わからないときは、質問しましょう

 叔父の車に乗って一号店に連れて行かれ、事務所に顔を出す。一号店の店舗は二号店よりも小さいが、本部として機能しているので従業員の数が多い。

「うちの姪、今週から二号店で作業着やらせるって言ったよね。見学したいっていうから」

 よろしくお願いしますと頭を下げ、早速作業服売り場に案内してもらう。

「おーい、あっちゃん。おとなしく待ってられない人が来たぞ」

 棚の間から、熱田が顔をのぞかせた。

「あれ。向こうでやることありませんでした?」

「松浦が忙しそうでな、教えてやれないみたいなんだ。ちょっと売り場見せてやって」

 熱田に挨拶しながら、美優は気もそぞろである。自分が任された場所とレイアウトはよく似ているのに、一号店の売り場はイメージが全然ちがう。


 全体的に、なんとなく華やかだ。二号店の色味は全体的にくすんでいるのに、こちらは明るい。午前中美優が二号店で整理した安全靴(つまり、整理して触れたばかりだから気になるのだ)は、端から数えて約七十種類ある。手袋のコーナーには空いているフックがひとつ、ただし「メーカー欠品中」の可愛らしい札が掛けられている。

 何これ、全然違う売り場みたいじゃない。美優がそう思うのも当然だ。

「どうだ、みー坊。綺麗に揃ってるだろ?」

 叔父が胸を張るのを、思わず睨みつけた。

「あのお寒い売り場は、いつから放置されてるの?作業着なんて何も知らないのに、こんな風にできると思う?」

「んー、専任担当者がいなくなって一年くらいかな?後は下の工具と兼任がいたことがあるけど、アルバイトだったしなあ。それも三ヶ月くらいで辞めちゃって……」

 叔父ののんびりした話しぶりに、頭に血が上りそうだ。素人に責任者をやれなんて言うから、てっきり誰にでもすぐできるものだと思っていた。


「美優ちゃん、私も入ってから二年くらいしか経ってないよ。ある程度引き継ぎはしてもらったから、POSの使い方とかは教えてもらったけど。あとは自分がどんな売り場にしたいかってイメージだけ」

 熱田の言葉を、美優は唇を尖らせて聞く。イメージとか言われたって、自分の中に作業着売り場に対するイマジネーションを起こさせる何かが足りない。電気工事やガス検針のオジサンが着ているアレ、こんなに華やかじゃないもん。黄色とか赤とか青の安全靴とやけにカラフルな手袋類以外にも、一号店の売り場は色が多い。フロアの半面を小物類に、もう半面にハンガーがぎっしり掛かっているのだが、美優が二号店で見たものとは違うらしい。


「熱田さーん。朱雀すざくのタチエリ入った?」

 軽やかに上がってくる音がして、熱田はいらっしゃいませと声を張り上げる。

「今日入ったばっかり。てっちゃん、鼻が利くね」

 笑いながら熱田が向き合った相手は、長身にオレンジ色の髪をしていた。

「もう、首が日焼けしちゃうもん。ピンクのやつ入った?他の色も見せてよ」

「今日ならフルサイズであるよ。てっちゃん、LLだっけ」

 熱田がまだ箱の中に入っているものを出す間、タチエリって何だろうと美優も箱を見ていると、どうもシャツらしい。

「お、二号店の高校生」

 オレンジ色の髪のてっちゃんが、美優に気がついて声を掛けた。

「高校生じゃないです。どうせ入荷するの待ってるなら、二号店で買えばいいのに」

 入荷を待っている時間があるのなら、家が近い二号店で買えば良いのに、と思う。

「やだよ、二号店だと頼んだものしか入んないもん。センスなさそーな担当じゃ、欲しいもの揃わなそうだし」

 これは聞き捨てならない。センスなさそうなって、言われた?


