拡大の為各地の有力者を訪問。夜は各種会合に出席。当初自由党からの立候補予定者は現職の渡辺、新海の弟で元市長の所に養子に入った永井そして高杉の3人であった。

 5月15日。妻の麻里から高杉に電話が入った。「ちょっと美穂がまだ帰らないのよ」「何。もう11時半だぞ。あいつ家では荒れてるけど遅く帰ってくることはなかったよな」「うん。こんな遅いのはない」美穂は無事に高校1年生になっていた。「まいったな。どうしようもないな。兎に角今、帰る」高杉は家に向かった。「帰ったか」時刻は12時半を廻っていた。「まだ」「ちょっと駅まで見てくるわ。帰ったら電話くれ」高杉は駅に向かった。10分後電話がなった。麻里からだ。「今、帰って来た」「あっそー。良かった。それで」「帰って来てそのまま部屋行っちゃった」「そっか。まーとりあえず良かった。今、帰るわ」高杉は帰る途中考えた。「とりあえず問い詰めるのはやめよー」家に着くと「どんな感じだ」「んー見た感じは変わったところはないけど」「そーかじゃー大事ではないかな。とりあえず今日は問い詰めるのはやめとけ。一度ほっとくと決めたんだから落ち着くまで我慢するしかないな」「でもさー私もう限界かも知れない。あなたには言わなかったけどこの前大喧嘩して広樹に止められちゃったのよ。あの子の事が全然わかんない。どうしたらいいのよ」「待つしかないって。別にぐれて朝帰りしてるわけでもないし、ましな方だと思うよ。我慢して待つしかないよ」この頃娘の美穂は高杉とは全く口もきかない。ほとんどバイキン扱い状態だ。「可愛いんだけどな。あの年頃の女の子はわからん」

 6月議会が始まった。この議会で議長が新しく変わる。今回の議長は順番から行けば高杉だが渡辺は高杉には絶対にやらせたくない。アポロ問題、先の市長選の借りもある。やはり民生党団長の大石で根回しされ、議長は大石で決まった。そして副議長が自由党となった。本来であれば高杉だが高杉には鼻っから「何でおれが民生党の副をやんなきゃいけないんだ」と言う頭があった。岩井団長からこれは3期生で決めてくれと言うことで別室で集まった。口火を切ったのは反町だ「吉川がいいと思う」この反町という男は異常にすましたいけ好かない男である。何をしゃべらせても偉そうと言うか人を小馬鹿にしている物言いをする。「どうせ根回ししてるんだろうし多数決になっても結果はわかりきっている。くだらなくてやってられない」高杉はもはや口を聞く気もない。へたに何か言ってあの口で反論されたらひっぱたいてしまいそうな気がしていた。議長は大石。副議長は吉川で決まった。

 この決定を受けアポロ市民はやはりあの噂は本当だったんだと口々に話題となった。この噂とは昨年暮の12月議会前に「アポロ問題に民生党が手を貸す代わりに次の議長に民生党大石が就任する」と言うものだ。これが現実のものとなったのだ。アポロ問題は終結するどころか再燃した。要望書を提出した連合町会は再び会議を開き今後に付いて協議した。結果は来年の統一地方選に出馬する候補者にとりあえず新庁舎の候補地としてアポロ地区か現在の場所かのアンケートを出してその結果を市民に公表しようと言う事となった。時期は来年4月の選挙を見据え今年の11月頃を目安とした。

 7月に入り上田が県議選に手を挙げ4人となった。県議の枠は7人。自由党から4名は正直言って厳しい。正に激戦である。ところが8月に入り突然上田が辞退。再び3人となる。又、この頃4月から始めた駅頭。毎日の戸別挨拶廻りで高杉は紫外線の影響からか目の充血に悩まされていた。又、涙目になりまともに目が開けられない状態が続いた。もともと近眼、乱視、老眼、緑内障を患っており目が弱点の高杉である。まさかサングラスをかけながら街を歩くわけにもいかず大変苦しんだ。

 又、この時期は各地区で夏祭りが行われた。これもほとんどの地区が同時期に行うのでバッティングが凄い。高杉は妻の麻里と徹底的に廻った。元来高杉は祭りが大好きで盆踊りも得意だ。行った先々で踊った。これがご婦人方に受けた。高杉の名前は一気に広がった。

