第14話イァサムの実がなる村

 ミシィハはヤヅァムに向かって誤解していてすまなかった、と謝罪した。彼は覚えている限りの村の情報を残し、雇い主の所に帰っていった。


 ヤヅァムのほうは落ち着かせる為に、眠たくなるお茶を飲ませて自室に下がってもらった。一夜明けたら、もう一度話を聞いて、作戦の役に立てるとキュイールがハンキレンダの話している。


 ……少し落ちつきたい。ゆっくりと温かいお茶を飲もうかな。


 そう思ってスェマナは自分用にお茶を用意する。カップから湯気と一緒になって上がってくる、良い香りを思い切り吸い込んだ。


 ついでだからと、キュイールとハンキレンダ、オリギトにもお茶を出す。三人ともがどこかホッとしたような顔になったので、やはり、落ち着かない気持ちだったのだろう。

 彼らにとっても、ヤヅァムのあの様子は衝撃的だったのだ。


「スェマナは何も知らなかったのか」


 ハンキレンダが低い声で聞いてくる。スェマナはうなずいた。


「イァサムの畑から、村のほうはぜんぜん見えないんです」


 微妙な沈黙が流れ、スェマナはまだ熱いカップを両手で包むように持って、俯いた。

 そろそろ部屋に明かりを灯さなければ。調理場の手伝いをしている余裕が最近もてなかったから、明日あたりにでも一度、顔を出して来たいな。


「スェマナ、君がほしい」


 呆れた。

 たっぷり時間をかけてから、スェマナは首をかしげた。


「……はい?」


 唐突過ぎて理解が追い付けない。何を言い出したのだろう、この男は。


 時間が止まる、というのはこういうときに使うべき言葉だろう。スェマナ以上に時間をかけてから、ガシャン、とカップを落としたのはハンキレンダ。カップは落とさなかったものの、熱いお茶を膝にぶちまけて「あつっ!!」と悲鳴を上げたほうがオリギトだ。


 スェマナは手の中にあったカップを素早くテーブルに置いた。乾いた布を数枚手に取り、オリギトの膝を拭く。更に数枚をハンキレンダに軽く投げた。ハンキレンダが割れたカップと、こぼれたお茶を自分で片付ける。


 突然何を言い出すのか、と文句を言いたかったが、スェマナには上手く言葉が出てこなかった。


「こんな時に求婚か」


 やはり、ハンキレンダは立ち直るのが早いとスェマナは尊敬の眼差しでテーブルを拭き終わったらしい男を見る。

 はっきり抗議の色を持った言葉は、しかし、キュイールにとって全く効果がなかった。


「求婚?……そうだなぁ、スェマナが婚姻による立場の強化を望むんなら、誰とでも、好きな者と結婚できるように取り計らおっか。

 スェマナ、君を、正式に私の直属の部下に迎えたい」


 どうも、キュイールは求婚とは違うつもりで言っていたらしい。


 これはとても光栄なのだと、スェマナにもなんとなくだがわかる。

 ハンキレンダは得心したように何回か頷いているし、オリギトの顔がパアッと輝いている。


「ハンキレンダにはこの領地の、領主代理として働いてもらうことになってるんだ。

 ヤヅァムはこの領主館と王都、再建した村との連絡係になってもらおうと考えているんだよねぇ。

 そこのオリギトにはさ、村を治めてもらうことになる」


 今後、なんの庇護もなくヤヅァムを放置しておくことは、彼にとって良くないそうだ。

 移動の魔法が便利すぎるので、身分をかさにした高位の貴族に使い潰されないよう、はっきりと、王族からの覚えがめでたい騎士団長キュイールの部下にして、保護するのだという。


