第2話 市長選挙

 平成12年1月高杉はアポロ市の青年会の理事長に就任した。時のアポロ市の市長は中田士郎だ。

 青年会では常に現役の市会議員がいるのが常である。しかし昨年自由党の渡辺が青年会を卒業した為、現役市会議員が一人もいなくなってしまった。又、時の市長中田には当時所謂中田派と呼ばれる市会議員がほとんどいなかった。中田は仲間となる議員が欲しかった。

 平成7年5月中田が初の市長選に立候補した。相手は同じ自由党の山口だ。共に現役の自由党県会議員だ。保守分裂。アポロ市は真っ二つに割れた。当時の自由党市議団は山口を推薦し流れは当初山口に傾いていた。

 しかし当の自由党アポロ支部は未だどちらを推薦するかは決めていなかった。市議団が先に意思を表明した訳だ。これに対し当時の自由党アポロ支部長永井は激怒した。「何を勝手な事をしてるんだ。支部の決定も見ないまま推薦を表明するとは何事だ。市議団も支部もばらばらになるぞ」永井は現職のアポロ市市長だ。この永井の引退で行われるのが今度の市長選だ。要は永井の後任を誰にするかの選挙でもある。にもかかわらず本人を無視して勝手に推薦を決めては永井が怒るのも無理はない。又、山口は旧神林村の出身商人である。これに対し中田は旧アポロ町の機械屋の出で青年会の出身だ。これまでに旧アポロ町出身以外の市長はいない。永井ももちろん旧アポロ町の出で青年会出身である。この点も永井は引っかかったのではないかと感じる。アポロ市は旧アポロ町を中心に近隣の村と合併し出来た市だ。未だに政治は旧アポロ町が中心の所謂西高東低政治の町だ。

 青年会は中田を呼び今回の選挙にあたっての演説会を開いた。その席で中田は自分の思

いを訴えた。「私は自由党から推薦を受けられなくても今回の市長選に立候補します。皆さんと共に青年会で活動した経験。又、市議会議員、県議会議員で培った経験を今度は地元アポロ市の為に生かしたい。今のアポロ市はこのままでは破綻してしまいます。バブル崩壊の大きな波はこのアポロ市にも覆いかぶさってます。何が何でもこの波から顔を出し浮上しなければなりません。今回の選挙でそれが出来る候補者は私中田士郎しかいません。おまえこの選挙で落ちたら無職になってもいいのか。と言う方がいます。私はそんな事は関係ございません。無職になろうがなるまいがこのアポロ市の為に死ねるなら本望です。

折角このアポロ市で皆さんと出会えたんです。皆んなでいい街創りましょうよ」中田は訴えた。中田の熱意に皆んな涙した。「自由党なんて関係ねー。やろう」あちらこちらで絶叫が飛び交う。この時の演説は今でも語り継がれる程の伝説的な演説であった。高杉も涙し感動した。「これが政治家だ」高杉は震えた。

 演説会終了後青年会のメンバーは一人ひとり血判状を押して選挙を戦う意志を確認しあった。

「よっしゃ。やるぞ」「自由党なんぼのもんじゃい」あっちこっちで気合が入った声が聞こえてくる。青年会のメンバーのほとんどが市議団が山口に推薦を出したと聞き既に「敵は自由党」と化していた。実はこれに対しても永井からクレームが入った。「おまえら何を先走った事してんだ。物には順序がある。これを狂わせるとめちゃくちゃになるぞ」だがその時には既に両者、両陣営とも一歩も引かない覚悟は出来ていた。一度堰を超えた水は誰にも止められない。

 その後自由党アポロ支部は会議を重ね、結果的に市議団とは違う中田の推薦を決定した。やはり「永井は旧アポロ町出身。機械関係を意識したのではないか」と高杉は思った。

 しかし時既に遅しである。中田推薦を不服とした自由党議員の多数が自由党を出て山口支援に回った。選挙は一進一退。自由党議員も街も真っ二つの大選挙となった。選挙事務所も偶然だと思うが同じ通りに面し歩いて5分と離れていない。色々な事が起きる。怪文書。誹謗中傷は当たり前。喧嘩やいざこざもしょっちゅうだ。当時高杉は31歳。選対ではぺーぺーだが若いだけあって血気盛んだ。いざこざ上等である。率先して外に出て選挙活動をした。周りのみんなも燃えた。しかし相手も必死だ。