 9月に入り今度は反町が突然出馬を表明した。なんとなくきな臭い空気が漂い始める。

 この頃高杉は様々な妨害を受けている。2年前高杉は経営が悪化した一つの会社を清算している。その時の債権者への通知を青年会OBの「八木」が入手し高杉の地元古川地区の有力者の所に持ち回り誹謗中傷を行っていた。又、自由党事務局の松井にも同様に行い高杉を推薦しないよう働きかけている。陰湿な蛇の様な男である。この「八木」と高杉は以前会社関係の取引があったが高杉が会社を清算した時より猛烈な誹謗中傷を始めた。元々自身の保身を一番に考える男だ。それ以前。高田が会社を清算した折にも酷かったがその時には八木は実際の被害を被っているから話は分かるが高杉に対してはそういった被害もない。仕事絡みで共通のお客様がいたがそれに対する自身の保身としか思え無い。とにかく陰湿な奴だ。逆恨みとしか思え無い。

 実は地元古川地区の数々の町会長より「おまえ八木の奴。訴えたほうがいいぞ」と助言をされている。だが、高杉は彼の陰湿さを十分に知っていたので逆効果だと思っていた。

 この八木こそが前回の3回目の選挙から高杉にターゲットを絞り様々な嫌がらせを行っている張本人だ。又、高杉は会社清算のつけでこの時2つの訴訟も抱えていた。精神的にも非常にきつい状況であった。

 この頃ついにアポロ計画の一つ火葬場の入札が行われた。いよいよアポロ計画が実際に動き出した。ところがこの入札が不調に終わった。入札業者全社が辞退したのだ。折しもこの頃先の東日本大震災の復興の煽りを受け資材の高騰、人手不足による人件費の高騰が重なって当初予定の220億ではとてもではないが採算が合わなくなっていた。又、この工事でのバックマージンの要求が5%と噂されていた。220億の5%。11億だ。とんでもない金額だ。もちろん業者はその金額を頭に入れて置かなければならない。いくら後から追加が出ると言ってもそもそもの金額が全く合わないのでは問題外である。落札本命業者が下りた事により他の業者も辞退したわけだ。高杉は伝を使いその本命業者と予定金額との差を調べた。結果は予定金額220億に対し本命業者見積価格は250億だ。30億の差ではさすがに辞退するのもうなずける。これにより平成27年開業予定であった火葬場のオープンは遅れる事となった。最初からの躓きである。今後の計画が順調に行くか高杉は非常に不安を感じていた。

 9月に入り現職の渡辺がまず自由党から公認された。これは現職の県会議員は全員1次公認すると言う県連の決定だ。こういうところが現職のアドバンテージの一つだ。

 10月に入り日も徐々に短くなり朝の駅頭もまだ真っ暗な頃からのスタートだ。

 又、この時期高杉の息子広樹が大学受験を迎えていた。「初出馬の時小学校に入学したばかりのあの息子がもう大学受験だ。早いものだ。子どもの成長を見ると時の流れを実感する。あれからもう12年だ。本当に早いな。色んな事があったな」と思わず物思いにふけった。

 さて、この受験だがことごとくこれまで失敗に終わっている。広樹が受けているのは所謂AO入試で面接がメインだ。広樹は軽い言語の発達障害で自分の意思を相手に伝える事が極端に苦手だ。障害と言うのは病気と違い治るものではない。高杉は頭を抱えた。

 そんなある日高田から「おまえそういうのは事前に学校に伝えた方がいいんじゃないか」とアドバイスを受けた。余り障害の事は言わないものだと言う既成概念がやはりあったのだ。入試案内を見ると事前相談というものがあった。高杉は妻の麻里と二人で思い切って最後の入試予定の学校に行った。「実はうちの息子は子供の頃言語の発達障害と言われ、極端に自分の意思を相手に伝えるのが苦手な子なんです。お願いですから面接の時息子の話をじっくり聞いてやってくれませんか」「わかりました。一応その旨は面接官に伝えますがそれを優遇すると言うのは難しいと思います」「それはもちろんわかってます。平等に扱っていただくのは当然です。只、そういう事実があるという事だけ分かっていただければ結構です。よろしくお願いします」帰り際、高杉は麻里に「いい子なんだけどな。ダメかな。此処がダメなら行くとこないのか」「んーちょっと難しいかな」「まーでもやることはやったから、後は結果を待とう」「そうだね」「あっ。まだ一つ忘れてる。明日墓参りに行ってくるは」出来の悪い子程可愛いというがまさにその通りだと高杉は思った。

