自分のセンスに自信がなくなるんです
安全靴が数種類増えたくらいじゃ、客なんて呼び戻せないのである。研修は終わりだと熱田が来なくなった週から、美優はぽつんと売り場に取り残された。ハタキをかけ動かない商品を拭い、乱れているハンガーを直す。本日は外に雨が降っており、プレハブの二階は余計鬱陶しい湿気である。
なんか雑然として見えるのって、種類がバラバラだからじゃない?そう思い至ったことに気を良くし、美優は売り場に吊るされた作業服の並べ替えを始めた。上着、ベスト、シャツ、ズボン。もうじき夏になるってのに、何故か吊るされているボア付中綿入りジャンパー(俗にいうドカジャンである)は、見るのも暑い。季節感もへったくれも、あったもんじゃない。
どうすれば整頓になるのかわからないので、とりあえず種類ごとに分けることにした。まず上着を一カ所に集め、デザインの多様さを知った。ライダースジャケットもあればボディにゆとりのあるタイプもあり、デニム素材もあれば化繊のストレッチもある。タウン用に着てもおかしくないデザインと、どう見ても企業用のもの。
これ全部ひっくるめて作業着なのか。ガソリンスタンドのお兄ちゃんのツナギも、道路工事しているおじさんのニッカポッカも、ガスの点検に来る男の人のジャケットも。あまりの範囲の広さに、目眩がしそうだ。
辰喜知と名の入っているラベルが、驚くほど多い。ステイタスのあるブランドなのか、バックプリントになっていたりワッペンで貼ってあったりもする。他には朱雀、東京鳶、狼任なんてのもあるし、ヒューイなんて片仮名の名前も見える。
作業着ってだけで、こんなにブランドがあるものなのか。そう思いながら形の類似だけで並べていくと、途中からデザインの系統がきっぱりふたつに分かれた。美優が考えていた形の作業着と、それ以外。それ以外っていうのは、タフな素材で腕も太腿もずいぶんゆったりしている。まるでアウトドアメーカーがタウン用にデザインしたみたいなそれは、美優が想定していたものと用途が違うのだと気がつくまでに、しばらくかかった。電気工事の人と道路工事の人は、同じ格好をしていない。
「よ、みー坊」
後ろからかかった声に、驚いて振り向いた。階下がざわめいていて、階段を上がってくる音に気がつかなかったのだ。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
なるったけ他人行儀に挨拶をするが、笑い声に遮られた。
「いっぱしの店員さんみてぇ。安全靴の新しいの入れてるって、店長が言ってたからさ」
「店員ですから。お気に入りのものが見つからなければ、カタログでお取り寄せもいたしますが」
「冷たい喋り方だなあ。客には、にこやかに丁寧に」
オレンジ色の髪と長身。けれど今日のてっちゃんは、ダブダブのズボン(パンツとかボトムスなんて言葉は、絶対使ってやらない)じゃない。普通の黒っぽいタンクトップとストレートのデニムだ。髪の色さえ普通なら、結構イケる外観かも知れない。
「みー坊はご遠慮ください。今日はお仕事じゃないんですか?」
平日の真昼間に私服でウロウロしてるなんて、仕事がないのかも知れない……なんて少々の侮りは、再度の笑い声で否定された。
「俺らは雨がひどいと、仕事ができないの。今日は下もいっぱいだろ?」
確かに雨が降り始めてから、階下のざわめきは大きくなった。何人か上がっては来たが、ほとんど手袋と靴下が売れただけである。
「工具屋なら、知ってることなんだけどねえ。さっきの客、下のカウンターで長靴長靴って言ってたぜ?」
「長靴? 靴屋に行けば……」
「安・全・長・靴。先芯入ってる長靴があんの。みー坊、ほんっとになーんも知らねえのな」
「覚えるもん! 今、在庫を綺麗にしようと思ってっ!」
小馬鹿にしたような笑いが、てっちゃんの顔に浮かんだ。
「チョウチョウのかっこいいの、入れといてね」
「何よ、それ」
「それはヒミツです……っと、親父の買い物終わったかな。じゃね、みー坊」