アポロ駅東口デッキ上でチラシを撒いていた時だ。その中には中田とわかる付箋が入れられていた。実はこれは厳密に言えば違反だ。「あっ」メンバーの一人が事もあろうにこのチラシをデッキ下に謝って落としたのだ。それを拾った相手陣営が「おい!なんだこれは。違反じゃないのか」デッキ上では揉み合いが始まり騒然となった。いつ乱闘になってもおかしくない。高杉は青年会の仲間に撤収の合図を送りその場から引いた。「あのままだったら警察が来て大変な事になっていた」中田の選挙ではこれまで違反で捕まったものはいない。違反は最も中田が嫌う。今回のも黒か白かと言うと限りなく黒に近いグレーである。あのまま続ける訳にはいかなかった。いざこざはその後もあっちこっちで続いた。高杉の電話が鳴る。「もしもし」「今、投げ込みをやってるんだけど何だか付けられてる気がする」「ばか。すぐ撤収しろ」こんな電話は引っ切り無しだ。中には暴漢に襲われ怪我をしたものまで出た。選挙はまさに戦である。

 全く戦況が読めないまま選挙戦も終盤。青年会のメンバーは若さもあって皆、飛び回っていた。いよいよ選挙戦最終日。バケツをひっくり返した様な雨だ。中田はその中を自ら選挙カーに乗り訴え続ける。「公平公正なそしてクリーンな政治は私しか出来ない。明日の投票日には中田士郎に皆様の1票を入れて下さい。お願いします。お願いします」

 実は山口は商売人でもあり黒い噂も非常に多い男である。この男に市政を預けたらまずいだろうと思っている人間も多数いた。それに対し中田は全くと言っていいほどそう言う噂のない男だ。

 高杉達は夜陰にまみれ最後の投げ込みを行った。みんなずぶ濡れだ。高杉は「いいですか。投げ込み中もし変なのがいたら即座に中止して集合場所に行って下さい。最終日ですから何があるかわかりません。もし誰かに何か言われたら中田さんのファンで自分で勝手にやってますと言って下さい。決して誰かに頼まれたとか言わない様にお願いします。全て自己責任でお願いします。予定通り終わりましたら事務所には戻らず予定している集合場所に行って下さい。3人1組でグループ分けしてますので必ずグループの誰かしら報告の為、集合場所に来る様お願いします。それではスタートしてください。よろしくお願いします」未だかつてない一斉投げ込みが行われた。その数は優に100人は超えていた。みんな明日のアポロ市の為に必死だ。投げ込みが終わったものは事務所に戻らず集合場所の居酒屋へと向かった。皆、力を出し切ったのかへとへとだ。しかし明日の勝利を確信し皆、目が輝いていた。1組。又1組ここまでは何事もなく順調に来ている。一人でも捕まれば大変な事になる。残りは後1組。「ちょっと遅くないか」廣川が言う。この廣川は時の青年会の専務理事。高杉は副専務理事で選挙になると二人で青年会のまとめ役をしている間柄だ。誰ともなくそんな言葉が聞こえ出した。「何かあったか。まずいな」高杉。「でもしょうがないよ。自己責任で対処してもらうしかないよ」緊迫した空気が張り詰めた。「遅くなりました」最後の組が無事に戻った。皆ほっとした顔だ。「何だよ随分遅かったな」「いやーずぶ濡れで一度家に戻って着替えて来ました」「ばかやろー。ふざけんな。まったく皆んな心配してたんだぞ」「すみません」

 全員が無事集合しとりあえずのお疲れと前祝いの始まりだ。あちらこちらで戦いの武勇伝が語られている。「お前逃げ足早くねー」「お前が遅いの。でもあの時はやばかったな。捕まったかと思ったよ」「捕まってたら今ここにいねーな。アッハッハ」選挙と言うのは良い意味で絆が深まり連帯感が生まれる。高杉は「選挙はいいなー」と改めて実感した。しかし勝ってこその楽しさだ。

 勝敗の鍵はやはり民生党が何方につくかだ。投票日当日。高杉は事務所に呼ばれ最後の電話でのお願いをした。高杉が事務所に着いた時既に中田は一人で電話をかけまくっていた。午後3時中田が電話を置いた。「もういいなー。いいよなー」「もういいでしょう」高杉。中田の選挙戦は終わった。