 翌日高杉は新幹線で岩手県のご先祖様の墓参りに行き息子の合格と自身の当選をお願いしてきた。1週間後広樹は入試に向かった。試験は論文と面接だ。「どうだった」「わかんない。でもちゃんと話せたと思う」「そうか。お疲れ様。この前の試験も自信あるって言ってたからな。まー待つしかないな」

 高杉は選挙活動に没頭した。1週間後高杉の事務所に学校から通知が来た。恐る恐る中を開くと何と合格だ。「うぉー」高杉は歓喜した。すぐに自宅に戻り妻の麻里に報告。「良かったねー」お互い涙が止まらなかった。

 高杉の予想通り広樹は小学校の頃よりいじめに会っていたがこんな事があった。広樹は地元の少年サッカーチームに入っていたがやはりそこでもいじめに遭っていた。ある日高杉が見ていると息子がいじめられていた。息子がいじめられているのを見るのはつらいものだ。見兼ねた他の親御さんが止めてくれたが、高杉はじっと耐え見ていた。家に戻り高杉は「嫌ならサッカーやめるか」「やめない。僕はあいつらがいる限り絶対にやめない」「おまえ。いい根性してるな」涙が出た。

 実は高杉は広樹が言語の発達障害と聞かされた時、途方に暮れていた。「何でよりによってうちの子なんだ」ショックだった。そこでかねてより信頼している大学の先生に相談したところ「とにかくお父さんと一緒にいる時間を増やしなさい」とアドバイスを受けた。それから高杉はできる限り広樹と過ごす時間を作った。高杉は昔からスポーツが好きで当時毎日ジョギングをしていた。そこで広樹も誘いジョギングを始めた。広樹が中学1年生になった夏休み。何気に「おい。お母さんの実家まで走って行くか」と言って見た。すると「うん。いいよ」「こいつわかってんのかな。女房の実家までここから120㎞あるんだけど。まーいいや。やってみよう」お盆休みに実行に移した。しかしさすがに休みがそんなに取れず実家まで80㎞のところからスタートし三日かけて走ることにした。当初高杉は80㎞を三日だから1日27㎞位だから何とかなるだろうとタカをくくっていた。これが甘かった。80㎞ということは三日で凡そフルマラソンを2回走ると言うことだ。ましてや真夏の昼間。しかも車が行き交う国道沿いを走っていくのだ。高杉は日増しに痩せ、朝起きても疲れが取れず何とか到着した時には6㎏痩せていた。広樹はと言うと朝起きると毎日元気溌剌であった。子供の回復力には驚いた。でも何が驚いたかと言うと広樹は一言も弱音をはかずにちゃんと完走した。中学1年生だ。高杉は思った。「俺が中1の時親父とこんなことは絶対に出来ないし、走る気にもなれない。こいつすげー奴だな」心底思った。気づけば思わず広樹に「おまえ尊敬するよ。夏休みの宿題でこの事書けば」「んーでも僕が言っても誰も信用しないからいいや」「おまえねーそう言う卑屈な事を言うんじゃないよ」「ひくつってなに」「ダメだこりゃー」

 小学生の頃一度3者面談に高杉が行った事がある。「先生。どうですか息子は学校で上手くやってますか」「そうですねー。ちょっと自閉症の気がありますよね」

 実は高杉は広樹の入学にあたり発達障害の事は伝えていなかった。妻の麻里とは「どうしよう。学校に言った方がいいかなぁ」「いいんじゃないか。ちゃんと面接もして受かったんだからいいだろう」と言う話をしていた。しかしさすがに学校の先生である。ちゃんと把握していたわけだ。

 「そうなんです。自分の意思を伝えるのが苦手で。本当に学校でうまくやってるんですかね」「でもこの子は大丈夫ですよ。体はクラスで一番小さいですけど大きな子にも向かって行きますから。まーでも結局跳ね飛ばされてその後は教室飛び出してどっか行っちゃうんですよ。それと普段も休み時間になるとすぐに教室から出て行っちゃうんですよ。なんか人に構われるのが嫌みたいですね。自分の居場所が3ヶ所くらいあってそこに休み時間はいるんですよ。とりあえずその居場所は把握してますけどたまに場所が変わる時があってそう言う時は職員みんなで探し回りますけど」「そうですか。すみません」「自分の居場所が作れる子は大丈夫ですよ」