「お、怒った?」

 てっちゃんが、むしろ楽しげに言う。

「じゃあさ、これ、どう思う?」

 箱から出したばかりのシャツを広げて、美優ににやりと笑ってみせた。正直、そのシャツは美優から見ればカッコいいものじゃない。色は綺麗だがデザインの繊細さに欠けるし、木綿のシンプルなシャツなのに(形状はワイシャツと大して変わらない)その襟が倒れずに立ったままプレスされているのだ。率直にこれに答えたものかと、美優は少々ためらった。

「ほらな、カッコわりぃとか思ってんだろ。カッコいいんだよ、これは」

「趣味が合わないだけじゃないんですか?」

 この問題に関しては、これで済ませようと思った。髪をオレンジにしてる奴になんか、センスがないとか言われたくない。


「でもこれ、人気モデルなんだぜ? な、熱田さん」

「まあ、そうね。固定ファンはいるわねえ」

 熱田はにこにこと答える。

「でもまったく初心者なんだし、お手柔らかに頼むね、てっちゃん」

「新人だろうがベテランだろうが、俺らから見れば全部店の人だもん。二号店の作業着、ひっでえんだ」

 ふたりのやりとりを黙って聞くしかない美優は、仏頂面だ。

「はいはい、また松浦店長と喧嘩したね? てっちゃん」

「あの野郎、いい加減な納期言いやがって。今朝取りに行ったら、まだ揃ってませーんなんつって」

「今日必要だったの?」

「来週だけど」

 身内風の会話を聞きながら、自分のセンスを否定されたみたいで面白くないったらない。


 社長である叔父が二階にもう一度顔を出した。

「どうだ、みー坊。あっちゃんの売り場は」

「うん、綺麗……」

 返事をしようとした後ろで、笑い声がする。

「みー坊! あんた、みー坊って呼ばれてんの?」

 自分に話しかけられたわけでもないのに、失礼な奴である。美優がどう返答しようか迷っているうちに、叔父が愛想良く返事した。

「おや、早坂さんちの息子さん。うちの姪なんでね、子供のころからそう呼んでるんですよ」

「へー、社長の姪なの? 俺もみー坊って呼んでいい?」

 冗談じゃない。小さい頃から知っている間柄ならともかく、全然知らない相手にそんな呼ばれ方されたくない。ましてセンス云々と言われたのは、たった今である。

「もちろんですよ。気楽にいろいろ教えてやってください、早坂さんの息子さんなら安心だから」

 美優が口をぱくぱくさせている間に、てっちゃんは階段に向かう。

「じゃね、みー坊。ちょっとはセンス磨いといてね」


 二号店に送られる車の中で、美優はオカンムリだ。

「しんっじらんないっ! お客さんにみー坊なんて呼ばれるの、絶対イヤだからね! ましてあんな失礼な奴!」

「失礼だったか?」

 叔父はのんびりと答える。

「失礼じゃないの! はるかに年上の叔父さんにまでタメ語で、人の会話に割り込んで来て」

「まあ、口の利き方は知らないな。でも、いい子だぞ?」

 大人の言ういい子ってのは、同年代から見たイイ奴と違うのだ。美優はむすりと口を噤む。

「面倒見もいいしな。みー坊も教えてもらえばいい。お客さんから意見を聞くのが、一番勉強になる」

 叔父の言葉を話半分で聞いて、美優の三日目の仕事時間は終わった。


 翌日出社した美優は、朝一番の接客で一息ついた店長を捕まえた。

「商品、増やしたいんですけど」

「売れると思ったら、増やしてください。でもその前に在庫切れチェックして、棚の空きがないようにしてね」

 簡単な返事だが、それが難しいのである。何せ空の棚やフックに、もともとどんなものがあったのかわからない。一号店で七十足あった靴の棚を考えれば、こちらにはもっと多くの種類が置いてあったはずだし、手袋の空きのフックもサイズ違いがあったのか違う種類があったのかすら、定かでない。

「何がないんだか、わからないんです」

「じゃ、カタログ見て、美優ちゃんが気に入ったもの入れてみて。売れなければ、次回からモデル変えればいいから」

 とんだ指示があったものだ。気に入ったのなんのと言われたって、使ったこともない。ただ一つわかったことといえば、松浦に相談してもまったく無駄だということだけである。

 皮手袋と軍手の何点かは切らさずに置いてあるので、多分客がしっかりついていて、作業着売り場の中でこれだけは切らすなと念を押されているものなのだろうと、その程度の判断はできる。安全靴はどうなのだろう? フルサイズ残っているものを除けば、売れているものだということだろうか?