 10日前。「木暮さん。はっきり言って中田はやばい。山口の方がリードしている。やはり民生党をなんとかこちらにつけないと正直勝てない」「永井さんよー。はっきり言いなよ」「民生党に実弾をやるしかない」「いくら必要なんだ」「5本。」「わかった。用意しよう。山口に勝たせる訳にはいかないからな」

 5本。今回の1本は1,000万だから5,000万ということだ。

 午後8時を回り投票は終了した。9時30分頃から開票となったがなかなか第一報が届かない。第1報がきた。山口10,000票。中田10,000票。「おー」どこからか声が出る。10時第2報が出た。山口50,000票。中田50,000票。全く差が出ない。既に開票率は50%だ。今回の投票数は全部で凡そ200,000票だ。残すは後100,000票だ。とんでもない接戦だ。続いて10時30分第3報が出た。山口90,000票。中田90,000票。全く差がでない。もう誰も声も出さない。いや出ないのだ。緊張も限界だ。後、残票は約20,000票だ。次で決まる。第4報。最終だ。山口97,000票。中田103,000票。水を打った様な静けさも束の間。「うぉー」あちこちで雄叫びが上がる。「勝った。勝ったぞー」歓喜は鳴り止まない。11時00分。結果が出た。結果は6,000票余りの差で中田が勝利した。事務所にはぞくぞくと人が集まって来た。真っ先に来たのは地元有数のアポロ土建が親子で来た。さすが地元ゼネコン。早い。どちらに転んでもいいように多分お互いの事務所の中間あたりにいたのだろう。「こう言うときお互いの事務所が近いと便利だ」高杉は笑った。その後も人は集まり続け事務所の前の駐車場は人で溢れている。「おめでとうございます」「おめでとうございます」駐車場は未来に向けた熱気で溢れている。高杉は2階からこの光景を見ていた。「これが選挙。これが勝者だ」高杉は興奮して震えが止まらなかった。

 中田は事務所前で勝利宣言をした。「皆さん色々ご協力を頂きありがとうございました。精一杯働いてまいります。街は皆んなでつくるもの。縁あってこの街で出会ったんだから皆んなでいい街にしていきましょうよ」中田は訴えた。そして勝利の万歳が始まった。「未来のアポロ市の為にみんなで頑張ろう。万歳。万歳」最高の盛り上がりだ。涙が止まらない。皆が中田の創る未来のアポロ市に期待をしている。 

 しかしそうでない人間もいる。この時司会を務めた県会議員の小泉だ。中田と小泉は高校、大学も同じだが小泉の方が2級先輩だ。議員になったのは中田が1期早い。小泉は中田にコンプレックスを抱いていた。常に後輩にも関わらず中田が前を走っている。どうにか引き摺り下ろしたいといつも考えていた。今回はその絶好のチャンスであった。小泉は渡辺と共に裏で山口を必死に応援していた。又、山口とは黒の友でもある。「クソっ。民生党にやられた」小泉と渡辺はこの頃から民生党取り込みの重要性を感じていた。

 小泉と渡辺はアポロ市議会議員の同期生だ。年齢は小泉が12歳上、地元は同じ立山地区。小泉は身長185cmを超える大男。渡辺は158cmの小男で二人で歩いているとまさにアポロのツインズ。盟友である。この時小泉千葉県県議会議員1期生。渡辺アポロ市市議会議員2期生。

 「木暮さん。助かりましたよ。あの時実弾打たなかったら中田の奴負けてましたよ。ほんと助かりました。ありがとうございます」「永井さん。そんな事より今後の民生党は厄介だな。今回ではっきりしたと思うけど常に今後はキャスティングボードを握られるぞ。絶対に第1党にはならない。責任政党にはならないでまちを動かす気だ。やばいな。あの噂。大正会の最終目標は日本を我が手の内にする。こりゃーまんざら嘘でもねーな」

 後の話だが今回民生党は推薦候補者を1本化しなかった。理由は山口陣営から3本。中田陣営から5本貰っていたのだ。要は両方にいい顔をしながら両陣営から金を頂いていたと言う訳だ。そしてこの割合で票割りをしたのだ。結果中田が勝利した。この党は1票5,000円と言われている。これでいくと今回の2本差は4,000票の計算だ。もしこれが逆に入っていたら山口が勝利していた。そしてこの選挙で大正会は8,000万懐に入れた。恐ろしい集団だ。

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