 その後広樹は自らいじめを克服した。ボクシングを始めたのも克服できた要因の一つかも知れない。

 いじめというのは不思議なものである日突然いじめていた人間がいじめられる側になってしまうことがある。おもしろい事に広樹はそういったいじめられっ子のヒーローみたいになっていた。要は「なんでこいついじめられなくなったんだろう」と不思議だった訳だ。

 色々な事があったが広樹はこれまで一度も学校に行きたくないと言ったこともなく本当に頑張って来た。報われた瞬間だ。又、小・中•高と同じ学園に通わせたが本当に面倒見のいい学校だった。あそこに入れて間違いはなかった。初出馬の時周りから色々言われたが本当に良かった。感謝の言葉もない「息子も受かった。後は俺だけだ。頑張ろう」

 後日談だが当日の面接官のひとりが広樹に興味を示してくれたらしく「どうしてもあの子を入れたい」と頑張ってくれたそうだ。「拾う神ありだ」

 そんな折、ショックなニュースが飛び込んできた。市長選で敗れた田口が交通事故を起こした。自爆。即死だ。市長選後様々な誹謗中傷に会い相当精神的に参っていたとの事だ。いまだに小泉派の粛清は続いていたのだ。田口は市長選後も小泉、渡辺の金の流れを掴むため嗅ぎ回っていたようだ。その為の「排除」だろう。これで3人が死んだ。「ここまでやるか。これが政治か」高杉は絶句した。 

 葬儀は既に密葬で終えられ高杉は田口の最後に会う事はできなかった。

 「タタン。タタン。タタン」「田口さん。死んじゃだめだ。死んだら何もかも終わりだ。何てことしたんだ。戦いはまだまだこれから。最後に立っていた方が勝ちなんだから。俺は最後までやる」高杉は痛たまれず4月から封印していたジムに行った。そして練習終了後いつもの赤提灯に行き常連達とマスターとばか話しをした。「ところで高杉君。選挙はどうだい」「まー一生懸命やってますよ。マスターも頼みますね」「わかってるよ。高杉君に勝ってもらわないと店も暗くなっちゃうからな。頼むよ」「はい。頑張ります」「ところで何票とればいいの」「目標は20,000票ですね」「20,000か楽勝だろう」「あのねーマスター。20,000票だよ。うちの町会の全有権者数が全部投票してくれても4,800票。しかも投票率100%でだよ。投票率40%も行かないって言われてるんだから仮に40%でも1,920票しかないんだよ。それが全部俺に入るわけもないし。古川地区全体でも40%だと26,000票しかないんだからね。半端な数字じゃないよ」「よし。俺が50票約束する。あと何票だ」「はー。あと19,950票」「よし。あとはママなんとかしろ」「だめだこりゃ」

 そして11月に入り今度は選考理由も明らかにせず反町が公認された。これには各地区の常任委員も異議を唱えたが数の論理にて却下される。反町は高杉と同期だ。違いと言えば議長経験者である事だがアポロ市の市議会議長は1年交代の只の持ち回りである。本来であれば本年度は高杉が議長の番であったが何故か民生党の大石がなっている。勿論高杉に議長をやらせない為だ。又、庁舎建設地決定の際の借りや市長選での借りを返したとも言われている。永井はまだ1期生だからしょうがないにせよ何故高杉に公認を与えないか答えは簡単である最後の前市長中田派であるから何が何でも「排除」したいのだ。元より高杉もそんなことは重々承知しているので公認で無くとも最初から戦うつもりだ。

 この月新庁舎建設地はアポロでと言う要望書を出した11連合町会は次期統一選市議会議員立候補予定者すべてにアンケートを送った。内容は新庁舎建設地は現在の場所かアポロか何方が良いかの単純なものだ。このアンケートに対し自由党と民生党議員全員が回答せずとの立場をとった。

 そしてこの頃高杉にはもう一つ頭の痛い問題があった。例の町会長問題だ。この時期に決めねば年末以降高杉はとてもではないが町会活動はできない。かねてより決めていた嶋田に「嶋田さん。来年町会長お願いします」「いやーまだ町会入って2年目ですからとてもできません」「私はこの1年間を見て嶋田さん以外に適任の方はいないと思ってます。町会長は横の繋がりも大事ですから。その点あなたなら地元の方ですから周りの町会長も皆顔なじみですからなんとかお願いします。周りがきちんとフォローしますからぜひお願いします」「何れにしても少し考えさせて下さい」「わかりました。早急にお願いします。遅くとも年内にはお願いします。嶋田さんもご承知の通り今度私は県議選に出ますのでとても町会活動に顔出しは出来なくなります。なんとか助けて下さい。お願いします」「わかりました。前向きに検討します」「ありがとうございます」「なんとかなりそうだ」高杉は思った。