階段を降りしな、てっちゃんはふっと振り向いて自分の胸を親指で指した。
「
上着だけ並べ替えたところで内線が鳴り、美優に外線が入っていることを告げた。自分に電話なんて掛かるはずはないのにな、なんて不思議な気分で電話を繋いでもらうと、やけに調子の良い声が飛び込んできた。
『どーもーっ! ヤマヤテブクロと申しまーす。本日の三時ごろ、いらっしゃいますかー?』
「えっと、はい」
『では、後程伺いますのでどうぞよろしくー』
そう言うなり電話は切れた。
えっと、何故。どういうご用件で。そう問いたかったのだが、あっという間に切れてしまった電話には、もう訊くことができない。自分に用じゃなくて、他の人に用事なんじゃないだろうか。電話を回してきた水野さんが、間違ったのかも。
それなら正しい相手に伝えなくてはと思い、慌てて階段を下りた。
「すみません!ヤマヤテブクロって会社に用事がある方って、どなたでしょう?」
松浦に訊ねると、呆れたような表情が戻った。
「手袋は、美優ちゃんでしょう」
「え?だって、いきなり行きますって……」
「営業でしょ?新製品の紹介かなんかしたいんじゃないの?聞けばいいじゃない」
「聞くって、何を」
「だから新商品とか、夏向けに揃えるものとか」
答えが終わる前にカウンターの横に客が立ち、美優はそれ以上話しかけることができない。このフォローの足りなさが新入社員の逃げ出す第一関門なのだが、幸いなことなのかどうか、美優はそれに気付くほど社会経験が多くない。目一杯不安ながらも、担当者ならわからないなりに、メーカー営業の話を聞くものだと思い込んでしまう。
とりあえず何か売り込まれたら、店長呼んで来よう。だって、良いか悪いかわかんないんだもん。いざとなったら、新入社員に丸投げした店長が悪いんだって言ってやる。そう思いながら、階段を踏みしめる。唇は不安と不満で尖ったままである。
そうして十四時三十五分、美優はシャツの整理に勤しんでいたのである。コンニチワーなんて言いながら入ってきたのが、まさか営業だとは思わなかった。
「店長さんから新しい担当が入ったって聞いたから、ご挨拶に伺いましたー」
多分四十代くらい。(美優は三十代後半から五十代前半くらいまで、十把一絡げでオジサンである)美優の前職はスーパーマーケットのデータ管理会社だったので、年上の男たちは全員管理職だった。そこですでに気後れしてしまう。本来ならここで店長が間を取り持つべきであるが、そんなことを言っていたって仕方がない。
「ヤマヤテブクロの福田と申します」
名刺を差し出され、反射的に片手で受け取ってしまった。マナー違反であるが、相手は頓着しなかった。
「相沢です。よろしくお願いします」
「あれ、社長のお嬢さんですか」
「いえ、姪なんですけど……」
姓が同じなのだから、出入りの業者ならばすぐに気がつく。珍しい姓でなくとも、佐藤田中ほど多くはない。
「やっぱりお身内なんだ。そうですよね。じゃなければ、高校卒業してすぐになんて、男ばっかりの店になんか……」
「卒業してすぐじゃありません!成人してます!」
見た目で舐められて、たまるもんか。
ところで、と福田がキャスターバッグから取り出したのは、美優から見ればとんでもないデザインのサンダルだった。和柄と言えば聞こえは良いが、足の甲をすべて覆った形のサンダルは、黒ベースに龍やら虎やらが描いてある。龍虎でなければ鯉孔雀、桜の花びらが散っていたりもする。
「今年の新作なんですよ、これ。お待ちになってるお客様も多いと」
「……趣味、悪っ。これ、売れるんですか?」
元から置いてあったサンダル(ヘビ皮模様の内張りがしてあった)も大層なド趣味だが、これはいくらなんでも酷いと思う。
「いや、売れますって。一昨年なんて、このお店から生産急かされたくらいなんですから」
「嘘ですよね?」
「店長に確認していただいて、結構ですよ。よくご存知ですから」
サンダルを借りて、松浦の立つカウンターの前に置いた。