 なぜ今、そんな話をするのだろう。


 ……今、するべきは魔物退治の話であって、結婚話は就職の話でではないんじゃないかしら。


「君がヤヅァムを追いかけている姿を見て思った。君の素早さや、身軽さは、とても諜報活動に役立ちそうだ。

 女の子にこんな話を持ちかけるのは私もどうかと思うんだけどさぁ……」


 つまり、閃いたのが今だから、今、部下として正式に勧誘しただけということか。


「キュイール様のお役に立てるなら、光栄ですし、協力したいです。

 でもわたし、もしも自分で生きる道を選んでいいのなら、村にずっといたいです」


「それはつまり、オリギトと?」


 まさか自分の名前が出るとは思わなかったのだろう。オリギトの背筋がぴっと伸びた。

 スェマナは首を横に振る。

 オリギトはよい人かもしれない。

 でもここに、この領主館に、スェマナが望む人はいない。


 選ばなくていいなら、誰も選びたくない。


 ……それに、もしも村に帰ることができたのなら、やることはきっとたくさんあるだろう。


「結婚はしたくないです」


「……そうか」


 夕食の準備ができている、と使用人の一人が声をかけに来て、その話は終わりになった。

 オリギトが村に来るのなら、良い村になるだろう、とスェマナは心が温かくなった。


 オリギトが何かを言おうとして、飲み込むような顔をしていたのが少しだけ気になったが、オリギトはよくそんな顔をしている。

 聞いてみても、何でもない、と答えられるばかりなのだ。だから今回も放っておくことにした。


 その日の夕飯にはデザートがついて、それがスェマナの好きなお菓子だったのを知った頃にはもう、そんな事も忘れてしまった。


 翌日になれば、ヤヅァムも落ち着いていて、いつも通りに話ができた。

 領主館にあった資料と、二人の記憶、そしてミシィハの話から、村にあったはずの祠が壊されたのではないか、とハンキレンダが推測した。


「記録では、このあたりに祠があるはずだ」


 ハンキレンダが地図上に指を置く。

 そこは村のはずれに近い。


「確かに、魔物はこっちのほうから来てた気がします」


「そこ、確か、だれも使ってない井戸があった筈」


 スェマナは村の外れにあった、なんとなく気持ちの悪い井戸のことを思い出した。


「あの井戸に近づくと気持ち悪いんです。頭が痛くなるって母さんも言ってました」


 あの井戸のせいで具合が悪くなった時は、取っておいたイァサムの実の皮をお風呂に入れ、ゆっくり、きれいな泉の水を飲むのだ。

 そうすると、不思議なくらいスッキリ治る。


「ねぇ……ヤヅァム、なんで村にはちゃんと井戸があったのに、みんな、わざわざ谷の泉まで行って、水を汲んでたのかな?」


 井戸は便利なものだ。

 遠くまで水を汲みに行かなくて済むのだから。

 スェマナに、なぜあの村では井戸を使わなかったのだろう?と言われて、初めて、ヤヅァムもおかしい事に気がついたような顔をした。

 悩む二人に思考の助け船を出したのは、ハンキレンダだった。


「おそらく、井戸は悪い魔力で汚染されていたのだろう……それで、泉、とは?どこにあった?」


「イァサムの畑のすぐ近くに」


 あの村での水汲みはほんとうに大変だった。

 イァサムの畑は、村人にとって大事なものだったから、畑はつぶせない。あの低地以外だと、ほかに住めそうな場所は高台しかなかった。そう考えると、仕方ない事だったのかと思ってしまう。


「君たちがよく言うイァサム、というものを知らないな……領主館にある書類にもたまに出てくるが、それは一体何なんだ?」


 キュイールが首を傾げる。


 宿屋で働いていた者も、イァサムの実については皆知っていたから、二人はありふれた果実かと思っていた。

 キュイールとハンキレンダの口ぶりだと、どうやらイァサムの実のほとんどは、村の中だけで消費されていたらしい。

 ほんのわずかがこの街まで運ばれ、売られていたようだ。

 他の地域には運び出されたりしないものらしかった。


「日持ち、しないもんね」


 スェマナはイァサムの果実の、甘い香りを思いかべた。

 今ならば、ヤヅァムの移動魔法がある。あの美味しい実を各地に運べるかもしれない。


 それでも、他の地域できっとイァサムの木が根付くことはないだろう、という確信がある。

 あれはなぜか、あの低地でしか育たない木なのだ。

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