 又、この頃から議長になった大石は頻繁に市長室に業者を連れて行っている。これは信じられないことだ。「中田は絶対に業者と市長室で会う事など一切しなかった。議員絡みであっても副市長に任せ本人は絶対に合わなかった。又、連れて行く議長もどうかしている。何の魂胆も無ければ市長に面談等しない。市長室の中で業者選びまでしていると言う話だ。もはややりたい放題もいいとこだ。なんとかしなければいけない」高杉は天を仰いだ。

 11月末予想だにしなかった事が起きた。何と衆議院が解散したのだ。市内全域に既に張り出されている新海との2連のポスター1,000枚以上を12月2日の告示日までに剥がさなければならない。大変な作業だ。又、投票日終了と同時に再びポスターを貼らなければならない。2度手間どころの騒ぎではない。出費も凄い。高杉はすぐに追加のポスター1,000枚を発注した。

 選挙は新海の長年の政敵であった民社党の石川が体調不良を理由に政界から引退しており共創党の議員との一騎打ちだ。現在自由党は阿部野政権が支持率も高く追い風だ。もちろん結果は圧勝だが驚いた事に投票率が全国でワースト1の42%であった。通常衆議院選挙はマスコミでも話題になるので60%近くは行く。ところが今回アポロ市は42%だ。「うちの市民はどうなってるんだ。選挙をやるたびに投票率が下がって行く」高杉は嘆いた。

 また、共創党が約70,000票も獲得した。自由党は129,000票だ。この共創党の70,000票はあり得ない。批判票以外の何物でもない。又、新海の得票率も全体の64.8%だ。共創党との一騎打ちで思い出されるのはやはり中田の得票率8割超えだ。いかにあの時の数字がすごいのかがわかる。因みに今回の選挙で全国を見回しても得票率8割を超えた者はいない。又、今回の選挙で全国で共創党の票が最も多かったのがアポロ市だ。これは共創党を勢いずかせた。選挙の翌日共創党の議員に会うと負けたというのにニコニコしていた。不思議なものだ。この勢いのまま県議選に臨まれるのは厄介だなと高杉は思った。

 衆議院選挙も終わり高杉の選挙も終盤戦だ。この時期は各地区・各種団体の忘年会が目白押しだ。高杉は妻と手分けして徹底的に廻った。4月から始めた選挙戦であるが今のところ順調に来ているとこの時高杉は感じていた。

 そして12月議会最終日を終えた市議団打上げで事件は起きた。上田と関口が市議団の打上げで乱闘したのだ。聞けば吉川が何やら焚き付け上田がそれを真に受けていきなり関口に殴りかかったそうだ。驚いた事にこの席には小泉市長も同席していた。にもかかわらず誰も止めに入らず、見かねた店の女将が止めに入ったと言うのだ。情けないにも程がある。この時高杉は他の宴席に出ていてたまたま居合わせなかった。後で関口が言うには「あいつら涼さんがいないのを知っててわざと俺に突っかかってきたんだぜ。俺以外全員渡辺派だよ」との事だがいずれにしてもこれがアポロ市議会最大会派の自由党か。呆れてものも言えない。ちなみに老害松井もその席にいて事もあろうに「やれっやれっ」と煽っていたそうだ。もはや末期症状だ。翌日この事件に関する怪文書が出回った。それを見た田原は開口一番「吉川だ。あいつは本当に陰湿な男だね」怪文書の作成者だ。

 この事件は役所でもすぐに話題になり「今の自由党市議団はどうしようもない」と改めて周知させてしまった様なものだ。

 町会の嶋田から連絡が入った。「高杉さん。ご迷惑をおかけすると思いますが町会長受けさせて頂きます。よろしくお願いします」「ありがとうございます。助かりました。よろしくお願いします」これで一つ解決だ。

 12月も暮れになり高杉を残し家族は岩手の田舎に行った。息子には必ずお墓に行ってお礼参りしてこいと告げた。例年であれば高杉も一緒に行くのだが今年は年越しの神社廻りだけで6箇所も行かねばならない。墓参りは当選後のお礼参りまでお預けだ。田口の死等色々あったが平成24年も暮れて行った。

 

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