 とりあえず、とっつき易そうな靴から行こう。基本的には先芯とやらが入っていて、履きやすければ良さそうだ。耐油だの制電だのと箱には書いてあるものもあるが、それほど大きくは謳っていない。気に入ったものを入れてみろと言われたんだから、失敗したって自分のせいじゃない――そう思い決めて、手近な箱に書いてあるメーカーのカタログを取り出した。『辰喜知(喜の文字は、七を三つ書いた旧字である)』と表紙にあるそのカタログを開いてみれば、さながらイケメン写真集だ。筋肉を強調した薄手のシャツも、下半身に余裕のあるパンツも普通にカッコいい。ただし(ただし、がつくのである)普段街中で見るオジサンたちは、モデルのように脚が長いわけでも頭が小さいわけでもない。モデルが着崩した厚手のシャツは素敵でも、オジサンのニッカポッカは泥臭い、ような気がする。

 カタログを捲って靴のページが始まると、美優はほっと一息吐く。ここから何足か、ピックアップするだけで良いのだと、椅子をひっぱり出してカウンターの後ろに据えた。スニーカーのハイカットとローカットを一足ずつ入れようと心に決め、付箋紙を握る。


 通信販売で靴を頼むような気分だ。現物を見たことはないのに、一枚の写真からモデルを決める。

「あ、これ、ちょっといいかも」

 黄色地に紫のラインが入る、少々今風の色合いだ。多分街中で履いていても、違和感が少ない。そう考えながらページを更に捲れば、普通のスニーカーだと言われても気がつかないもののようなデザインばかりだ。

 もしかしたら、普通に靴選ぶみたいに選んじゃっていいのかな、これ。そんな風に考えれば、おのずと美優の好みが入ってくる。サイズだって美優の足に合うものが作られているということは、女性が履くことを想定しているのかも知れない。

 熱田が来るまでの時間、美優はそうやって真剣に靴を検討したのだ。


 カタログに付箋紙を何枚か貼ったところで、初体験が降ってきた。

「新しいお姉ちゃんだな。作業着、取り寄せてくれよ」

 男は自分の古くなった作業着を差し出すが、ラベルはもう薄くなってしまっている。

「ごめんなさい、少々お待ちください!」

 慌てて階段を駆け下り、店長を呼んだ。頭の中は、すでに半分パニックだ。会社が揃えて作るものなのに、何故個人的に取り寄せてくれと言われるんだろう。まず、そこからが疑問だ。

「注文でしょ? 受ければいいじゃない」

「その内容がわからないんですっ!」

 億劫がる店長の変わりに、レジの宍倉が一緒に二階に上がってくれた。


「まいどー。西澤さんのとこの作業着って、どこのでしたっけ? ちょっと待ってねー」

 POSをポンポンと打ち、宍倉がデータを引き出す。

「美優ちゃん、アイザックのカタログ出して。それのね、この品番。名入れ刺繍しますよね? 糸は何色でしたっけ」

 やりとりする宍倉の隣で、美優はボールペンと発注書を構える。カタログを横目に品番と色番とサイズを確認するだけで、精一杯だ。

「なんだ、お姉ちゃんはただのお店番か?」

 客が美優の手元を覗く。

「何日か前に入ったばっかりなんですよ。まだメーカーの名前も覚えてないから、西澤さんも教えてやってくださいよ」

「ふーん。宍倉さんに頼んだほうが早かったのか」

「いやいや、俺は今日は助っ人。担当者はこの子なんだから、次もこの子にお願いしますね」

 美優が何もできないうちに、客は注文を終えて帰っていった。白い五本指靴下を入れて置いてくれと言い添えながら。


 ありがとうございましたと客を見送った宍倉は、POSの古い売り上げデータの検索の仕方を教え、それからメーカーへの発注方法を教えた。

「えっとね、アイザックさんは最低発注金額が二万だったから、作業着二枚くらいじゃ届かないよね。他に在庫するものも合わせて取って、調整すればいいんじゃない?」

「在庫するものって、何でしょう?」

 宍倉は店長より、少々親切なようだ。

「売り場がスカスカだから、多分いろいろなものがあると思うよ。さっき靴下って言ってたから、靴下とかインナーとか。午後からあっちゃんが来るんなら、カタログ見て決めればいいよ。で、入荷したら刺繍屋さんに出して、名前入れてもらう」

「刺繍屋さんに、どうやって何を」

「メインPCの中の共有フォルダ、ここにね、過去の刺繍の写真をエクセルに纏めてる……っていっても、ここ一年は誰も管理してないから、去年から来たお客さんのはないけど。これをプリントして、店長が外出するときに持ってってもらうの」