「えっと、これを入れろって言ってるんですけど、どう思います?」
売れっこないから断れと言って貰うことが前提の質問だ。ヤマヤテブクロは買わせたくて、調子の良いことを言っているのだと否定される予定、だった。
「ああ、それ。結構高価いのに、どういうわけだか売れるんだよね。十二足くらいのセットでしょ?毎年二・三回入れてたんじゃないかなあ。入れといて」
「えええっ! 入れたくなかったのに!」
美優のがっかりした声に、松浦は真面目な顔で言った。
「売れる商品っていうのは、良い商品なんだよ」
それは売り上げだけの話だろうと反論したかったが、店長の判断にまだ反対はできない。
いささか不愉快だがサンダルを仕入れると伝えると、ヤマヤテブクロは受注票を記入した。
「来月はこのシリーズで帽子も出ますから、お持ちします。メッシュの靴下を、そろそろ用意した方が良いかと。梅雨前に長靴も必要ですねえ。鳶合羽も切れてましたね」
「とび、がっぱ?」
「鳶装束でも着られるんですよ」
「とびしょうぞく?」
お正月の消防の出初式を思い出す。あれって、鳶職の人がやるんじゃなかったっけ? 袢纏と股引のことかしらんと考えてから、何か間違っていると思い直す。あんなスタイルで仕事をしている人なんて、見たことはない。ヤマヤテブクロは相手が多少理解していると思っているのか、チラシを広げて次の話に展開させている。美優は曖昧に頷くことしかできない。
「……で、こちらだけは本日採用していただこうと。背縫いの皮手なんですけどね、親指の付け根に人工皮革のアテをつけて……」
セヌイのカワテとは、何ぞ? 意味も理解できず、呑まれたまま返事をする。
「それ、入れてください」
「ありがとうございまーす!ではM・L・LL各十双で」
また受注票が切られた。需要があるのかどうかすら、わからない。
「伊佐治さんは潜在的な顧客が大きいから、もっと強気な仕入れしてもいいと思うんですよ。夏カタログは送ってますよね。靴下と長靴、ご検討くださいね」
はあ、と中途半端な返事をして、営業が去っていくのを見送った。呆気にとられているうちに、手袋のフックが三つ埋まる算段ができたわけである。
シャツと一緒に気分も整頓しようとハンガーの並び替えを再開したころ、やっと店長が現れた。
「ヤマヤさん、サンダルだけだった?」
こんなことを気にするくらいなら最初から同席してくれれば、意味のわからない説明を聞くこともなかったはずだ。
「えっと、セヌイのカワテ入れました。あと、長靴と靴下と合羽って言われたんですけど」
「ああ、長靴ね。この前も客注で取り寄せたけど、前は置いてたっけ?」
「きゃくちゅう?」
「お客さんからの注文。在庫以外を取り寄せるときに、そうやって区別つけないと全部売り場に出しちゃうでしょ」
叔父さんが注文受けて発注って言ったのは、その客注とやらのことか。全部そうなら、売り場なんていらないよね。手袋や靴下もそうだけど、靴とか服とかって、取り寄せて買うもの? その場になければ、他の店に探しに行くんじゃない?だって自分なら、そうするもん。
そんなことが、ほんのちらっと頭をかすめた。
その翌日、件のサンダルは入荷した。どこに置こうかと迷った挙句、結局今まであったサンダルと並べる。どこに置いたって趣味の悪いものは趣味が悪いのだから、売れなくたって仕方ないと思う。否、思っていたのだ。
たまたま靴下を買いに来た客が、それに目を留めて口を開いた。
「今年は入れたんだ。去年入らなかったから、わざわざ本店まで行って買ったんだよ。いいな、今年のやつ」
「あ、ありがとうございます」
その客は二足籠に入れ、上機嫌で階段を降りた。ごついオジサンだったから、きっと趣味が古いのだろうと自分に言い聞かせ、美優は自分を納得させる。しかし、次の客も買わないながらもサンダルを手に取った。そうなると、そのサンダル自体に興味があると認めざるを得ない。黙って軍手やら靴下やらを掴むだけの客が、足を止めているのだ。
とんでもないド趣味で売れないはずのサンダルは、翌日美優が出勤すると、四足減っていたのだった。
「社長仕入れだよ。上手く並べてね」
持ち込まれた箱を開けると、中から出てきたTシャツの両肩のアテ(刺し子になっているらしい)部分が波紋の模様になっており、そこに鯉が跳ねていた。腕に小さくisajiとプリントされている。
「まさかと思いますが、これオリジナルですか?」
「そう、毎年作るんだよね。業者さんからの提案で始めたらしいんだけど、評判が良くて」
持ち込んだ本部の人間は、にこやかにそう言った。美優の顔は微妙に引き攣る。色は三色で白黒紺だが、跳ねている鯉は赤い。そのTシャツが百枚近くあるのだ。鯉が百匹元気良く。
「……誰が買うんですか、これ」
「やだな、お客さんに決まってるじゃない。この鯉の赤が効いてるってデザイナーさんもイチオシなんだよ」
それ以上のコメントはこの際、差し控えておく。サンダルで半分くらい理解したような気はする。けれどサンダルみたいに足元だけじゃなくて、今度は肩だ。大体、肩にアテがついている意味はあるのか。
ぜんぜんわかんないんですけど。
セヌイのカワテが、手の甲に縫い目のある皮手袋だと知った日、美優は初めてPOPを作った。パソコンで値札を作るのは簡単だし、そこに新入荷の文字も入れた。ラミネーターを使うことも覚えたし、エクセルで画像取り込みをすればイラストもつけられる。
入荷した皮手袋は、まだひとつも売れずにフックに掛かっている。ヤマヤテブクロに上手いこと騙された気がする。売れないものを押付けられたかも知れないと思っていたら、宍倉がひとつ袋から出してサンプルとマジックで書いて糸で吊るした。宍倉はレジ係だが人当たりが良く知識も豊富で、伊佐治二号店の名物社員だ。
「手袋って手を入れてみないと、皮の感じとかわからないからね」
「商品、そんな風に伝票も切らないで出しちゃって良いんですか?」
「そこまで在庫管理してないから。管理いい加減なんだ、ここ。おっと、社長には言わないでおいてね」
なんとなく管理が杜撰なのは気がついていた。美優が二階に入るまでガラ空きだった売り場は、その気になればいくらでも万引きできたろう。防犯カメラは一方向しか向いていない。
サンプルを吊ると驚くべきことに、何人もが手を入れて確認している。全部同じようななめしていない緑色の皮手袋で、手の甲に縫い目があるか手首を止めるベルトがあるかくらいの違いだと思っていたのは、間違いだったらしい。ウロコが何枚も目の上にあって、すべて零れ落ちるのに時間がかかりそうだ。
サンプルの出ていない手袋全部にサンプルを作ると、なんとなく売り場らしくなった気がする。けれどまだ、フックは半分以上空いているのだ。
「Tシャツ、どこですか」
声をかけてきたのは、まだ十代の少年だろう。美優よりもいくつか下に見える。
「Tシャツ?これ?」
伊佐治オリジナルTシャツを出して見せると、少年は難しい顔をした。
「そんなイカツいの、着ませんよ。辰喜知のとか、朱雀でもいいや。
「え、作業着でTシャツがあるの?」
もう、客に質問することは怖くない。自分は知らないのだから、知っている人に教えてもらうのだ。
「お姉さん、売ってる人なんでしょ。勉強しろよ」
少年は笑いながら、カタログを指差した。
「取り寄せられる?暑くなってきたから、すぐに欲しいんだけど」
「はい、もちろん」
カタログを見ながら、少年と話す。
「こんな風に、辰喜知のロゴが入ってるのも売れるのかなあ」
「俺は着ませんけどね、好きな人は多いんじゃないっすか?入れれば売れるよ」
そんな会話を交わしているうちに、伊佐治オリジナルTシャツを三色籠に入れた人が階段を降りていった。買う人は、やっぱりいたのだ。しかも三枚いっぺんに。
私のセンス、どこか間違ってる?
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