 写真だけで依頼するのか……ってことより、もっと大きな疑問がひとつ。

「一枚とか二枚とかで、あんな風に会社名入れたりするんですか?」

 これに対して、宍倉は大きな声で笑った。

「会社って、ひとりでやっても会社でしょ。ここに来る客は、そんなのの方が多いんだよ。企業とかって形じゃなくて、社長兼社員」

 ひとりしかいない会社ならば、別に名前なんて胸に付けなくたって構わないじゃないかと思うのだが、そういうものでもないらしい。


 午後から来た熱田に、発注最低金額を満たしたいのだと相談すると、話は簡単だった。

「アイザックさんって、もともと靴の得意な会社だから、そこから安全靴選ぶといいよ。辰喜知さんは辰喜知さんで固定ファンがいるから、そこからも一ライン揃えて。この売り場ってね、一番金額が動くのは安全靴なの。服よりもそこに目をつけたの、正解」

 その後に売れ線の手袋とやらも教えてもらい、一度目の発注書を書く。

「明後日にはそれが届くから、一日やることができたね」


 二日後、せっせと値付け作業を行っていると、客が入ってきた。常連じゃない客らしく、売り場をキョロキョロしている。

「靴下、どこ?」

 こちらですと案内して作業に戻ると、出している品物を興味深そうに眺めている。

「あのさ、アラミドの手袋ない?」

「アラミド、ですか」

「カッターとかでも切れないやつ」

 そんな手袋があるのかと、きょとんとした顔をする美優に、客は続けて言った。

「入れといてくれないかなあ。次に来たときに買うから」

「はい……わかりました」

 そう答えたあとに、カタログで探せと言うばかりでまったくアテにならない上司の顔が浮かんだ。どのカタログを見れば良いのかも見当がつかないのに、探し当てることは難しい。それならばいっそのこと、客に聞いてしまったほうが早い。

「えっと、メーカーとか品番とか、わかります?」

 それがあることを知っているのなら、自分よりも情報を持っているかも知れない。


「俺が使ってるのは、袋におかめ手袋って書いてあったけど、どこのでもいいや」

「おかめ手袋、ですね。わかりました、入れておきます」

 なんだ、こんな簡単な質問で手がかりができるのか。メーカーさえわかれば、発注先を調べれば良いのだ。美優はノートにおかめ手袋のアラミドと記入して、ふうっと安堵の息を吐いた。

 今のオジサンは親切に教えてくれたけど、店員がこんなことも知らないのかと、バカにする人もいるんだろうなあ。一昨日の作業着の人みたいに、お店番とかって言う人の方が多いんじゃないかしらん。だってさ、いたって役に立ってないじゃん。今日はたまたま品出しがあったけど、出した品物を買って行く人が来ない。お客さんの注文って、本当にカタログだけで来るんだろうか?

 値付けを終えた商品を棚に運びながら、一号店の売り場を思う。たくさんの商品とカラフルな色合いは、必要なものを買う場所というより、買い物を楽しむ店みたいに見えた。何も知らずに自分が入っても、何があるだろうかと見て歩く気がする。

 でもまさかそんな、作業着を楽しんで選んだりする? 企業で揃えるものだけじゃない、っていうのは一昨日に覚えたけど、どうせ汚れるんでしょ?

 どうせ汚れるからって理由で服に好みを反映させていないのかといえば、大間違いである。自分はどうだ。アウトドアで遊ぶときに気に食わない服で行く、なんてわけがあるか。けれど自分の生活にないことを、すぐに考えることができるほど、人間は上等にはできていない。


 美優が時間を終えて帰宅したあとに、新しく入れた安全靴が二足ばかり売れたらしい。どうせなら買って行く人の顔を自分の目で確認したかったのだが、営業時間のすべてを見張っているわけにはいかない。(営業時間が朝の七時から夜の九時までなのだ)

 翌日の昼に訪れた人が、安全靴の棚を確認しながら言った一言を、美優は聞き逃さなかった。

「なんかどうも、ぱっとしねえな」

 ここだ、と自分の中に叫ぶものがあり、美優はカウンターの上にカタログを並べた。

「次までに揃えます。どんな靴が必要ですか?」

 何も知らないのかと叱られたら、謝ろうと決意しながら。

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